生い立ち

DADA Journal(だだ・じゃーなる)・・・
「湖を愛するすべての人におくる」をテーマに発行される、滋賀県湖東・湖北地方の情報紙。主に読売新聞の折り込みで配布され、四半世紀に亘って地元の情報を発信してきた。県内外問わず、多くの支持者を集めている。喜多充の母・良子もコアなファンの一人。発行所は(有)北風寫眞舘[彦根市本町2-3-3]、編集人は杉原正樹。2014年現在、発行部数32,000。第2・第4日曜日の毎月2回発行。喜多はそのうち月1回コラムを担当。公式サイト→DADA Journal - 滋賀県湖東・湖北の地域情報誌 [ダダ・ジャーナル]

NEW!!第124回 ~「み〜な」の想いも乗せて開催された「ウダーベ音楽祭」

2014年12月14日vol.600掲載

 平成元年から四半世紀以上に亘って刊行されてきた湖北のタウン誌「長浜み〜な」は、「み〜な びわ湖から」とますますの進化を遂げながらいつも興味深い情報を提供してくださっています。記事から市民感覚のスタッフさんの熱い思いがヒシヒシと伝わってくるところが大きな魅力です。
 去る七月、宿泊した長浜のホテルでその時の最新「み〜な」を見つけ購入しました。「校歌うたえば」というタイトル、どこかの小学生が歌っている写真の表紙で大変興味をそそりました。母校の校歌は知っているけど、すぐ近所でも他校の校歌は知らないもの。掲載されている54の校歌から、学校や子供たちが地域に大事にされてきた背景が伝わってきました。景色が見えて、子供たちの大きな歌声が聴こえてきそうでした。この素敵な「み〜な」を手に入れたことがうれしくなり、表紙の写真を撮ってツイッターにアップしました。
 するとすぐに反応してくださったのが十数年来の知人で、現在茨城県常陸大宮市・ロゼホールにご勤務されている中瀬悟美さん。「私たちも湖北の雑誌と同じようなことを考えていて、今度ホールで小学校の校歌を歌うイベントを開催するんです」と教えてくださいました。その名も「ウダーベ音楽祭」。「ウダーベ」とは茨城弁で「うたおうよ」って意味だそうです。そして先日、音楽祭の成功を報告してくださいました。NHKでレポートされたこと。読売新聞の全国版で取り上げられたこと。久しぶりに再会したお年寄り同士がはしゃいでいたこと。おばあちゃんとお孫さんが一生懸命歌っている姿を舞台袖で見てジーンとしたこと。そして極め付きは「み〜な」を取り寄せして参考にし、立派な楽譜付きパンフレットを完成させたというのです。「常陸大宮の皆さん、琵琶湖に足向けて寝られないと思います」と感謝されました。何気ないつぶやきが距離を越えて効果を生んだようです。
 少子化で学校が統廃合されるのは滋賀や茨城に限ったことではないですね。校歌というのは、その学び舎に通った同窓生だけが大きな声で歌えるという、まるで秘密の宝物のよう。大人になって困ったことが起きて、本当に助け合えるのは同じ校歌を歌い合える仲間なのかもしれないと思うと、なくなった学校も含めて、いま大きな声で歌い継ぐべきものは校歌なのではないかと感じた縁でした。

長浜み〜な編集室 http://www.n-miina.net/ ご紹介したvol.121をはじめとするバックナンバーもご購入いただけます。

「唄屋の縁」連載10周年記念 喜多充LIVE開催決定!
小欄連載10周年を記念して、彦根・護国神社敷地内の「ほっこりカフェ朴」にてディナーライブを行います。
日時: 2015年1月18日[日]17:00から
場所:ほっこりカフェ 朴 [彦根市尾末町1-59 護国神社敷地内] http://moku.hacca.jp/
料金:3,500円[ライブチャージ+特製プレート+1ドリンク]
出演:歳森隆史[ギター]、平間さと子[ピアノ]、石田久美子[アマネ]、
杉原正樹[DADA Journal 編集長/北風寫眞舘代表]
完全予約制:info@officedew.com までお申し込みください。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

124_1_色んな人にお知らせしたくなってつぶやいた.jpg色んな人にお知らせしたくなってつぶやいた
124_2_僕も違う世代の人たちと母校の校歌を歌ってみたい!.JPG僕も違う世代の人たちと母校の校歌を歌ってみたい!




第123回 ~平成の「おあむ物語」!?

2014年11月9日vol.598掲載

 先月で連載十年を迎えさせていただき、これまでの小欄の内容を思い返しています。かなり自由に書いてまいりましたので、やはり僕自身の十年間の出会いが詰まっているなぁと感じます。音楽、書籍、芸術、歴史、場所、そして人との出会い。なるべく郷里・湖東湖北にまつわるエピソードをと取り上げてきましたが、故郷での生い立ちが強烈に自己形成の根幹となっている僕にとってそれはごくごく自然なこと。親元で過ごした年数よりも離れた年数が上回った今日においても、こちらの執筆は暮らしと切り離せないものとなっています。
 しかし個人的な日記としてではなく、何万部も刷られ人目に触れられるというこの行為は、冷静に考えるとかなり恐ろしいことです。読み返すと大変恥ずかしいですし、「何を書いてるねん!」と自ら突っ込みたくなることもしばしば。書き記す行為はヒトのみに与えられた力ですが、教育が十分でなかった時代は偉い人しか読み書きできなかったわけですから、僕のような庶民の言葉が紙の印刷に残るという事象は、ありがたいと言いますか、この境遇を喜ぶ以外にほかありません。
 関ヶ原の合戦前後、山田去暦という石田三成の家臣がおられました。その娘・おあん(本名不詳)が当時の体験をのちに語り下ろしたとされる「おあむ物語」という書があります。彼女は十代だった彦根時代、十三歳の時に作ってもらった帷子を十七歳まで着させられてスネが出て恥ずかしかったとか、父は三百石の石取りにも関わらず朝夕は雑穀ばかりと貧乏だったことを明かしています。また合戦の際には家族で大垣城に入り、とった首を天守に集めて生首を洗ったとか、札をつけてお歯黒を塗ったと語っています。その生首の横で寝たとも。血生臭い話ですが、全国にはこの物語の写本が数多く残っており、当時の女性や子供の暮らしを知る近世初期の国語資料として貴重な存在となっています。
 歴史研究は進んでいますが、やはりその多くの出典は知識人や裕福な方々の目線。本当の庶民の暮らしや出会いというものがどんなものであったのか、まだ未知のことも多いでしょう。「おあむ物語」とまではいきませんが、名もなき唄屋の毎月千字が、平成の世の庶民の営みを書き記す一篇となりましたら幸いにござります。

国立公文書館のホームページ[http://www.archives.go.jp/]では貴重な「おあむ物語」の一部が閲覧できる。
123_国立公文書館のホームページでは貴重な「おあむ物語」の一部が閲覧できる.jpg
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/


第122回 ~週刊・日本の神社「多賀大社」発売

2014年10月12日vol.596掲載

「ミツルのホームタウンはどんなところなの?」
 15歳の時ホームステイをさせてもらったサンフランシスコ郊外の町・サニーベールで、ホストマザーが僕に訊きました。
「えーと、えーと、僕の町は、古くて大きなシュラインがある町だよ」
 頭の中はアメリカに行けることでいっぱい、いい回答を持ち合わせていなかったことを悔やんだ中学3年の夏でした。それ以来、旅に出る為には自分のルーツや故郷のことを知っていなければいけないんだと強く思うようになりました。難しいことはわからないけれど、僕の町のシュラインのことを観光ガイドマップよりは詳しく知っていたいと思い続けて20余年、このほど素敵な本が発売されました。週刊・日本の神社32号「多賀大社」です。
 大きな写真や貴重な史料を掲載した図説で、多賀大社を大変わかりやすく解説してくれています。日本の創世神話は誰しも興味がありますが、如何せん難しい。なんで多賀大社は縁結びの神様なの?何で延命長寿って言われてるの?そうしたご利益の謂れ、祀られている伊邪那岐大神・伊邪那美大神についても易しく教えてくれます。お多賀さんに行くと拝殿をお参りして十分な気持ちになっておりましたが、なんと境内だけでも十五の摂社・末社があるとのこと。それぞれのご祭神やご利益なども紹介してくれています。知らなかったなぁ。
 古事記以前には豪族・犬上氏が、南北朝時代にはバサラ大名・佐々木道誉が、安土桃山時代には豊臣秀吉が、武田信玄が、浅井長政が保護や寄進をしたとあります。江戸期には火事や暴風で頻繁に被災するも、幕府や彦根藩に護られ無事に復興してきたそうです。月参りせよとは宣伝文句でありますが、その存在が当たり前過ぎて不勉強であったのも正直なところ。灯台の下を照らしその歴史に触れることで思いが溢れ、そして人に伝えることで誇りを感じます。豪族でも武将でもなかったと思いますが、僕の先祖がどんなふうに多賀に暮らし、お多賀さんと関わってきたのでしょうか。読んでは、いにしえの先人達の気持ちを想像して浪漫に浸っています。
 最適なお多賀さんの入門書、初詣の予習に是非お読みになってください。

本号で連載10年を迎えることができました。ご愛読に感謝しています。これからもよろしくお願いします。

図説を交えながらわかりやすく解説する
週刊 日本の神社 No.32「多賀大社」
発行:デアゴスティーニ 定価:562円(税別)

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第121回 ~テレシネのススメ、8mmフィルムのデジタル化

2014年9月14日vol.594掲載

 皆さんのおうちに8mmフィルムは眠っていませんか?このまま放っておくとフィルムの劣化は進むし、今後映写機で再生するなんてことはないだろうなぁと感じたので、実家にあった数十巻を先日思い切ってテレシネしました。テレシネとはフィルムをテレビで再生できる信号に変換する作業ですが、今やっておけばDVDやブルーレイといったデジタルメディアに保存ができますので、ビデオテープの時代よりも美しく残すことができます。
 家庭用ムービーと言えば8mmフィルムがあって、その後8mmビデオ、VHS-C、miniDVなどがありました。携帯性や画質の向上を謳い文句に形やフォーマットはコロコロ変わり、いつの時代も懐かしいビデオを見ようと思うと再生機が無いだとか動かないという負のスパイラルに陥ってきました。ですからこれまで撮り貯めた財産も、今の時代に互換しないものはいつかどこかで思い切らないといけないのです。地蔵盆に親戚が集まりましたので、その一部をみんなで鑑賞しました。
 昭和40年代生まれの姉がダントツの主演女優賞、父も若くて撮影が楽しかったのでしょう。自身の新婚旅行でさえ、新婦の母をよそに撮りまくっています。やはり40年も前の映像がテレビやパソコンで見られるというのは感動します。ビデオデッキもなく、テレビも録画できなかった時代ですものね。僕が生まれたときにはいなかった曾祖父が動いていたり、僕以上に親戚のみんなが懐かしんで喜んでくれました。僕は第二子なのでご多分に漏れずエキストラ程度しか映っていませんでしたが、今回思い切ってやって良かったと思いました。カメラマンは子供や知人を撮っているわけですが、その背景に町が映っているじゃありませんか。プライベート映像の合間に、ふるさとの貴重な資料となるような光景が残されていたのです。
 皆さんのおうちにも残っているようでしたら、どうか捨てないで。いくつか業者さんがありますので、機会がありましたら是非取り組まれてください。ご家庭の宝でもあり、後世に残すべき町の宝かもしれませんよ。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

121_1_50年以上前の彦根城周辺のフィルムもあった。.jpg50年以上前の彦根城周辺のフィルムもあった。
121_2_昭和35年、多賀の山で松茸狩り!なんと総天然色だ!!.jpg昭和35年、多賀の山で松茸狩り!なんと総天然色だ!!
121_3_賑やかだった40年前の旧湖東町下岸本のお祭り。.jpg賑やかだった40年前の旧湖東町下岸本のお祭り。

第120回 ~ライブイン川崎や、長浜で歌えば

2014年8月10日vol.592掲載

 北国街道から賑やかな大手門通りをくぐり抜け、大通寺の表参道から長浜八幡宮に向かってやわた夢生小路を進むと、湖北・長浜の文化発信基地「川崎や」さんが現れます。かつてはうどん屋さんだったそうですが空き家になり、12年前から商店街や地元の有志の方達がお世話をされてコンサートやカフェ、インターネット放送など様々な催しや取り組みの拠点として利用されています。川崎やさんを中心とした活動に長年憧れてきて、いつかここでライブができたらいいなぁと思ってきました。8年前にも相談に寄せていただいたことがあったのですが、その時に思い描いていたイメージはうまく具現化できず、ずるずるとその機会を逃していました。
 今年に入りギターの歳森隆史、ピアノの平間さと子、そして高校時代からの盟友であるアマネ・石田久美子のサポートを得て、非常にいい形の音楽環境が整い、いくつかの充実したライブをおこなうことができました。「これは滋賀の皆さんにも聴いていただきたい」、こんな気持ちが高まり去る7月20日、初めて「ライブイン川崎や」に出演させていただくことができました。その4日前にはこちらから放送されている「スタジオこほく」にも出演させていただき、大々的にPRしていただきました。
 念願の川崎やさんに出演できること、素敵な仲間と長浜で演奏できること、色んなことに感謝の思いを抱いて当日を迎えました。うれしかったですねぇ。言葉では表現できないほど充実した時間を過ごさせていただきました。想像すればいちいち涙が溢れてきそうな気分でした。長浜で歌えば。普段価値観を共にしている仲間が来てくれた。両親と姉が来てくれた。久しぶりに会う親戚が来てくれた。東京や大阪から聴きに来てくださった。高校時代の恩師が来てくださった。27年ぶりの再会、小学1-2年の時の担任の先生が来てくださった。夫婦連れで来てくださった方。子供連れで来てくださった方。初めて聴いてくださった方。つい先日知り合いになった方。もうホントにたくさんの、そして気のある、思いを共有してくださる、僕の人生にとってかけがえのない大事な大事な皆さんにお集まりいただいて、全11曲を歌い上げることができました。
 幸せです。最高の夜でした。皆さんのお陰で、また一つ大きな夢を実現させてもらうことができました。感謝!

■このライブの模様は、喜多充公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/ にてご報告しています。どうぞご覧ください。

120_1_最高のメンバー、最高のサウンドを滋賀に持ち帰ることができた.JPG最高のメンバー、最高のサウンドを滋賀に持ち帰ることができた
120_2_心温まる空間・川崎やさん、無事にライブを終えて全員で記念撮影.JPG心温まる空間・川崎やさん、無事にライブを終えて全員で記念撮影
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第119回 ~札幌で生き続ける長浜の茶室

2014年7月13日vol.590掲載

 小堀遠州は1579年長浜生まれ。大名、茶人、ほかにも築城、茶室建築や作庭を手掛けるなど「多能なる天才」と言われたほどにマルチに活躍されました。特に茶の湯は「綺麗さび」と称され、利休の「わび・さび」を発展させた武家茶道の代表的な流儀・遠州流として現在も受け継がれています。様々な文化に影響を与えた地元の大先輩なのですが、茶の世界は庶民には遠く、また歴史の宝庫・近江には偉人がたくさんいらっしゃるのでこれまでピンときていませんでした。その上、遠州という名も江州においては静岡の人かと思い違いしてしまうわけです。
 先日北海道札幌市を訪れたとき、中島公園というところに日本庭園があることを知りました。北海道で日本庭園とは珍しい、北海道の成り立ちから考えても古い庭園ではないな、本州から移住してきた人が明治以降に作ったんだろうな、などと想像しながら現地に赴きました。行ってみてびっくり、そこに小堀遠州作の茶室があるではないですか。作と言ってもどこかにある茶室のレプリカが設置してあるのだと思いました。その時代に遠州が北海道に来ているはずがないのですから。しかし案内を読むとどうも本物らしい、国指定重要文化財とあります。ほんまかいな!?
 この建物は「八窓庵(旧舎那院忘筌)」。もともと遠州の居城である小室城内(長浜市小室町)に建てられたものが、円教寺(同川崎町)、長浜八幡宮(同宮前町)、舎那院(同宮前町)と市内で移築されました(詳細は不明)。大正8年に北海道新聞の編集長(後に取締役)だった持田謹也氏が長浜方面を旅した折に荒廃した茶室を譲り受け、その場で解体させて鉄道便で札幌に運び込んだそうです。荒廃していても持ち帰りたいと思うほどの存在感だったのでしょうか。6年後に札幌市内の持田邸に組み立てられ、昭和11年に北海道における国宝第1号(旧法)を受けました。昭和46年公園に寄贈、平成17年大雪の為に全壊に近い倒壊事故が発生したのですが、3年後に往時の姿を取り戻しました。
 長浜に300年、札幌に100年近く生き続けた茶室「八窓庵」。日本の風情ある和を感じさせる建物が少ない北海道の中で、道民や外国人観光客に大変親しまれているそうです。地元にあったままでは朽ちて潰されていただけかもしれません。その価値を見出し、愛情を注ぎ込み、大事に大事にされてきた道民の皆さんに感謝します。まさかこんなところで息づいていたとは。これからも北の大地で、日本の心を伝承していってもらいたいです。

喜多充、待望の長浜公演迫る!Live in 川崎や!!
7月20日(日)川崎や(長浜市大宮町8-8、http://kawasakiya.web.fc2.com/
開場19:00/開演19:30/料金1,000円
出演:喜多充[with 平間さと子(Pf)、歳森隆史(Gt)、石田久美子(Chor/アマネ)]
共演:Yoshi+Ken
詳細は喜多充公式サイト及びFacebookページをご覧ください。

119_1_真似て建てるのではなく、長浜にあるそのままを北海道に持ち帰った.jpg真似て建てるのではなく、長浜にあるそのままを北海道に持ち帰った
119_2_長浜時代の名称「忘筌」の文字も。目的は道具ではない、という意。.jpg長浜時代の名称「忘筌」の文字も。目的は道具ではない、という意。
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第118回 ~奥びわ湖観音、見仏のススメ

2014年6月8日vol.588掲載

 空前の仏像ブーム到来中!ということで、東京上野で開催された「観音の里の祈りとくらし展」が大ヒットした直後のタイミングで、またまた湖北のホトケ様を紹介するワクワクアイテムが世に放たれました。DVD「新TV見仏記9奥びわ湖観音の里編」です。TV見仏記は2001年からテレビで不定期に放送されてきた、ちょっとディープでマニアックな仏像紹介番組。今年2月に放送された奥びわ湖の回が未放送カットも追加されてDVDになりました。
 仏像番組と言えど信仰や美術品としての価値ではなく、独自の観点でおもしろおかしく紹介されるナビゲーターのみうらじゅん氏といとうせいこう氏。軽妙トークの中には専門用語もポンポン飛び出し、お二人の造詣の深さと仏像ラブが伝わってきます。最近では寺社仏閣を巡り、朱印や参拝記念スタンプを集める「御朱印ガール」といった若い女性も増えて、古臭いとされてきた仏像に新たなスポットが当たっていますが、そういったブームに繋がったのもこのお二人の力によるところが大きいのではないかと想像しています。
 今回訪ねられた場所は石道寺、医王寺、菅山寺弘善館、高月観音の里民俗資料館、赤後寺。寺の周辺を散策したり、地元の人と絡んだり、まさに大人の修学旅行を楽しんでおられる様子が伺えます。普段なら「こんな写真、誰が買うんだろう?」と疑問に思う仏像写真も、お二人はハシャギながらどんどん購入されます。そして高月観音の里民俗資料館にあった正妙寺の「千手千足観音立像」スタンプは、少年のように目を輝かせて何度も押されていました。
 とにかく切り口が斬新。話が楽しい上にアカデミックな情報もちょいちょい放り込んでくるし、僕らの代わりに色々ツッコミも入れてくれて終始笑いっ放し。真面目な展覧会では習得できない知識が得られ、湖北のホトケ様の新しい楽しみ方を教えてもらいました。参拝前の予習として「見仏」されてみてはいかがでしょうか。

喜多充、長浜公演決定!Live in 川崎や!!
7月20日(日)川崎や(長浜市大宮町8-8、http://kawasakiya.web.fc2.com/
開場19:00/開演19:30/料金1,000円
出演:喜多充[with 平間さと子(Pf)、歳森隆史(Gt)、石田久美子(Chor/アマネ)]
共演:Yoshi+Ken 喜多充公式サイトにてご予約を承っています。

DVD「新TV見仏記9奥びわ湖観音の里編」
TCED-2100 2,800円(税別)
販売元:TCエンタテインメント株式会社
5月28日発売

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第117回 ~観音さまの東京出張

2014年5月11日vol.586掲載

 春の陽気に誘われて桜と人が賑わう東京は上野公園。湖北の観音さまは不忍池のほとりにいらっしゃいました。
 去る3月21日から4月13日まで、東京藝術大学大学美術館にて「観音の里の祈りとくらし展—びわ湖・長浜のホトケたちー」が開催されました。なんと18躯もの観音さまが東京出張なさるという異例の展覧会で、地元の方々には寂しい期間となりましたが、これだけのホトケさまを同時に、また東京で鑑賞できる機会となったことは本当に素晴らしいことです。ご尽力くださった方々に御礼申し上げます。僕もとにかく観たい!一路東京へ!
 上野公園の至る所にこの展覧会の案内が表示されていました。上野公園は大変木々が多く、都会に在りながらも自然に包まれ、観音さまの写真が違和感無く溶け込んでいました。会場に入ると、優しくも強いオーラを放つ観音さま達がいらっしゃいました。湖北の観音さまは美しいものばかりではありません。戦や戦火から逃れてこられた為に、大変な傷を負っている躯も。しかし、その傷みも含めて美しかった。
「よくぞ平成の今日まで、ご無事でいらっしゃいました」
 思わず僕は手を合わせ、心の中でつぶやきました。こうして湖北の観音さまに東京で触れることができ、様々なことに感謝できる瞬間がありました。なんだか、ありがたい。僕は幸せだな。
 会場は驚くほどの来場者でした。21日間の会期で2万人近い来場があったとのことですので本当に大盛況でしたね。お客さんの顔を見ていますと、すごく引き込まれていらっしゃるんですね。観音さまの魅力はもとより、長きに亘って地域に守られてきたという歴史に。そして日常のくらしの中にある身近なホトケさんということに、ジワジワと込み上げてくるものがあったようです。当たり前のことが、所変われば稀有なことで、それを知ることで誇らしくなる。東京の皆さんにとっても、地元民にとっても、非常に有意義な展覧会になりました。
 琵琶湖を見立てて作られた不忍池のちょうど北側に位置する藝大美術館で開催されたことは、稀な東京出張で緊張された湖北の観音さま達もさぞかし安心されたことでしょう。本当にご苦労様でした。

amazon:図録「びわ湖・長浜のホトケたち」

喜多充、待望の長浜公演決定!Live in 川崎や!!
7月20日(日)川崎や(長浜市大宮町8-8)
http://kawasakiya.web.fc2.com/ 詳細は追ってご案内いたします。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

117_1_上野公園の木々に溶け込む観音さま。.jpg上野公園の木々に溶け込む観音さま。
117_2_東京でこのような巨大看板になろうとはホトケさまでもわからなかった!?.jpg東京でこのような巨大看板になろうとはホトケさまでもわからなかった!?

第116回 ~近江鉄道多賀線、みんなで迎えた100周年

2014年4月13日vol.584掲載

 3月8日、多賀大社前駅は雪でした。併設されているコミュニティホールでは、土曜日の馴染みとなった朝市・もんぜん市が開催されていました。多賀で採れた新鮮な野菜たちの奥には、古い切符や観光ガイドなど、普段はお目にかかれない資料がパネル展示されていて、集まってくる人たちは皆食い入るように見ていました。
 近江鉄道多賀線はちょうどこの日、開業100周年を迎えました。お多賀さん詣りの手段として、また地元民の生活の足として100年間も走り続けてきました。この偉業を記念して地元有志と鉄道会社で相談され、お祝いの式典を開催してくれたのです。この100周年では式典に先立ち、オーナーを募って沿線に花桃の木を植樹する事業が始まりました。100周年にちなんで100本植えようと100人のオーナーを募集、口コミにも関わらず応募者はすぐに埋まりました。式典では全国から花桃オーナーが、また四月から新一年生となる多賀町の児童が招かれ、みんなでお祝いをしました。
 記念切符をはじめとする100周年グッズの販売、展示物の説明、近江猿楽・多賀座によるアトラクション、近江鉄道・多賀大社・多賀町の三代表による花桃の植樹、新型100形電車の彦根駅までの往復乗車など、盛りだくさんな内容に加え、サプライズイベントとして、近江鉄道のマスコットキャラクターがお披露目されました。その名も「がちゃこん」。近江鉄道の愛称がそのまま名付けられ、「こん」の響きからキツネのキャラクターになったとのことです。多賀町のマスコットキャラクター・たがゆいちゃんの出迎えを受け、新型100形から登場しての発表となりました。次の100年に向けてのホットな話題に報道陣も詰めかけ、雪の寒さも忘れるほど賑やかな式典となりました。
 先日、植えて間もない花桃の木の数本に、早速花が咲いてくれたようです。100周年事業は今後、貴重な資料の展示会なども計画され、来年の三月まで続きます。フェイスブックでは、多賀線にまつわる思い出エピソードや、写真などを募集されています。様々なイベントや皆さんの投稿を通じて、一世紀分のありがとうを伝えていきたいと思いました。多賀線、これからもずっとずっと走り続けてください。僕らの町を繋いで。

近江鉄道多賀線開通100周年プロジェクトFacebookページ
https://www.facebook.com/tagasen100

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

116_1_近江鉄道マスコットキャラクター・がちゃこん登場。たがゆいちゃんが出迎えた。.jpg近江鉄道マスコットキャラクター・がちゃこん登場。たがゆいちゃんが出迎えた。
116_2_雪降る中、お祓いが行われた。.jpg雪降る中、お祓いが行われた。
116_3_定期運行900形と臨時運行100形、2つの新車両が多賀大社前駅に並ぶという異例の風景となった。.jpg定期運行900形と臨時運行100形、2つの新車両が多賀大社前駅に並ぶという異例の風景となった。

第115回 ~大好きな人と奏でる音~

2014年3月9日vol.582掲載

 第112回でご紹介した「としやん」ことギタリスト・歳森隆史さんとのステージが二月二十日、大阪で実現しました。10数年来の憧れの人とのセッション、リハーサルも含めて大変楽しい時間を過ごすことができました。としやんとは恋文のようなメールを交わし、スタジオではどうすれば僕の唄たちが輝くか、言葉と楽器の会話を交わしました。世の中には色んな音楽があって、楽器だけの音楽もあれば僕のように唄の入っている音楽もあるわけですが、としやんには「とにかく充くんの日本語の詞を大事にしよう」と言われました。自分で作って歌ってきましたから、自分の生み出す世界観が好きだし、皆さんにうまく伝わるように努力してきました。それをしっかりと受け止め、大きな経験で包み込み、優しく寄り添ってくれているようでした。子供の時に大きな声で歌い、大きくギターを搔き鳴らして始めた音楽が、この瞬間に大人の音楽になったような気持ちがしました。
 せっかくとしやんと一緒に演奏できる機会になりましたので、僕は二人の女性を呼び寄せることにしました。「ちゃむ」こと平間さと子さん。彼女とも10数年来のお付き合いで一昨年の年末に彦根で行った小欄100回記念ライブでもステキな演奏を聴かせてくれました。彼女の弾くピアノは抜群です。最も信頼しているピアニストです。としやんとちゃむは初対面でしたが、必ずやいいサウンドになると思い、東京から駆けつけてもらいました。
そして米原高校時代から一緒に歌い続けてきた石田久美子、もう出会って20年になります。彼女は僕の音楽の一番の理解者です。第一子出産に伴ってアマネの活動を休止し、ステージから離れてママを頑張っていますが、「どうする?」って声をかけたら「やりたい!」と応じてくれて、瞬間的にアマネ復活も実現しました。
 この四名で上がったステージは想像をはるかに越えるものでした。一曲を終えるたび、割れんばかりの大きな拍手をいただき、客席の歓喜と、メンバーの達成感を全身で感じました。めちゃくちゃ気持ちいいな。大好きな人と奏でる音は幸せやな。僕が幸せに歌うと、皆もいい気分になってくれる。気をよくして石田を除く三名は翌日、シークレットでライブバーのステージにも立ちました。こちらでもたまたま居合わせた人たちと大いに盛り上がったのでした。
 よし!今年はこの大好きなメンバーで、地元公演を実現させるぞ!

115_1_大好きなメンバーのサポートによって、大人の音楽になった気がした.jpg大好きなメンバーのサポートによって、大人の音楽になった気がした
115_2_何よりも自分が楽しい。すると、みんなも幸せになった。.jpg何よりも自分が楽しい。すると、みんなも幸せになった。
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第114回 ~リリアンが見た多賀 -ニューカレドニア移民という近江学-~

2014年2月9日vol.580掲載

 「近江は日本文化の発祥の地といっても過言ではないと思う」
白州正子は言いました。奈良や京都の舞台裏にとどまらない近江はこれまでどんな生き方をし、どのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。近江をひとつの学問として研究し、その成果を2009年より発表されてきたのが「近江学」(成安造形大学付属近江学研究所:発行/サンライズ出版:発売)です。美しい写真を含む魅力的な誌面。創刊時は研究紀要として発刊されていましたが、第四号からは文化誌としてより身近な存在となり、近江の深みを教えてくれる教科書として毎号楽しみにしています。最新刊・第六号でも知られざる真実を教えてくれました。
 津田睦美さんによる「リリアンの墓参り」は、明治43年(1910)から七九名の滋賀県人が仏領ニューカレドニアに移民した話が綴られていました。湖東湖北出身の若い単身男性が、ニッケル鋼山で働くために官約移民として海を渡ったそうです。津田さんが現地の日系人協会で紹介された日系二世のリリアンは、多賀町河内出身の菅森次松さんの娘さんでした。出稼ぎ移民とは言え、百年前に多賀から世界に飛び出していたとは驚きました。しかし不運なことに、移民の皆さんはフランスが第一次大戦で受けた不景気で失業することに。次松さんは帰国を諦め、大工や日雇いをしながら白人女性と結婚し、リリアンを授かりました。その後太平洋戦争勃発。日本人は現地の妻や混血の子供を除いて一斉逮捕、強制収容ののち戦争捕虜となります。次松さんは五年の抑留の末、日本に強制送還されたのでした。
 2007年、リリアンは家族と初来日し、河内の風穴近くの墓標の無い父の墓をお参りしました。この時までリリアンは父の強制送還後の消息を知らず、手紙ひとつ届かないのは父親に見捨てられたのだと思い込んでいました。しかしそれは間違いでした。送還された翌年、次松さんは郷里・多賀で亡くなっていたのでした。そして死ぬ時まで白人女性の写真を大切に持っていたと、親戚から知らされました。これには僕も涙がこらえられませんでした。リリアンの目には、父の眠る郷里がどのように映ったのでしょう。
 大河ドラマを見ても近江が出ない年はないというほど、いつの時代も重要だった近江。しかしその大きく派手な歴史の裏で、名もなき農夫が田畑を耕し、家族を養い、村を守ってきました。まだまだ知らない事実がいっぱい。歴史研究はもちろんのこと、それと共に、我々の先祖の思いや息吹を汲み取れるような近江学の研究が更に進んでいきますことを心より願っています。

0114_1_研究紀要から文化誌となり、より身近になった近江学.jpg研究紀要から文化誌となり、より身近になった近江学
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第113回 ~ブルボン男子、語る~

2014年1月12日vol.578掲載

 昨年末、日頃お世話になっている友人を集めてささやかな忘年会を開きました。その際に感謝の気持ちを込めて、何かプレゼントしたいなぁと思いつきました。しかしながら大袈裟な物でもつまらない物でもいけないと思うと、なかなか悩ましいものです。そこで比較的安価で自分が大好きな物を想像しましたら、それは「ブルボン」のお菓子であることに気付きました。よし、これをみんなにプレゼントしよう。
 いつも事務所にはブルボン商品を常備し、自分だけの楽しみにしています。特に誰と語り合うこともなく独りで「バームロール」「ホワイトロリータ」、そして「エリーゼ」をこそこそと頬張っているわけです。幼少の頃、両親は製麻工場の売店を営んでおりお菓子と近い距離にいましたが、なぜだかブルボンはたまにしか口にできませんでした。それは他よりも高価だったからでしょうか。食べ過ぎることを考慮してのことだったのでしょうか。少し食べると甘くて上品な洋菓子、その社名からも外国のメーカーだと思い込んでいました。「ブルボン」、それは僕にとって憧れの存在でした。同時に、なぜ「チーズおかき」「ピッカラ」「味ごのみ」をブルボンが出しているのかは長年の疑問でもありましたが。
 さて、みんなへのプレゼントです。各パッケージをひとつずつ渡すのも芸がないなと。それなら色んな種類を少しずつもらえたほうがワクワクするだろうから、喜多流「ブルボンバラエティパック」を作って渡そうと考えました。スーパー四店舗をまわり、ブルボンの中でも特に好きな袋ビスケットのカテゴリを中心に大人買い。忘年会も終盤に差し掛かったところでおもむろに各パッケージを取り出し、その商品の特徴や思い出を語りながら開封していきます。「実は今一番大好きなのは、品のいいルーベラやねん」「このルマンド限定やで」などと言っては数個ずつ配布用の紙袋に詰めていきます。これには参加者も大興奮。「これ好き!」「これめっちゃおいしいやん!」とめいめいに叫び出す始末。あらあら、みんな好きだったのね。ちなみに参加者、みんな男性です。
 プレゼントは大成功。お正月、それぞれのご家庭にブルボンが彩りを加えてくれたことでしょう。皆さんも幼少期から愛してやまないお菓子を、語ってみてはいかがですか。

113_今回お配りしたマイフェイバリットブルボンズ。熱く語ります。.jpg今回お配りしたマイフェイバリットブルボンズ。熱く語ります。
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第112回 ~Dear としやん -靴箱に入れるラブレターのように-~

2013年12月8日vol.576掲載

 「Dearとしやん。貴殿と一緒に音を出すことは長年の夢でありまして、このたびは快諾をいただき、躍る心を抑えられない日々です。」このような書き出しで、としやんへの日刊メールが始まりました。としやんこと、歳森隆史さん。僕が10年以上前からずっと憧れていたギタリストです。お会いするたびに「いつか一緒に演奏したいですね」と言葉を交わしていたのですが、お忙しい方だし、簡単には実現しないだろうなぁと想像していました。
 今年に入ってからいただいたメールに「来年こそやりたいですね」と添えてあり、まさかな〜なんて半信半疑に思いながら機会を探っていました。先日、来年2月の公演が1本決まりました。来年こそとおっしゃっていたし、ダメで元々、勇気を振り絞って「この機会にご一緒いただけませんか」と尋ねました。すると「是非!」というお返事が返ってきたのです。僕はもう、飛び上がるようなうれしさでした。
 快諾いただけたものの、何をどのように進めていけばいいか悩みました。僕がやりたいと思う楽曲を提案し、それだけを演奏してもらおうか。はたまたこれまで僕が作ってきた楽曲を全て聴いていただき、意見をいただきながら選曲していくか。思案した結果、前者と後者のいいとこ取りをして、僕が気に入っている唄を1曲ずつ、メッセージを添えてお手紙のようにお送りすることにしました。一気に複数曲を送りつけるのは雑な感じがします。毎日違う曲をお送りし、その中でビビっと感じてくださった曲を互いにアプローチすれば、クリエイティブに取り組めると考えました。そうして僕は1日1曲、音源と歌詞を添付したメッセージをとしやんだけに送信します。産み落とした唄ととしやんに対する思いをしたためて。すると驚いたことに、溢れんばかりのアイデアをすぐにご提案してくださいます。
 うわぁ、ほんとにすごい方だ。こんなキャッチボール、ほんとに気持ちいいや。返信を見てはワクワクし、また愛を込めて次のメッセージを綴ります。まるで靴箱に入れるラブレターのように。来年、喜多充とギタリスト・歳森隆史が共演します。どうぞご期待ください。

112_コピー.JPG憧れのギタリスト・歳森隆史さん(写真左)と筆者(写真右)、10年前の奇跡のツーショット
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第111回 ~劇団Patch×主題歌・喜多充、チャンバラ活劇「白浪クインテット」~

2013年11月10日vol.574掲載

 去る10月7日、僕はイケメンたちに囲まれてボーカルレコーディングをおこないました。彼らは今大人気のD-BOYSの関西版・弟分として昨年旗揚げされた、劇団「Patch」のメンバー。関西を元気にしようと数千名の応募者の中から選ばれた精鋭とのこと、そらもう若くて、かっこよくて、みんなキラキラ輝いていました。ご縁あって彼らの新作芝居の主題歌を歌わせていただくことになったのですが、「勉強させてください!」なんて言われて同席されることになりました。当然彼らはスペシャリスト、歌える踊れる演じられる男前さんたち。そんなメンバーの皆さんがいらっしゃるなんて、スタジオに行くまで知らなかったし、急にええとこ見せなあかん雰囲気になって、おっちゃん緊張したわ、もう・・・。
 本作は作・演出の末満健一さん書き下ろしによる「白浪クインテット」というチャンバラ活劇。ときは時代考証ぶち壊しの江戸時代。秀吉の後継騒動の裏、暗躍する謎の隠密集団の陰謀に巻き込まれた悪ガキ5人組が助け合い、その友情でもって戦い抜いていくストーリー。2年前に劇作曲家・和田俊輔さんにご指名を受けて、「極楽百景亡者戯」という末満作品で主題歌を含む劇中歌を歌わせていただきました。末満さんはその時のご印象で、末満作品における絢爛豪華な王道娯楽チャンバラ劇には喜多の歌声が合う、と感じてくださったようで、今回大抜擢してくださいました。
 10月11日舞台初日、僕はABCホールの客席にいました。僕の歌声は何度も何度も爆音で響きわたり、ステージではエネルギッシュなPatchのメンバーが縦横無尽に走り回ります。関西小劇場界の力ある役者さんたちが脇を固め、芝居も踊りもチャンバラも次第にヒートアップ、舞台は化学反応をおこして盛り上がり、会場全体が興奮の渦に巻き込まれていきました。
 何とすごいお芝居で歌わせていただいたもんだ!感激しました。関われたことに大きな感謝の思いを抱きました。そして公演会期中に僕の第一子・長男が誕生しました。この悪ガキ「白浪クインテット」のように、やんちゃをしても仲間を大切にし、助け合って生きていってほしいと願いました。非常にメモリアルな仕事になりました。今後本作のDVDやサントラCDのリリース計画もあるようです。これからもPatchの活躍に目が離せません!

Patch公式サイト http://www.west-patch.com/

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

111_1_コピー.JPGレコーディング終了時にイケメン・Patchのメンバーと記念撮影[後方右から一人目:末満健一氏、二人目:筆者]
111_2_僕らの心を奪った白浪クインテット.jpg僕らの心を奪った白浪クインテット

第110回 ~心を集めた60mの景色~

2013年10月13日vol.572掲載

 7月から9月の2ヶ月間、東京に通いました。あるイベント関連・映像演出系企業で内覧会開催を企画され、その実現に向けてアドバイスをもらえないかというご依頼をいただき、会合に参加しました。毎週東京出張というのは生まれて初めてのことでした。
 2年前の震災直後、こちらの社長さんと深く関わる機会ができました。ちょうどその時イベント業界は自粛ムードで、どんどん仕事がなくなっていった時期でした。そんな時だからこそと、僕が信頼しているアーティストやクリエーターを巻き込み、社長さんをサポートして1回目のイベント開催を実現しました。あの時のご縁を思い出してくださって、「私の相談役として今回も関わってください」と直々にお声掛けいただきました。東京にはたくさんいい人材がいらっしゃるので、「何で僕なのかな?前回の関係があるから、気遣ってくださったのかな?」くらいに想像していたのですが、いつしか中心的な役回りをさせていただくようになりました。
 まず時間がない。社長さんが「やる!」と言ってから本番までたったの2ヶ月です。「自分の仕事は何かな?」なんて悠長に考えている暇はありませんでした。とにかくできることは自分でやっていきました。メーリングリストを立ち上げ、核となるスタッフは会えない日でも常にディスカッションできるようしました。タイトルのネーミング、キャッチコピー、案内文、スタッフへの熱いメッセージ配信など、言葉を紡いでいく作業は、唄作りや小欄の連載で培った経験が活きました。印刷物やスタッフ間の情報共有は、これまでのバンド活動の経験が活きました。五感を働かせ、これまでの経験で得たあらゆるノウハウをつぎ込みました。
 最終的にスタッフは100名以上。映像の会社なので、みんなの思いを詰め込んだ映像を作って超ワイド大型スクリーンに映し出しました。滋賀の仲間にも協力してもらい、故郷の風景も上映しました。イベントは大成功。予想をはるかに超える来場者にも恵まれました。無事に終わってみてわかったこと。僕の仕事は、社員やスタッフひとりひとりの心を繋ぎ合わせ、大きな大きな景色を作り上げることだったのかな。社長さんには大変重大で、貴重な機会をいただきました。みんなの心を集めましたら、60mの景色ができあがりました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

110_1_一枚の写真では収まりきらない60mスクリーンの前で.JPG一枚の写真では収まりきらない60mスクリーンの前で
110_2_本番のスタッフたちと集合写真.jpg本番のスタッフたちと集合写真

第109回 ~現代の鳥瞰図・ふるさとの横顔を撮る~

2013年9月8日vol.570掲載

 グーグルマップがどんどん進化していく過程を体感して、航空写真や衛星写真は大変身近になってきました。テレビのニュースでも使われているし、携帯電話でも空からの写真でルート検索ができます。僕の知人でグーグルマップの旅をしている人がいます。「昨日ピラミッドを見てきた」とか、「今日は北朝鮮に行ってくる」なんて言ってはバーチャルトリップを楽しんでいるようです。以前はズームで近づいても見ることができなかった田舎の写真も最近では充実し、実家の屋根も確認することができました。小学生のとき地元企業のはからいで一度だけヘリコプターに乗せてもらったことがあります。空から眺める僕らの町は、普通の地図ではわからない様々な発見があり、短い時間でしたがワクワクしたことを思い返します。空を飛ぶことができない生き物・人間。蝶のように舞いたい、鳥のように眺めてみたいというのは、鳥人間コンテストしかり我々の永遠の夢なんでしょうね。
 真上からの写真はインターネットで得られるようになりましたが、なんとか斜めから眺められないものでしょうか。高いところがあれば見ることができますが、山やビルがないところではヘリや気球をチャーターするしか方法がありません。それは容易ではありませんね。そんなことを考えていた折、僕はあるラジコンヘリと出合います。そのラジコンヘリはカメラを積んで飛ぶことができるというのです。これなら山やビルがなくても町を斜めから見れるぞ!そしてこの夏、国内電波法の認可が下りたばかりの機体を手に入れました。
 こんな角度の画、これまで見たことなかったわ・・・。ラジコンヘリが撮影した画はグーグルマップとは違う、まさに現代の鳥瞰図でした。早速僕は、ふるさとを撮ってみました。鳥はこんな美しい町を見ていたんですね。慣れ親しんだあたりまえの山、川、森、田んぼ、家、道、橋。ふるさとの横顔は、一つ一つとの思い出を強烈に蘇らせてくれました。ここが僕の育った町なんだ。航空写真は「情報」という感じがしますが、ラジコンヘリの画はやはり「顔」でした。ふるさとの横顔は大変な愛情をもたらせてくれます。
 これはますます郷土愛が溢れてくるな。しばらく夢中になりそうです。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

109_1_ラジコンヘリは杉の木よりも高く飛行.jpgラジコンヘリは杉の木よりも高く飛行
109_2_山に登らなくても町の横顔に触れることができた.jpg山に登らなくても町の横顔に触れることができた
109_3_実はこれは動画で、紙面でこの感動をお伝えしきれないのが残念.jpg実はこれは動画で、紙面でこの感動をお伝えしきれないのが残念

第108回 ~農業を選択する時代の幕開け~

2013年8月11日vol.568掲載

 僕は百姓のせがれ、長男です。田畑があり、農機具も揃っています。しかし、継いでいません。こんな僕が言ってはいけないのですが、若い人が第一次産業に興味を持って、どんどん活気づいてくれることを願ってきました。
 去る7月25日、僕は大阪市内のホテルで「ヤンマー プレミアムブランドプロジェクト新コンセプトモデル発表会」を目にしました。そこではかっこよすぎるトラクターが、おしゃれすぎる農作業着が発表され、聴衆の度肝を抜きました。これはTPPなどの悩みを抱える日本の農政にとっても、起爆剤になるのではないか!救世主になるのではないか!創業者が滋賀出身であること、県内に工場や研究所があることは知っていましたが、それ以上のことはよく知らない。興奮覚めやらぬ僕は、今年3月長浜市にオープンしたヤンマーミュージアムを訪ねました。
 「美しき世界は感謝の心から」、創業者・山岡孫吉さんのことばが出迎えてくれ、彼のあゆみが紹介されていました。旧高月町生まれの孫吉さんは農家育ち。大阪で石油エンジンと出会い、当時大変だった農作業をもっと楽にしたいという思いで小型ディーゼルエンジンの開発に取り組みます。それは容易なものでなく、失敗を繰り返しながらもあきらめず仲間と作りました。心を込めて作り上げたエンジンは、講演会を行ってPRするなど全国的な普及に努めました。事業が軌道に乗ると、故郷の人たちを喜ばせたいと湖北地域に次々と工場を建設します。家族や周囲の人への感謝の気持ちが仕事の原動力となっていたことがよくわかります。ヤンマーは昨年創業100周年、100年に亘って会社の中で大事に大事に温められてきたこの孫吉さんの精神や心意気が伝わってくる施設を地元に開いてくださったことは、同郷の僕らにとっても誇らしく、大変ありがたいことです。先日発表されたプロジェクトは少々奇抜で、ヤン坊マー坊のイメージからはかなり乖離していますが、作業を楽にする、楽しくおこなうために、従事者がワクワクする環境を提案してくれるあたりは創業者の思いをしっかり汲んでいるものだと確認しました。百姓の家に生まれ、土地や機具があるから継がなければいけないとされてきた旧来の農業ではなく、かっこいい、やりたい、安全安心のおいしい味を提供する憧れの職業・農業に選択して就くというのが、これからの農業従事のスタイルではないでしょうか。
 ミュージアムでは歴史的な展示以外にもトラクター・ショベルカー・船に乗れるコーナーがあります。子供たちがこちらで楽しい体験をすれば、これから100年の第一次産業は本当に魅力的な仕事になると確信しました。夏休みは残り少なくなりましたが、子供も大人も楽しめるこのステキな施設に、是非足をお運びください。郷土の偉人がもたらしてくれた技術と心を、是非お感じになってください。

ヤンマーミュージアム
長浜市三和町6-50(JR長浜駅から徒歩で約10分)
電話0749-62-8887 休館日毎週月曜日
http://www.yanmar.co.jp/museum/

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

108_3_今年3月、長浜市三和町にオープンしたヤンマーミュージアム.jpg今年3月、長浜市三和町にオープンしたヤンマーミュージアム
108_4_足を踏み入れると「美しき世界は感謝の心から」という創業者のことばが出迎えてくれる.jpg足を踏み入れると「美しき世界は感謝の心から」という創業者のことばが出迎えてくれる
108_5_歴史に触れながら、実際に体感できるコーナーも充実.jpg歴史に触れながら、実際に体感できるコーナーも充実
108_6_コピー.JPGこの施設での体験をきっかけに子供たちの農業や海洋に対する関心が高まれば、と話してくださった小林文博館長(写真右)と筆者(同左)
108_7_もういなくなってしまうのではないかと心配していたヤン坊マー坊グッズも健在.jpgもういなくなってしまうのではないかと心配していたヤン坊マー坊グッズも健在

第107回 ~多賀町富之尾で平安時代の群集墓発見!~

2013年7月14日vol.566掲載

 先月末、わずか100軒のおらが村・多賀町富之尾からびっくりニュースが流れました。実家の近所から11世紀平安時代の群集墓が発見されたのです!新しい道の工事で掘削部分に木炭を確認、「大谷遺跡」と名付けられ調査されました。古墳や遺跡は他にも存在しますが、なぜ今回の発見がニュースになったのでしょう。ご担当の町立文化財センター・音田直記さんに伺いました。
 伺ってわかったことその一。この時代の墓は珍しい!これまで平安京や太宰府付近でしか見つかっていないんだそうです。それは墓の造営は極めて限られた人にしか許されなかったということ、一体誰が眠っているのでしょう?
 その二。11世紀の「火葬墓が群集した墓域」の発見は全国初!県内の一部地域では数年前まで土葬をしていたのに、1000年前の火葬には驚きです。見つかった11基は火葬した人骨を木棺に入れ、その上木炭で覆って埋葬されたようです。木炭の充填は、遺骨や副葬品を腐敗から守るためではないかと考えられています。近所で1970年にも木炭で埋めた木棺墓が発見されています。この一族はなぜこの場所を選んだのでしょう?
 その三。珍しい鉄板の出土、4枚も同じ場所で出たのは全国初!これまでに全国で約40枚が出土しているそうですが、まとまって4枚、しかも全国の約1割が今回の富之尾での発見なんです。残念ながらX線調査でも文字は見えなかったようですが、当時の犬上郡(いぬがみのこおり:現在の彦根市・犬上郡あたり)の有力者の名前が刻まれていたのではないかと思うとゾクゾクします。
 群集墓の発見は「この地域の勢力が、日本史上重要な役割を果たした一族の拠点である根拠となる資料」と音田さん。木炭を入れて腐敗から守ろうとしたのは、近親者が1000年後の僕らに見つけてほしいと願ったからでしょうか。日本武尊の、稲依別王の、犬上御田鍬の時代から脈々と続く日本のくらし。そこに人の営みがあったからこそいただいた僕らのこの命。まだまだ謎は多くとも、今回の発見は感謝を思わずにはいられません。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

写真提供:多賀町教育委員会・多賀町立文化財センター

107_1墓穴に木炭の黒が混ざっている.JPG墓穴に木炭の黒が混ざっている
107_2_発見された11基の木炭入り火葬墓_コピー.JPG発見された11基の木炭入り火葬墓だが、鉄板が発見されたのはそのうちの4基、この違いは何なのだろう?
107_3_X線では読み取れなかったが、何らかの文字が刻まれていたはず.JPGX線では読み取れなかったが、何らかの文字が刻まれていたはず
107_4_同遺跡から土師器埦も出土.JPG同遺跡から土師器埦も出土

第106回 ~戦争を知らない子供たちの子供たち~

2013年6月9日vol.564掲載

 両親は終戦から5年後の生まれ、歌のように戦争を知らない子供たちです。そして僕は、戦争を知らない子供たちの子供たち。団塊の世代が祖父母となる時代、孫が尋ねても経験談を話せない第二次大戦は今や昔。しかしこれがなかなか歴史にはならない。それはまだ生きている人がいるからなのか、戦後処理を誤ったからなのか、デリケートな問題を抱えているからなのか。どんな基準で先の大戦を捉え語り継いでいくか、大いに悩むところです。
 祖父は父方・母方共に亡くなりましたが、どちらも兵隊経験者。生前、戦地でのことは多く語りませんでしたが、そのオーラは戦いが古くない過去にあったことを証明していました。中学の修学旅行では、長崎の語部の方が被爆体験を話してくれ、わずかな時間でしたが《よそ》ではない《身近》な戦争を感じました。とてつもない悲惨さで、もう起こしてはならないことだと思い知りました。それも20年前の話、戦争体験談を生でお聞きするのは難しくなっているでしょう。
 先日、東近江市にある滋賀県平和記念館に足を運びました。こちらの施設は旧愛東町役場を再利用し、昨年3月にオープンされました。県議会に建設意見が出された1984年から30年近くを経て、悲願の開設となったようです。そこに展示されているものは《よそ》ではない《身近》な出来事でした。近所で起こった悲しみ、近所のおじいちゃんの証言、近所のおばあちゃんの思い出がありました。大きな空襲や原爆を受けていなくても、このような施設が滋賀に必要なことは明白でした。その密接な資料でもって僕らは、「お父さんのおじいちゃんがな・・・」と語っていかなくてはならないのでしょう。
 しかしながら、体験者がたくさんおられた30年前にオープンできなかったことは非常に残念です。集まったはずの資料や声を落としてしまっているのではないかと想像します。慰安婦も大きな問題ですが、慰安婦を連れてでもやらなくてはならない戦争がこの世にあるのでしょうか。戦争の根本的な間違いを顧み、正しい伝承と、恒久の平和を祈念していくことが僕らの役目だと思いました。

106_滋賀県平和祈念館で、すぐそばにあった戦争を知る_トリミング.jpg滋賀県平和祈念館で、すぐそばにあった戦争を知る
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第105回 ~ラジオアシスタント・ゆきちゃん~

2013年5月12日vol.562掲載

 「喜多さん、私の夢知ってたんですか?ラジオDJになることなんですよ」
 そう言ってゆきちゃんは、僕のラジオ番組のアシスタントを引き受けてくれました。地元での番組が決まり、新たな可能性に挑戦できるというワクワクと、地元を盛り上げたいという希望に満ち溢れ、スタートの4月を待ちました。しかし、各所にPRするも担当者から一向に連絡が来ません。不思議に思って連絡するとその方はお辞めになったと言います。「番組をやるように頼まれてるんですけど・・・」「そんなこと聞いてないよ」、まさかの展開です。
 僕も若かったんです。「絶対にやり遂げなきゃいけない」と思いました。「どうしたらやらせてもらえますか?」、何度も詰め寄りました。最後には、「ノーギャラなら」という条件でやらせてもらうことになりました。予定から遅れること1ヶ月、スポンサーもつかない、交通費も経費も出ない番組が始まりました。今からちょうど9年前、小欄の連載も始まる以前の2004年5月11日のことです。
 当時ゆきちゃんは滋賀県立大学の学生。BIG×BAND部に在籍されていて様々なことに積極的だったことから、元気いっぱいの彼女にぜひ番組に出てもらいたいと一番に協力を呼びかけました。大人の事情に巻き込んでしまい紆余曲折の中のスタートでしたが、どうすれば楽しいプログラムになるか一緒に悩み、模索しました。彼女は持ち前の明るさ、そして若い感性で取り組んでくれて、精神的にも大変助けられました。今も感謝しています。局の事情で打ち切りになるまでの20回、有意義で充実した時間を過ごさせてもらいました。
僕のまわりには県立大学出身者がたくさんいます。開学から18年、本当に素晴らしい人材が巣立ち、滋賀を代表して活躍してくれています。ゆきちゃんもそのお一人です。結局ラジオDJにはならなかったけれど、あの頃のように何事にも一生懸命取り組んでおられます。そして彼女は先月お嫁に行きました。きっとあの笑顔で、旦那さんをサポートされるんやろうな。妹のようなゆきちゃん、どうかどうかお幸せに。

105_互いに初めてのラジオDJに取り組んだ(2004年8月頃、左・ゆきちゃん、右・筆者).jpg互いに初めてのラジオDJに取り組んだ(2004年8月頃、左・ゆきちゃん、右・筆者)
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第104回 ~念願の鹿児島・伊集院に立つ~

2013年4月14日vol.560掲載

 1600年、関ヶ原合戦で薩摩・島津義弘は敵中突破を行い、井伊直政らの追撃を受けながらも退却した出来事は「島津の退き口」として、400年以上経った現在でも語り継がれています。直政はその折に島津の反撃で重傷を負い、1年数ヶ月後に命を落とすことになります。捨て奸(がまり)という捨て身作戦で次々に兵を失いながらも、義弘を無事に薩摩に帰還させた家臣らの忠誠心は時代を超えて胸を打ちます。
 義弘公の出身地・鹿児島県旧伊集院町(現:日置市伊集院町)と多賀町は1984年より兄弟都市関係を結んでいます。決死の退却の際、多賀町の五僧峠を通って高宮に出たとされているご縁からです。義弘公自身がどのルートを辿ったかは現在では諸説あるようですが、この難路は古くから「島津越え」と呼ばれています。旧伊集院町では1960年より毎年夏に小中学生を中心に「関ヶ原戦跡踏破隊」を結成し、先人を讃えて島津越えの悪路70kmを踏破されています。子供たちが多賀に来て無茶苦茶な道を歩いているということ、そして憧れの長渕剛さんの出身地だということで、僕は小学生の頃から伊集院という町を身震いするほど意識してきました。「長渕さんの生まれ故郷と多賀町が兄弟都市なんてスゴイ!」
 3月半ば、数年ぶりに鹿児島に行く機会に恵まれ、念願の伊集院に初めて降り立ちました。すぐに馬に乗った勇ましい義弘公の出迎えを受け、義弘公が祀られた徳重神社に向かいました。こちらでは毎年秋に関ヶ原の苦難を偲び、鹿児島三大行事の一つである「妙円寺詣り」が行われるそうです。25年来の夢が叶ったことに感謝し、敵中突破と記された絵馬に願いを込めました。義弘公が少年時代を過ごしたとされる一宇治城跡からの眺望は絶景で、薩摩隼人としての武勇と郷土愛を育んだ場所であったことをひしひしと感じました。薩摩と言えば維新を始めとする幕末の人物や出来事が注目されることが多いように思います。歴史にもしもは禁物ですが、義弘公が無事に帰還したことが後世に多大な影響を与えたことは言うまでもありません。余談ですが後の桜田門外の変で、大老・直弼の首級を挙げたのは薩摩の有村次左衛門でした。彦根藩と薩摩藩の妙で深い因縁も感じます。
 歴史は語り継ぐ者がいてこそ成立します。伊集院の子供たちは多賀の悪路を歩いたことを一生忘れないでしょう。経験によって記憶し、共感が発信となります。伊集院の地に立ち、先人が築いたご縁を育むのは僕らだということを学びました。もっと僕らも現地に赴かねば、と強く感じた旅になりました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

104_1_新大阪〜鹿児島中央間は3時間45分、伊集院まで在来線で17分、今や義弘公もびっくりの近さ.jpg新大阪〜鹿児島中央間は3時間45分、伊集院まで在来線で17分、今や義弘公もびっくりの近さ
104_2_秋には伊集院が最も賑わう「妙円寺詣り」が行われる徳重神社.jpg秋には伊集院が最も賑わう「妙円寺詣り」が行われる徳重神社
104_3_万事突破できそうな絵馬に願いを込めた.jpg万事突破できそうな絵馬に願いを込めた
104_4_義弘公が少年期を過ごした一宇治城跡から伊集院の町と桜島を臨む.jpg義弘公が少年期を過ごした一宇治城跡から伊集院の町と桜島を臨む

第103回 ~良い友だちを紹介してくれた、五個荘出身・外村吉之介さん~

2013年3月10日vol.558掲載

 先日岡山県倉敷市に伺い、早朝の美観地区を散策しました。時代劇のような美しい町並みを歩けば、自然と心穏やかになります。倉敷民藝館の前でふと「外村吉之介」の名を見つけました。「外村って作家の外村繁だとか、五個荘の近江商人の名前やなぁ。この辺にもあるんや。」と感じながらも、早朝で館内には入れずその場を離れました。
 大阪に戻り、倉敷で見つけた名前が急に気になって調べました。すると外村吉之介さんはまさかの滋賀・五個荘出身であることが判明!ズバリだったので大変驚きました。倉敷民藝館、熊本国際民藝館の初代館長を務められた湖国出身の偉人、自らも手織物の創作をしながら各地の心温まる素朴な民芸品を見出されたそうです。著作である「少年民藝館」という本を取り寄せました。初版は1984年で絶版状態が続き、2年前に復刻されたそうです。開けば氏の易しい解説と共に国内外の味のある品物が、「いいなぁ、かわいいなぁ」と感じさせてくれます。大作家の美術作品とは違った、愛着を思わせる品物ばかりです。
 旅をしたとき、土産物屋の民芸品コーナーを見るのが好きです。その土地の風土や暮らしぶりが伝わってきます。「これは滋賀には無いなぁ」といった、そこでしか手に入らない道具や玩具との出合いがあります。「民芸品」とは「民衆的工芸品」を縮めた造語、大正から昭和初期にかけて柳宗悦さんが中心となり、ちゃんと見直して評価しようという民芸運動がありました。その中で氏も自ら足を運び郷土・近江との違いを見つけながら、各地の名もなき工人の民芸品を評価し収集されていったことでしょう。
 「見せかけの駄目なもの、着飾った怠けもの、高くて威張っているような道具を捨て、健康で無駄がなく威張らない美しさを備えてよく働く、良い友だちをみなさんに紹介したいと思って、世界中の美しい工藝品を選んで並べました。(引用)」
 かつて人は身の回りのものは自分たちで作っていました。氏は何でも買って手に入る時代に、失ってしまっていた本当の良い
友だちを紹介してくれました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、
自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

103_1美観地区にある倉敷民藝館の佇まい.jpg美観地区にある倉敷民藝館の佇まい
103_2近づいてみると外村吉之介の名が.jpg近づいてみると外村吉之介の名が
103_3少年民藝館は、子供たちに優しく語りかけてくれるような民藝入門書.jpg少年民藝館は、子供たちに優しく語りかけてくれるような民藝入門書

第102回 ~アンタが太陽!3月3日は太陽大感謝祭~

2013年2月10日vol.556掲載

 震災からもうすぐ2年、復興の遅さとは裏腹に報道や世間の関心が薄くなっています。この国で起こる事故や事件が、どこか遠い国の他人事のようになっていませんか?まだまだ問題は山積みです。例えばエネルギー。原発はすぐに止めたいけど、止められない気持ちもわかる。悩みます。素人の僕たちはまだまだ勉強不足、覚悟も足りない、対案も持ち合わせていません。
 僕の友人の「ピカ☆」さんと「アチャコプリーズ」さんは共にミュージシャン、震災後にお二人が中心となって
「TAIYO33OSAKA」を設立されました。そしてたくさんのイベントやサミットを開催し、新しいエネルギーを含む僕らの未来を一緒に想像する機会を作ってきてくれました。「一人ではどうにもならない問題やし、どんな状態かわからんから、実際に行動して自分の感覚で色んな人と直接しゃべった」、ピカ☆さんは真実を知りたい一心で被災地や討論の現場に足を運ばれました。原発反対のデモは反対派の人だけでなく、実際には決めかねている人もたくさん来られているそうです。「賛成も反対もどちらの意見の人もこの国を良くしたいと思っている気持ちは同じやし、すぐに答えは出ないけど、タブー視しないでみんなで一緒に考えていきたい」とアチャコさん。
 このお二人が中心となって活動されてきた一つの集大成が、3月3日に大阪吹田の万博記念公園で開催されます。その名も『太陽大感謝祭』。「まず世界的に見て最も死ぬ確率の低い日本で生かせてもらっていることに感謝、天の恵み・太陽に感謝、これまでの原発も含め世の中のエネルギーに感謝して基本に立ち返り、みんなでワイワイ盛り上がって新しい未来を考えたい」とお二人。賛成派も反対派もウェルカムな受け皿がここにありました。難しそうでナイーブな内容をお祭りにしてしまうなんて関西ならでは。
 「でもほんまは大盛り上がりよりも、そのあと参加者が自然に太陽の塔を包んで、穏やかな気持ちで祈れるといいな」つぶらな瞳でアチャコさんが言いました。色んな立場の色んな意見がありますが、二人の人柄と包容力が一つの解決への糸口になるような気がしています。アンタが太陽、みんなが主役になって、みんなが光になって、悩むことを楽しみましょう。

『太陽大感謝祭』 http://taiyo33osaka.net/
■日時 2013年3月3日(日)10:00~17:00 ■場所 大阪吹田・万国記念公園内 東の広場
■参加費 無料 ※ただし万博公園へは入園料(大人250円、小中学生70円)が必要です
[1000人 太陽ドラム☆万博ドンドンドン][アホアホごきげん発電所][子どもの王国]など

102太陽大感謝祭.jpg
102_昨年2月にはTAIYO33SUMMIT in 彦根も開催したPIKA☆(左)とアチャコプリーズ(右).jpg昨年2月にはTAIYO33SUMMIT in 彦根も開催したPIKA☆(左)とアチャコプリーズ(右)
喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第101回 ~100回記念ライブ、そして年男の新しいスタート~

2013年1月13日vol.554掲載

 あけましておめでとうございます。昨年12月に小欄も無事に100回を迎えることができ、年末には彦根・護国神社敷地内の「ほっこりカフェ・朴」さんにて記念ライブを開催することができました。この地は僕が高校卒業時、生涯で初めての有料コンサートを行った彦根市民会館のすぐお隣。原点に戻るような気持ちで本番に臨みました。会場には昔からのファンの方、DADAジャーナル執筆陣、最近知ってくださった方など様々な方にお集まりいただきました。朴の中村さんをご紹介するとともに、お料理を楽しんでいただきながらアットホームな雰囲気で開演しました。
 最近はゆるキャラソングのプロデュース、お芝居の劇中歌の歌手、ミュージックビデオの映像監督などを行い、自作自演ではない活動を通じて見えた自分がありました。今回のライブでは特に自分の世界観を「唄屋」として届けることに重点を置きました。僕が心地いい、好きだと思う言葉と旋律を紡ぎ、それを自らの節回しと声で奏でる「唄」が僕は大好きです。どんな方法を使っても自分であることに間違いないのですが、より自分が気に入っている「喜多充」を観て、聴いて、触れてもらいたいと思いました。
 18年一緒に音楽をやってきて、僕の音楽を一番理解してくれているアマネの石田久美子と、僕が最も信頼するピアニスト・平間さと子をゲストに迎え、ソロ演奏を含む全17曲を披露しました。お食事の時間も入れると3時間半、長時間に亘ってお付き合いいただきました。唄について、ふるさとについて、中盤には杉原編集長とのトークも交えて小欄に対する思いなど、今の僕の心の風景をお伝えすることができました。一つ夢を語らせてもらいました。「今後できれば定期的に、小欄と呼応するような形でライブを開催したい」と。編集長は「1年に1度くらい」と応じてくれました。
 今年は僕の巳年、100回を経て年男の新しいスタートになります。読者の皆さんとお会いできるその日の実現を目指して、ますます精進してまいります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、
大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、映像制作など、自身の新たな可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

101ソロ写真.JPGほっこりカフェ・朴さんの雰囲気は最高!
101左から石田久美子、平間さと子、筆者.JPG左から石田久美子、平間さと子、筆者
101編集長とのトークセッション.JPG編集長とのトークセッション(レア!)
101記念写真.jpg最後にみんなでパチリ

第100回 ~こけしの旅 -東北への道-~

2012年12月9日vol.552掲載

 10月に少し遅い夏休みを取って、5日間東北に行ってきました。その名も「こけしの旅」。最近若い女性を中心に第3次ブームが起こっていて大変な人気でもありますが、僕もその魅力にハマってしまいました。仙台や青森に行くと買って帰るのですが、連れて帰るとかわいくてですね、心安らぐのです。増えていくこけしたちを眺めては、作り手である工人(木地師)のおじさんが、その愛くるしいこけしにどんな思いを込めているのだろう、と想像して楽しんでいます。
 空港のお土産屋さんではなく、こけしの里に行きたかったのです。宮城・鳴子温泉では工人さんの製作されている姿を間近で拝見し、関わる方々に話を伺ってこけしとの暮らしを見てきました。津軽・黒石では伝説的な工人、故・盛秀太郎さんの作品群に触れ、こけしが東北でしか生まれなかった歴史とその理由について深く学んできました。東北の気候と風土と人柄は、やっぱり日本の宝でした。
 こけしが気になるようになった理由は、そのかわいさのみならず、それを手掛ける木地師の存在にもありました。東北にはこけしや木製の器などろくろを使った木地が大変有名ですが、それらは旧永源寺町地区の蛭谷や君ヶ畑から伝わっていったとされています。数百年前に湖東の山々にいた木地師たちが、材料を求めたり、蒲生氏郷にお供しながら東北の地に移民したのだそうです。現在も近江国小椋ノ庄を起源とする小椋姓が東北や木曽にたくさん残っていて、木地師たちは湖東の山がふるさとであると、木地の祖・惟喬親王を信仰されています。滋賀と東北は、僕らが生まれるずっとずっと前からつながっていたのです。知れば知るほど、遠い町の出来事と感じたあの日の自分を恥ずかしく思いました。
 チェーンソーアートの活動をしている方や、山に関わるお仕事をされている方の、東北との交流やサポートが盛んです。先日歌で参加した「森の感謝祭」「Happy Forest Project」でも、湖東と東北のご縁を強く感じました。僕はこけしの旅でしたが、東北への道は、確かにつながっていました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
100東北から嫁いできた子たち.jpg東北から嫁いできた子たち

第99回 ~みつるくん、えにしやね~

2012年11月11日vol.550掲載

 「充君、縁やね」、この言葉に惹かれて僕はコラムのタイトルを『唄屋の縁』としました。『縁』を『えにし』と読んだことがなかった20代前半からお会いするたび、柔らかな京都弁で口癖のように言ってくださいました。京都の母で心の大きな支え、度々は会えなかったですが、顔を合わせると「この縁にこそ感謝やな」と感じました。
 本業であるお料理はもちろんのこと、色んなことに精通されていました。特に四季や風土には敏感で、文才のある方でもありました。お書きになった『近づく春』という美しい詩に、勝手に曲をつけ、驚かそうと勝手にCDに収録しました。できあがった僕の初めてのCDを手渡すと、予想以上に無邪気に喜んでくださったことを思い返します。
 『京のおばんざい・わらじ亭』のママ、高橋政栄さんが亡くなりました。数日後にお店に伺おうと思っていた矢先、半信半疑のまま通夜に行きました。ママの大きな写真が掲げられ、葬儀場に入れない人たちが溢れていました。芸能界から、経済界から、同窓会から、近所の商店からたくさんのお花が届いていました。わずか数秒のお焼香で、まだやっぱり信じられません。どこまでも続いていた列でしたが、最後の方のお焼香が終わったので、近くまで寄せてもらいました。棺の窓を開けていただき、ママの顔を見せてもらいました。さっきまでは何も感じなかったのに、体の奥底から、涙がボロボロと出てきました。やっぱり本当だったんだ。こんなにたくさんの方に愛されていながら気にかけてくださって、僕の家族のこと、故郷のこと、音楽のことなど、様々なことを一緒に重んじてくださったことがよぎっていつまでも涙が止まりません。
 ママ、こんな形で伝えるつもりじゃなかったんやけど、ママの言葉をもらった『唄屋の縁』が今度連載100回になるんやわ。それを記念して、年末に彦根でライブをするよ。今まで色んな人に会わせてもらって、繋げてもらって、こうして生かせてもらってる。だから感謝の日にしようと思う。ママ、必ず天国で見ててな。たくさんの縁をありがとうございました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
099_2002年4月頃わらじ亭にて、筆者とママこと高橋政栄さん.JPG2002年4月頃わらじ亭にて、筆者とママこと高橋政栄さん

第98回 ~アマネ、一夜限りの復活!!~

2012年10月14日vol.548掲載

 みさきちゃんは米原高校時代の同級生。高3は同じクラスでしたが当時はそんなに交流はなく、仲良くなったのは大学に進学してからです。僕は兵庫、彼女は京都でそれぞれ一人暮らしをしていましたが、京都でライブをする時には演奏を聴きに来てくれたり、互いに悩みごとを打ち明けたりと、すごく大切な友人としてお付き合いをしてきました。社会に出ると会う機会もぐっと減りましたが、やはり重要なことは自然に伝え合うような関係で、親友というか、ファミリーのような存在です。
 今年の4月にご主人となる方を紹介してもらい、一緒に食事をしました。すごくステキな方で、早く二人の晴れ姿を見たいなぁと思い、「二人のペースでかまわない。世の中にはお祝いしたい人間もいるんやから、ささやかでいいし、お祝いできる日を作ってな。」と伝えました。それから5ヶ月、9月1日に二人は結婚式を挙げてくれました。
 いつも自分のことを後回しにしてきた彼女に、感謝とお祝いの気持ちを真っ直ぐに届けたいと考え、高校時代からの相棒・石田久美子とひとつのオリジナル曲を用意しました。活動を休止して2年半ぶりのアマネ、二次会で一夜限りの復活です!石田は出産後初の舞台です!!参加者全員から大きな手拍子をいただいて、できたてホヤホヤの『もう大丈夫』を歌いました。なんだか父親の気分だな。友人の新しい門出なのに、娘の旅立ちみたいに思えちゃった。もう大丈夫、もう大丈夫、そう歌いながら色んなことを思い出しました。
 みさきちゃん、本当にキレイだったよ。誰かの節目の瞬間は、一人だけの節目でないことを強く感じた一夜になりました。

「もう大丈夫」作詞・作曲 喜多充
何だか涙がこぼれてくるんだよ どこからともなく込み上げてくるんだよ
色んな思い出、溢れてくるんだよ ついにこの日を迎えているんだよ
もう大丈夫 もう大丈夫 ここまでやってきたのだから
一生懸命歩いてきたよね 人一倍に感じて、悩んで
自分のことは置き去りにして まわりばっかり気遣っていたよね
もう大丈夫 もう大丈夫 大事な人に出会ったんだから
 もう一人じゃないんだよ もう一人じゃないんだって おめでとう おめでとう
奇跡の糸がつながっていたんだよ 巡り会うようにできているんだよ
君の幸せはみんなの幸せ 君の笑顔はみんなの笑顔
もう大丈夫 もう大丈夫 自分のために笑っていいんだよ
 もう二人でいるんだよ もう二人でいるんだって おめでとう おめでとう
ララララ・・・
何だか涙がこぼれてくるんだよ どこからともなく込み上げてくるんだよ
悲しいことも つらいことも 楽しいことも うれしいことも
もう大丈夫 もう大丈夫 大事な人がそばにいるから

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
098一夜限りのアマネ復活2.jpg一夜限りのアマネ復活

第97回 ~僕らのオリンピック~

2012年9月9日vol.546掲載

 去る8月14日、僕らのオリンピックを開催しました。オリンピックと言っても走りもしないし、泳ぎもしません。それは4年に一度、オリンピックイヤーに行う高校の同窓会のことです。オリンピックとは比較になりませんが、こちらも大いに盛り上がりました。
 米原高校普通科第31回生の僕らは1996年に卒業し、12年ぶりの再会として2008年に初めて同窓会を行いました。その折に、定期的になるべく忘れない年にやろうと決め、この夏の開催となりました。31歳だった僕らはあっという間に35歳に。この年齢は仕事でも責任ある役割を担っていたり、家庭では子育て真っ只中という人もいて、参加者数は前回より少なくなりましたが、旧友との再会を楽しみに故郷に集結しました。僕は前回に引き続き幹事をさせてもらい、郵送での案内や、メールやネットでの呼びかけ、名札の作成など、準備を通してワクワク感を高めていきました。
 やっぱり同郷、同窓、同級というのは、1から説明しなくていいということもあってすごく居心地がいいです。それぞれ特定の人とは連絡を取っているでしょうが、そうじゃない友人や先生と再会できるのも同窓会の良さです。あの頃は勝手にイメージを決めつけて話さなかったこともあったのでしょうか。全く話せなかった人と、今では自然に話せてびっくりします。大人になって、当時よりも同級生の良さを感じることができました。今後も仕事や子育ての悩みや情報を共有するきっかけになればと、Facebookの利用も呼びかけました。そういったサービスも利用しながら、同級生の存在を身近に感じていきたいです。
 一次会、二次会、そして仕事で昼間来れなかった人も参加しての三次会まで、すごく楽しい時間でした。ずっとこのまま一緒にいたいなぁ、4年後と言わずにまたすぐに会いたいなぁ。高校時代は3年間毎日一緒にいるのが当たり前、でももう簡単に会えない仲間との再会は今の自分にとって大きな糧となりました。大好きなみんなに会える日まで、また僕は頑張るよ。天国に行った4人の仲間にも、そう約束しました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
097同級生が経営する米原市世継の「やまに」にて_ver2.jpg同級生が経営する米原市世継の「やまに」にて

第96回 ~大学生と共に作り上げる歌~

2012年8月12日vol.544掲載

 先月ご紹介した竹岡寛文さんとの共同作業が充実しています。京都のある大学が秋に創立100周年を迎えられるということで、学生のプロジェクトチームを中心に一曲の歌が作られました。その曲はプロの歌手が歌い、記念イベントなどで流していこうという試みでしたが、せっかくなのでミュージックビデオを作ることになったそうです。音楽と映像なら、ということで竹岡さんが推薦してくださって、僕が監督を務めさせていただくことになりました。
 このミュージックビデオのコンセプトは「これまでの100年にありがとう」というものでした。他人が作った歌をどう料理するか、そして次の100年にどんな思いを届けるか、関係の方々と話し合いました。ビデオには学生、卒業生、教職員の皆さんに順番に出演してもらうことにしました。それぞれの「ありがとうメッセージ」を持って歌ってもらいます。出演者と僕は撮影当日初対面。現場では皆さんと対話し、瞬間的に信頼関係を結び、和やかな雰囲気で、そこにしかない時空間を切り取ることを目標に仕事を進めました。
 撮影は2日間で約30組。まずはありがとうメッセージを書いてもらい、歌を練習し、声をレコーディングし、外に出て撮影をするというのが1セット。30組はかなり厳しいスケジュールです。学科、ゼミ、クラブといったまとまりで、キャンパスをまたいだり、中には80名の学生を一斉に演出するなど恐ろしい日程でしたが、無事に予定をクリアすることができました。最後の出演者、チアリーダー部は抜群の歌声を披露してくれました。あまりにも見事だったので、無理をお願いして出演シーン以外のパートまで歌ってもらいました。感動して僕は泣きそうになっていました。
 不安もありましたが結果は想像以上の出来、大学生という若さは様々な可能性を持っていました。僕もあの頃はそうだったのかな?その高い吸収力や対応力で我々にぶつかってきてくれることで、素晴らしい歌声とパワフルな画を切り取ることができました。竹岡さんと、そして大学生と共に作り上げる歌、この秋公開になります。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
最近では楽曲提供、芝居劇中歌歌唱、
映像制作など、自身の新たな
可能性にも挑戦している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
096大学生のレコーディングで指揮をする筆者.jpg大学生のレコーディングで指揮をする筆者
ありがとう-感謝-バナー.png外部リンク-佛教大学開学100周年「ありがとうプロジェクト」/ありがとうのうた「ありがとう-感謝-」

第95回 ~滋賀在住になった竹岡寛文さん~

2012年7月8日vol.542掲載

 最近毎日連絡を取り合っている相手、それは竹岡寛文さん。最初の出会いは2004年、僕が岡村本家さんでコンサートをさせてもらった時です。竹岡さんは滋賀県立大学の学生さんで、豊郷において「快蔵プロジェクト」という活動をされていました。その時は何人かいる学生さんの中のお一人といった感じでしたが、それ以降色んな方から噂を伺い、多岐に亘るアグレッシブなご活躍が伝わってきました。「竹岡さん、ここにも関わっておられるなぁ。あっちでも名前が出ていたなぁ。」僕より少し下の世代ですが、おもろいことやっておられるなぁ、と関心を寄せていました。
 急接近したのは、大阪に引っ越してこられた数年前からでしょうか。何度か食事をご一緒させてもらったり、企画された催しに伺わせていただくようになりました。彼の切り口が何とも興味深いんですよ。彼はかつて笠姿で中山道を旅しているのですが、その際に撮影した街道の写真を高速スライドショーで上映し、旅の解説を行うといったトークショーも奇抜でしたし、大阪・上町台地の成り立ちやそこにおける人の営みを調査されご案内されたり、センスや視点、そして語り口には大変惹かれるものがあります。
 現在は大阪のデザイン会社を中心に活躍されています。事務所も近いし、互いに何か一緒に仕事ができないかなぁと探り合ってきたのですが、今回ある大学の100周年記念プロジェクトの一部を、竹岡・喜多コンビで取り組ませていただくことになりました。音楽+映像という最も僕が得意としている領域のお仕事になりまして、日々熱いディスカッションを繰り返しております。
 京都のご出身、滋賀で学生時代を過ごされ、大阪に移られてデザインの仕事をなさっていますが、最近居を大阪から滋賀にお移しになりました。やっぱり滋賀が大好きなようで、滋賀の空気を感じ、滋賀の人たちと触れ合っていたいとおっしゃっています。どこかの忘れ物を思い出させてくれるような、貴重なヒントを与えてくれるような竹岡さんが、また滋賀で何かおもろいことをやってくれそうです!

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・
演奏活動を行い、
地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
095鋭い視点と柔和な物腰を兼ね備える竹岡寛文さん.jpg鋭い視点と柔和な物腰を兼ね備える竹岡寛文さん

第94回 ~町の仕掛け人・ゲゲルさん~

2012年6月10日vol.540掲載

 全国の色んな町に、市民レベルのプロデューサーや仕掛け人がおられます。行政や企業に頼まれるわけでもなく、「故郷が好きだ!」と自ら公言し、自主的に町おこしや町づくりを行っている地元のお祭り男です。町が好き、人が好き、話すのが好き、発案が好き、そしてやっぱり飲むのが好きな、ちょっぴり寂しがり屋のおじちゃんと言ったところ、ゲゲルさんもそのお一人です。
 幾度となくゲゲルさんの町へ行きました。プロのイベンターじゃないから仕事は完璧じゃない。企画段階では華々しいが、イベント当日は大コケすることもしばしば。ある時は前夜祭で盛り上がり、飲み過ぎて当日出て来られなくなったり。またある時はきっかけの合図を間違って僕の演奏中に読経が始まってしまったり、とにかく詰めの甘さを挙げれば酒の肴は尽きません。仲間に怒られながら、謝りながら、言い訳をしながら、笑い話にしながら毎度打ち上がるのです。そして次の美酒と笑顔を目指して、日々新たな企画を練るのです。そんなゲゲルさんのことを、みんなは大好きです。
 五月三十日、駅前のきくやのマスターから一本の電話をもらいました。「喜多君にこんなこと言っていいのかな」、兄貴肌のマスターがやけにためらいます。「ゲゲルが死によったんや・・・」突然の訃報でした。ガンだとか、入院していたとか、何も知らされていなかったし。まだまだ五十代で、これからの夢もいっぱい語っていたのに。翌日、僕はゲゲルさんの町にいました。こんなことでこの町に来るなんて、微塵も思っていなかった。バタやんも病気から、オータニさんも大事故から見事な復活を遂げてくれたし、長生きの指令が出ている町だと思っていたのに。
 通夜が終わり、いつもの顔ぶれできくやへ。ここに来れば必ずいるはずの、亡きゲゲルさんを偲びました。「あいつがおらんようになっても、ここへ来てくれよ」、みんな口々に声を掛けてくれました。もちろん。ゲゲルさんのこの町は、僕の第二の故郷のような場所。まだ信じられないけど、また来ます。さよなら、ゲゲルさん。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・
演奏活動を行い、
地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
094ゲゲルさんをステージにひっぱり上げて一緒に歌う.JPGゲゲルさんをステージにひっぱり上げて一緒に歌う

第93回 ~村に幸を寄せる日、大瀧神社古例大祭~

2012年5月13日vol.538掲載

 「帰ってきたってくれたんけ」、独特の湖東弁で地元のおじさんおばさんから愛情ある言葉をかけてもらいました。「ほんなもん、くれるもなにも、祭りぐらい毎年帰ってくるがな」、僕は言い返しました。神輿の道中はおらが村・多賀町大字富之尾、神輿を追いかければ至る所で懐かしい顔とそんな会話が生まれます。
 五月五日晴天、今年も大瀧神社では古例大祭が行われました。舁き番は富之尾・梨の木・楢崎、六年ぶりの登場となります。今年はたまたま父が富之尾区長を担当させていただいていて、神輿行列でも父は先導の大役を仰せつかりました。叔父は最後尾で宮司さんの傘持ちを、従弟は神輿の舁き手を、母は御旅所で休憩のお世話役をと、ファミリー総出で神事に関わらせてもらい、僕は青空のもと大変高揚いたしました。僕は実家で例年の親戚呼び「よびし」があり、今回舁き手としての参加はできませんでしたが、それぞれの役回りで祭りを盛り上げられたことを誇りに思いました。
 「サーンヨーレサンヨレヨー!」、父が先駆けます。「サーンヨーレサンヨレヨー!!!」神輿の男衆が続きます。掛け声と鈴の音は新緑の山々に大きく響き渡り、時折回ったり、高く掲げられる神輿と共に天にも届きそうな勢いです。ギャラリーは何度もカメラを向け、そして拍手を送ります。田植えの季節と夏の始まりを告げる、多賀町大滝地区の風物詩です。
 父のモーニング姿を久し振りに見ました。当日は25度にも迫る暑さ、急な雨にも降られ、道中大変なことだったでしょう。最近更に大きくなったみたいでズボンが破れないか心配しましたが、何とか無事に大役を乗り切らせていただけたようです。祭りというのは全国各地で祈ったり願ったり、それぞれの意味があると思います。そしてそれと共に神輿を担ぎ行列を成すというのは、村が神事を通して一致団結し、平生も協力していくための機会を与えて下さっているような気がしました。掛け声のように、今年も村にたくさんの幸が寄って来てくれることでしょう。みなさん、本当にご苦労様でした。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・
演奏活動を行い、
地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
093モーニング姿の父と今年の舁き手たち.JPGモーニング姿の父と今年の舁き手たち

第92回 ~祝・青木PONPON祭り〈一歳〉~

2012年4月8日vol.536掲載

 ハナエちゃんが一歳になりました。ハナエちゃんとは、大阪梅田のライブハウス「AKASO」の青木店長の娘さん。青木さんは僕ら在阪ミュージシャンにとってお兄さん的存在で、「バナナホール」時代からお世話になってきました。音楽仲間に声を掛け合い昨年の三月二十一日、ハナエちゃん誕生を祝って「祝・青木PONPON祭り」を開催しました。単発のお祝いイベントだったはずですが「今年もやろうよ」ってことになり三月二十二日、「一歳」記念イベントを行いました。
 言い出しっぺは喜多寧さん、「まほろば楽座」時代から同じ喜多姓ということもあって偽兄として慕ってきました。現在は「NolenNiu-de-Ossi」として、盟友・とる子さん、歳森隆史さんと活動なさっています。平野一郎さんは「CHABA」という沖縄バンドで、バナナホールを毎回満員にされメジャーデビューもなさった実力者。岡本規さんは「まほろば楽座」の〈黒子〉という経歴を持つ歌い手さん。そこに今回は若手実力派女性シンガーソングライター・岩崎愛さんをお迎えし、僕(ex.アマネ)を含めた5組で会を進めました。
 どの出演者も素晴らしい演奏で、アットホームな時間が流れました。僕はそれぞれの出演者の幕間にお喋りと演奏をするという重要な役どころ、お祝いのバトンを繋いでいきました。会場には主役・ハナエちゃんも来場、お客さんから写真攻めにあっています。ふと思いついた僕は皆さんにこう問いかけました。「また来年もハナエちゃんのお誕生日をお祝いしたいと思いますが、いかがですか?」と。会場からは大きな大きな拍手がわき上がりました。
 僕も三十五歳。ハナエちゃんを二十歳まで見届けるとしたら五十を超えてるんか・・・。「皆さんもいくつになってることか!」と言ったらあちこちで笑いが起こっていましたが、何だか自然と「やっていきたいな」と感じたんです。自分の子でも親戚の子でもないけど、みんなで集まってワイワイやりたいなと。小さな笑顔が、来年もまた大きな笑顔を呼んでくれそうです。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・
演奏活動を行い、
地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
092アンコールでは出演者全員登場、即興で「Oh Happy Day」を披露.jpgアンコールでは出演者全員登場、即興で「Oh Happy Day」を披露

第91回 ~【またいとこ】のお祝い~

2012年3月11日vol.534掲載
 リョウタ君とチカちゃんは仲良し兄妹で僕の【またいとこ】。このたび二人の卒業と就職が無事に決まりました!昨年は初めて一緒にスキーに行ったので今年も行きたかったのですが、まだお兄ちゃんの国家試験があるので断念。僕が10年来お世話になっている京都のおばんざい屋さんでお祝いをしました。
 「そもそも【またいとこ】の顔とかよくわからん」と友人に言われます。現代社会では【またいとこ】との交流は希薄になっているのでしょうか。中には「【またいとこ】って何?」って言う人までいます。【またいとこ】は【はとこ】とも。つまり親同士が【いとこ】であるという関係です。言い換えると祖父母同士が兄弟であるという関係ですね。各家庭によって交流具合は様々、【いとこ】でさえ接触する機会なく育つこともあるようですが、少なくとも当家では【またいとこ】までは充分にお互いが把握し合っている状況です。
しかしながらリョウタ君もチカちゃんも僕の一回りほど下。つい先日まではずっと子供だと思っていました。親戚のよびしでは顔を合わせても、一緒にスキーに行ったり、一緒に飲みに行ったりする関係になるとは正直想像していませんでした。大学でのこと、高校時代や幼少時代のこと、家族のこと、これからのことなど、おかみさんの京料理に舌鼓を打ちながらゆっくり話しました。知っているようで知らなかった二人のことを知れた貴重な時間になりました。
 「絆やね」、おかみさんが言いました。なるほどな、と思いました。家族とも違う。親友とも違う。幼馴染とも、先輩後輩とも、ご近所さんとも違う。近からず遠からずのこの微妙ともとれる距離感は、いざという時に助け合えるという信用を持ち合わせている素敵な関係であることを改めて感じました。 そして二人から出てくるのは家族への感謝の言葉。二人とも大きくなったなぁ。思いもよらなかったところから仲間が出現してくれたような感じがしました。
 卒業、就職、ほんまにおめでとうな。「また飲もうな!」、そう確認し合って僕らは店を出ました。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち、大阪在住のシンガーソングライター。
日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・
演奏活動を行い、
地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。
公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
2012.03.03筆者近影DADA用.jpg筆者近影

第90回 ~ハタチの思い出~

2012年2月12日vol.532掲載
 1月は全国各地で成人式が行われました。僕はご縁あって奈良県五條市の成人式に、歌を届けに伺いました。
 昨年僕が協力させてもらって制作した同市マスコットキャラクター・ゴーカスター(ゴーちゃん、カッキー、星博士の3体ユニット)のイメージソングを歌ってくれている中山裕美子さんが、このたび新成人となられました。ゴーカスターの面々もお祝いに駆け付け、僕は客席にいる振袖姿の中山さんをステージに呼び寄せました。これからハタチの同級生だけのコンサートです。
 晴れ着で歌う彼女の横、僕はギターでサポートしました。彼女とはまだまだ交流も少ないのですが、審査会、レッスン、レコーディングを通して交わしてきたこれまでのやりとりを思い出しました。一回り以上歳が違うせいでしょうか。大袈裟かもしれませんが、ちょっと親の気分になりますね。責任を持って歌い上げてくれた姿に大変感激しました。
やはり同い年の仲間の活躍は刺激的だったのでしょう。無事に歌い終えると、会場は大きな拍手と歓声に包まれました。しばらくして派手な羽織袴の男の子が一人、アンコールを叫びました。何人かがそれに続きました。恥ずかしがって躊躇する人もいたのですが、彼はホールの客席左から右へ、下から上へとくまなくまわり、みんなをあおり、「アンコール」の声を徐々に広げていきました。こいつ、なかなかやるなぁ。「よし!じゃあもう一回やろう!!」2回目の演奏では興奮した数名が壇上に上がり、一緒に曲を盛り上げてくれました。
 ハタチが歌い、ハタチが盛り立て、ハタチが会場を作り上げたこの成人式は大変心地のいいものでした。最後に市と僕からプレゼント。リリースを10日後に控えた同曲のCDを先行して新成人全員にお配りしました。育ててくれた町との関わり方を考えるきっかけになったかな。中山さんにとっても、同級生のみんなにとっても、一生忘れない成人式となったことでしょう。

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、大阪市在住のシンガーソングライター。日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・演奏活動を行い、地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

Go!Go!五條のゴーカスター・フライヤー

「Go!Go!五條のゴーカスター」/中山裕美子
DRTY-1210 500円(税込)
2012年1月19日全国発売

090中山裕美子さんとゴーカスターと新成人.jpg中山裕美子さんとゴーカスターと新成人

第89回 ~CDデビュー10周年記念ライブと2012年始動~

2012年1月8日vol.530掲載
 あけましておめでとうございます。昨年はCDデビュー10周年を迎えまして、年末に大阪で記念ライブを開催しました。どこをもってデビューかは曖昧なんですが、ファーストCDの制作は大変思い出深い作業でしたし、その1枚目を皮切りに自身でCDレーベルの経営を始めましたので、今回はその軌跡を振り返ってみました。
 前身の3人組ユニット「アマネ」は男女ツインボーカルでしたが、作詞作曲は全て僕でした。なので女性言葉の歌詞もたくさん書いてきました。特に今回は普段歌うことのない、女性言葉の唄をたくさんセルフカバーしました。自分が作った言葉やメロディなのに大変新鮮で、あの頃どのような思いで他人の声を通して伝えたかったのか、客観的に観察する機会にもなりました。古くから応援して下さっていたお客さんには、驚きの選曲だったことでしょう。
 自分が歌う唄は、自分の性格上技術上の得手不得手と対話しながら作ります。一方他人が歌う唄は、自分の声では伝わりにくいことやその魅力が発揮できない部分を盛り込み、少々冒険もします。先日の会場でも「なぜ最近ゆるキャラソングを書き続けるんですか?」と質問をいただきまして、これも前述の理由が当てはまると感じました。自分で歌えない世界を描き、自分がなりえない何かを演じて創作できることが大きな魅力の一つだとお答えしました。10周年を機にこれからも自作自演・自作他演・他作自演と、様々な領域にチャレンジしていきたいと意気込みました。
 さて、昨年11月に多賀町「たがゆいちゃん」に会いに来てくれた奈良県五條市「ゴーカスター」のCD発売が1月19日に決定しました。成人式ほか関連イベントに出演するなど、このリリースが2012年の始動となります。今年も音楽を通じて人と会い、町に足を運び、皆さんと共に幸せを育んでいきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

「Go!Go!五條のゴーカスター」/中山裕美子 DRTY-1210 500円(税込)
2012年1月19日全国発売

喜多充:1977年旧湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち、大阪市在住のシンガーソングライター。日本人にしかできない音楽を目指して日々創作・演奏活動を行い、地元・滋賀に因んだ楽曲も多数生み出している。公式サイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

089_10周年記念ライブにて、普段歌わない唄もセルフカバー.JPG10周年記念ライブにて、普段歌わない唄もセルフカバー
Go!Go!五條のゴーカスター・フライヤー

第88回 ~大和五條のゴーカスターmeetsたがゆいちゃん~

2011年12月11日vol.528掲載
 昨年に引き続き、11月13日に多賀町大字多賀区の文化祭に呼んでいただきました。僕が主役と思って会場入りしましたが、あとには人気の「たがゆいちゃん」が控えており、まさかの前座(!?)ステージでございました。
 僕とたがゆいちゃんが共演するという話を聞きつけて、遠方からあるお客さんがお見えになりました。奈良県五條市の「ゴーカスター」の面々です。ゴーカスターは僕がたがゆいちゃんの次にイメージソングを手掛けた、ゆるキャラ3体ユニットです。この機会にたがゆいちゃんとお友達になりたいと言って来てくれました。4体も並べば小さなステージは占拠状態、思わぬ大物(!?)ゲスト登場で僕の印象は完全にかき消され、ちょっとしたゆるキャライベントになりました。会場はご年配の方が多かったのですが、おじいちゃんもおばあちゃんもキャラ達の柔らかい毛並みを触る撫でるでキャッキャキャッキャの大盛り上がり、童心にお帰りになる様を目の当たりにしました。4体は見事お友達になって無事に終了しました。
 大忙しのたがゆいちゃんは次の訪問先へ移動するとのこと、お友達になったゴーカスターはたがゆいちゃんの働きを視察しようと後を追いました。到着したのは多賀大社、境内には七五三で来社したちびっ子たちに囲まれて写真撮影に応じるたがゆいちゃんの姿がありました。率先して町をPRする活躍ぶりに触発されたゴーカスターも負けじと、ちびっ子の前にゲリラ登場しました。すると多賀では全く無名の彼らのもとにも、ぞくぞくと人だかりができました。そしてどこのなんてキャラクターかもご案内できないまま、ゴーカスターは子供たちの一生モノの記念写真に次々と収まっていきました。子供たちは大きくなった時、どんな気持ちでこの写真を眺めるのでしょうか?
 ゴーちゃん・カッキー・星博士のそれぞれの頭文字を取って名付けられた「ゴーカスター」。無事にたがゆいちゃんに会って多賀デビューを果たしました。いつまでもいつまでもみんなに愛される『豪華スター』で在りますように。多賀大社にお祈りしました。

喜多充CDデビュー10周年記念イベント、大阪にて開催決定!
■12/28(水)『喜多充・10周年だョ!記念忘年会!! with フレンズ in てん』開催!!
大阪南森町・スパイスカフェバーてん
出演:喜多充、おがわてつや(ウクレレ)、戸谷光(from東京)、
Cili Dewi(橘陽子・佐藤智佳子/バリ舞踊)、
とらとうちゃん(大阪・玉造非公式キャラクター)
☆デビューCD「理-コトワリ-/アマネ」から10年。
多岐に亘ったテンイヤーズの活動を振り返りながら、
いま大切な仲間と南森町「てん」で歌い、踊り、語る!!
詳しくは公式サイト「唄屋」でご確認くださいませ。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
088たがゆいちゃん、お友達になってください.jpgたがゆいちゃん、お友達になってください
088多賀大社に豪華スター勢揃い_(筆者中央).JPG多賀大社に豪華スター勢揃い_(筆者中央)

第87回 ~おとうちゃんの味方「とらとうちゃん」まで来彦!~

2011年11月13日vol.526掲載
 去る10月22日・23日は、彦根で「ゆるキャラ(R)まつり」が開催されました。初日の開幕ギリギリまで大雨が降っていましたが、直前に無事に止んで素晴らしいイベントが行われました。僕は楽曲を手掛けた多賀町の「たがゆいちゃん」が今年初公式参加ということと、こちらもまた楽曲を手掛けた大阪府太子町の「たいしくん」がCDを引っ提げて登場するということで、応援に駆けつけました。会場周辺は大変な盛り上げり、特に二日目は出足の遅れた初日のうっぷんを晴らすかのような勢いで来場者が詰めかけ、どちらのステージもブースもたくさんの笑顔が溢れていました。
 僕もこの世界に深く精通しているわけではないのですが、楽曲制作のお仕事を通じてゆるキャラの魅力というものが次第にわかってきました。時折客観的にご来場の皆さんのお顔や、カメラを構える行動を見ておりました。ファミリー、カップル、老夫婦、学生仲間にちびっ子集団、ありとあらゆる世代が一堂に会し、自ずと笑顔になっていくのですね。勝手に顔がほころんでくるし、一般的に喋らないキャラクターに対して丁重に挨拶をしながら写真を撮ったり、礼儀正しくマナーよし、大変健全で微笑ましい取り組みなんだと再確認いたしました。ゆるキャラ恐るべし、このかわいさはこの国を、いや世界をも救うような気さえしてなりません。
 ゆるキャラ好きは子供や女性が主に高じていくものと察していましたが、会場にはこんなキャラクターも来彦しておりました。大阪・玉造からやってきた「とらとうちゃん」です。彼は現役のサラリーマンということで、世のお父さまを応援するキャラクターということだそうです。参加した200体以上のキャラクターの中でも異質の存在でしたね。男の味方とはありがたい。なるほど、これはいい!早速僕も名刺交換をして業務提携を結びました!
 沈みがちのニッポン、元気を取り戻してくれるのはゆるキャラかもしれない!?あながち的外れではないかもしれません。ゆるキャラのみんな、これからも各地に笑顔を届けてね!二日間、ご苦労様でした。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。オフィシャルサイト「唄屋」 http://www.uta-ya.com/

087名刺交換をするとらとうちゃんと筆者1.JPG名刺交換をするとらとうちゃんと筆者

第86回 ~CDをひっさげて、たいしくんがゆく!~

2011年10月9日vol.524掲載
 10月8日にCDデビュー10周年を迎えました。大好きな音楽を長く続けてこられたこと、本当にうれしく思います。これからもいい音楽を作って、皆さんに喜んでいただきたいと企んでおります。
 この10周年のタイミングで発表するCDはキャラクターソングのプロデュース作品となりました。今回手掛けたのは、大阪府太子町の「たいしくん」です。同町ゆかりの聖徳太子をモチーフにして生まれた、ひこにゃん、たがゆいちゃんに匹敵するかわいいキャラクターです。ご担当の方がたがゆいちゃんCD「心ゆいゆい」を聴いてくださって、「『和』を重んじる喜多さんにお願いしたい」とご依頼いただきました。しかもたいしくんが応援する「和菓子」のイメージソングも作ってほしいとのこと。大変な作業でしたが、2曲を同時進行で仕上げました。
 10月1日に京セラドーム大阪で行われた和菓子のイベントにて、先行して歌手と歌のご披露をさせていただきました。歌手は関西でご活躍中のシンガーソングライター「さかいはるな」さん。なんと彼女は滋賀にご在住でして、他府県の歌を滋賀パワーでお作りさせていただいたことは大変心強く、大きなご縁を感じました。イベント当日も迫力ある歌声で初のステージを見事に果たしてくれました。これから「たいしくん」と仲良くしながら、全国の皆さんにその素晴らしさをお届けしてくださいね。
 さて、その「さかいはるな」さんが歌う「たいしくん」のCDは10月22日の発売になります。10月22日と言えば彦根で「ゆるキャラ(R)まつり」が開催される日です。そう、その日にCDをひっさげて彦根に「たいしくんがゆく!」というわけです。スタッフの皆さんも大変力が入っています。僕が生まれた東近江市を中心に、滋賀にも聖徳太子ゆかりの地がたくさん残っています。キャラクターと歌の力で、1400年越しのえにしを更に結び付けていけるような取り組みになっていけばと夢見ています。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。オフィシャルサイト「唄屋」 http://www.uta-ya.com/

086たいしくんCDフライヤー.jpg
「たいしくんがゆく!/わがしのおともだち」
さかいはるな
10月22日発売 DRTY-1109

086さかいはるなとたいしくん.JPGさかいはるなとたいしくん

第85回 ~当然のように朝が来た~

2011年9月11日vol.522掲載
 2011年の夏は充実の夏でした。ゆるキャラソング3曲を制作、舞台「極楽百景亡者戯」の主題曲を含む11曲の劇中曲を歌唱、奈良で行ったお盆の野外ライブも大成功にて終了、そしてこの夏最後のお仕事も大変楽しいものとなりました。
 井上ヤスオバーガーさんは京都在住で関西を代表するシンガーソングライター。氏は前身のバンドで僕は二人組で活動していた10年ほど前、京都のとあるライブハウスでご一緒させていただいたのが出会いです。強烈に印象深いキャラクターと、観客を掴んでは離さないポップな楽曲が衝撃的で、僕はステージに魅了されてその場でCDを買わせてもらったことを思い返します。以降、大変精力的な活動をなさっていること、とてつもなく素晴らしい楽曲を生み出しておられること、自分にはできない多くのことに挑戦されたり、それを成功されている人生の先輩を、敬意を抱きながら眺めておりました。
 ある日「PV(プロモーションビデオ)を喜多君にお願いしたい」と氏はおっしゃいました。待望のニューアルバムを10月5日にリリースされるにあたって、僕も協力できることがあればお声掛けくださいとお伝えしていました。それがミュージックビデオの監督として実を結ぶことになりました。大変時間のない中でしたがスタッフを集め、エキストラ募集を告知し、8月29日、撮影の日を迎えました。場所は京都の長岡天満宮、早朝より快晴。天気はいいが、一番の心配は月曜日の朝に実際何人集まってくださるかということ。
 撮影現場には約30名のスタッフと出演者が集まってくださいました!氏の魅力はその言葉、その音楽が人に伝播していくこと、そして繋がっていくこと。それを表現するために必要で十分な人数とキャラクターにご参集いただきました。冷や冷やしながらも素晴らしい画をカメラに収めることができました。まさにアルバムタイトルのように「当然のように朝が来た」という感じ。充実の夏、愛情あふれる皆さんと、素敵な締めくくりができました。このビデオはテレビやカラオケ、街頭ビジョンなどで放映の予定です。井上ヤスオバーガーのニューアルバム、極上です!

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。オフィシャルサイト「唄屋」 http://www.uta-ya.com/

085当然のように朝が来た.jpg
井上ヤスオバーガー・ニューアルバム
「当然のように朝が来た」
10月5日発売 YB-1004 全12曲収録

085晴天の中撮影を行った.jpg晴天の中撮影を行った

第84回 ~夏のハッピーニュース!~

2011年8月14日vol.520掲載
 7月はおめでたいニュースが続きました。
 まず10日、高校時代の同級生の女の子の結婚式に行ってまいりました。白無垢に、そしてドレスに包まれ、長身でキレイな彼女はさらに美しく輝いていました。懐かしい友人との再会も居心地が良くてすごく楽しかったです。新婦は学生の頃、僕らのステージをよく観てくれていました。そのこともあってか、僕は披露宴でも二次会でも自作曲を歌わせてもらいました。お二人にとって一生に一度の大切な機会に歌わせていただいて、こちらも最高にハッピーな気分になりました。ヒロちゃん、本当におめでとうね。ずっとずっとしあわせになってね。
 そしてその2日後の12日、今度はかわいいかわいいベビーが誕生いたしました。そのベビーの母親は、僕が20年近く一緒に唄を歌ってきた、アマネの石田久美子です。昨年の春に「子供を産みたい」という理由もあって活動を終了したわけですが、無事に健康な女児を授かることができました。まだ本人たちには会っていないのですが写真で見れば、かわいい娘を抱いて、今までに見たことのないような母親の顔になっているではないですか!石田は昨年お父さんを亡くし、つらく悲しい時間を過ごしていました。お父さんは長く病気を患っていらしたようですので、早く孫の顔を見せたいとも考えてきたことでしょう。その夢は叶わなかったですが、赤ちゃんは家族に大きな大きな幸せを運んでくれましたね。出産、おめでとう。ようこそ、赤ちゃん。
 親友から明るいニュースをもらいました。勝手に笑みがこぼれてくるよ。どこに怒りをぶつけていいのかわからないくらい暗く悲しい出来事が多い中で、生涯の伴侶を見つけて新たな家庭を築かれること、そして新たな命が生まれることは、様々な憤りもどこかへ飛んで行っちゃうくらい幸せな気持ちにさせてくれます。「大事な人のそばにいたい」しあわせとは、大きく難しいことじゃなくて、すごく身近でささやかなことなんだと教えてもらいました。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。監修した多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」CD絶賛好評発売中。オフィシャルサイト「唄屋」 http://www.uta-ya.com/

084お二人の新たな門出に際して熱唱.JPGお二人の新たな門出に際して熱唱
084母になった石田久美子とその幸せなファミリー.JPG母になった石田久美子とその幸せなファミリー

第83回 ~ゆるキャラソング依頼、殺到中~

2011年7月10日vol.518掲載
 奈良県五條市に続き、大阪の別の地域からもゆるキャラソングの依頼が舞い込んできました。たがゆいちゃんの時は正直地元への恩返しのつもり。自分が歌う唄ばかりを作ってきましたのに、こんなふうに繋がって驚いています。前者は8月15日に発表、後者はテーマ曲とそのゆるキャラが関わる食品のテーマ曲の2本立てで8月23日に発表とかなり厳しい日程。さぁ大変です!
 前者は多賀町同様に歌詞と地元歌手を公募。4月末より市内15000戸への新聞折り込みとネットでアナウンス、5月いっぱいまで募集しました。6月の3日4日の2日間に亘って審査会、優秀な歌詞1点と、こちらも多賀町同様、19歳の大学生の女性を地元歌手として選ばせていただきました。僕は五條市の様々な場所に足を運び、特徴を吸収し、決定した女の子のイメージも重ねて補作詞と作曲を行いました。何とか6月28日に一発OK。市長さんに「是非うちの町を盛り上げてほしい」とお声掛けいただきましたので、アレンジ、歌唱指導、録音を着実に進め、お盆に開催される吉野川祭りでその日の花火のようにでっかく打ち上げたいと思います。
 一方後者は5月25日のお打ち合わせで「公募はなし、喜多さんに全てをお任せします」と言っていただきましたが、それでも歌手だけはお気持ちを持った方にご賛同いただき、録音に加え、ステージも共にしていただける方をお選びしようと6月27日に審査会を行いました。審査5時間、6時間半に及ぶ前向きな議論が展開されるほど充実したプロセスを踏むことができました。
 ゆるキャラ、ご当地ソングは簡単にはいきません。なぜなら地元の方の大きな思いがあるから。僕はその思いの輪の中に入り、皆さん以上に大きな思いを描いて歌に変換する仕事をさせていただいています。気付かずに来ましたが、自分の得意なことの一つかもしれませんね。それらの曲が聖地・彦根で鳴り響いてくれることを願って、大事に大事に取り組ませていただきます。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
監修した多賀町マスコットキャラクター・
たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」
CD絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
083故郷・多賀にも似た景色を持つ五條市、この町の素晴らしさを曲に盛り込む.JPG故郷・多賀にも似た景色を持つ五條市、この町の素晴らしさを曲に盛り込む

第82回 ~植えられる喜び~

2011年6月12日vol.516掲載
 5月5日、大瀧神社の古例大祭の折、帰郷しました。親戚が集まる喜多家の恒例行事です。おばあさま方を中心に、親戚が顔を合わせて世間話をしながら昼間から夜まで食事をするといったものです。健康に再会できることは幸せなことです。
 僕の叔父は震災後、ボランティアで幾度も被災地入りしています。やはり皆の関心事は現地のこと、現場の様子を直接聞くことができました。やはりテレビや新聞だけでは本当のことは伝わらないんだ、そんな印象を持ちました。同時にその壮絶な状況下、自分に何ができるのか、と更に深く悩みました。実際に被災地に行くことも想像しましたが、足手まといになることは明白。自分の非力さを痛感させられる瞬間でもありました。この3ヶ月、日本中が悩んできたことでしょう。震災の余波を受け、僕自身の生活もどうなっていくのだろうとよぎった時間もあり、義援金を送る以外のことを何も見つけられないまま今日まで来てしまいました。
 祭りの翌週、僕はまた実家に帰りました。普段は父と叔父に任せっぱなしの田植えですが、この日は叔父が被災地へ行くということで、少しでも力になれればと父の助手役に。結局農業に関しても大きな手助けになるようなことはできないのですが、何となく、家族や地域が少しずつ協力し合うことが、今すごく必要なんだと感じました。直接的に東北を助けられることは見つからないのだけど、僕は僕の目の前にあることをできることからやろうと思いました。誰かを助けることが、他の何かの助けになることがあるのかもしれません。
 今年、東北の一部では稲作ができません。何とか植えることはできたものの、先月末の台風で被害に遭われた田んぼもあったようです。この国の当たり前が、今は当たり前じゃない。植えられる喜び、動けることの喜び、育てられる環境への感謝、いただけることへの感謝、父の後ろ姿を見ながら強く感じた田植えとなりました。年に一度しかできない稲作、少しでも早く全国各地で行える日が来ますように。お米の国、ニッポンだから。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
監修した多賀町マスコットキャラクター・
たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」
CD絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
082父の背中を見ながら、植えられる喜びを感じる.JPG父の背中を見ながら、植えられる喜びを感じる

第81回 ~僕はご当地ソングライター!?~

2011年5月8日vol.514掲載
 去る3月20日、多賀町多賀の慶照寺さんで開催いたしました「心ゆいゆいコンサート」に、遠路はるばる奈良県五條市からいらしたお二人の顔がありました。お二人は五條市の市民代表として積極的にイベントなどを開催されている方で、8年前より仲良くさせていただいておりました。
 演奏終了後「遠いところまでわざわざお越しいただいて・・・」とご挨拶申し上げましたら、「折り入って喜多さんにお願いが・・・」と切り出されました。五條市においては、かげろう座ではJRの列車内で、天誅組140年祭では紋付き袴で、吉野川では鯉のぼりの前や花火の前で、料理店で、公民館で、数々の演奏を行ってきました。そして五條市で討幕運動を行った天誅組の物語を歌った天誅音頭を復活させCD化させていただくなど、大変重要な機会をいただいてきました。ワクワクしながら耳を傾けますと。
 「五條市のマスコットキャラクターの歌を作ってください」、二人はおっしゃいました。おおっ、そっちへ来ましたか!多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんのイメージソングを世に送り出したという、僕のそこに食いついてくださいましたか!多賀での演奏後、まさかこんな展開が待ち受けているとは思いもよりませんでした。驚きましたが、大変ありがたいことです。主役は市民、僕は歌作りのサポートという形をお示しして快諾いたしました。
 以前CD化した天誅音頭の物語は、彦根藩とは背反する関係。150年前ならあり得ない者同士が繋がり、またまたいただいたご依頼は、五條市の未来を担う子供たちをワクワクさせてほしいというものでした。これを完成させたら五條のキャラクター達と、「たがゆいちゃん」、そして「ひこにゃん」ら彦根のキャラクターを集めて、それぞれのご当地ソングを歌いたいなぁ、なんて夢も。いつしか僕はご当地ソングライター!?新たな町の歌のご依頼、お待ちしております!!

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。監修した多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」CD絶賛好評発売中。にわかに「ご当地ソングライター」の肩書も浮上。オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

081_8年前の天誅音頭CD化で深まった五條市との交流.jpg8年前の天誅音頭CD化で深まった五條市との交流
081イメージソングを手掛けることになった五條市のキャラクターたち.jpgイメージソングを手掛けることになった五條市のキャラクターたち

第80回 ~泣くこと、そして悩むこと~

2011年4月10日vol.512掲載
 このたびは東北地方太平洋沖地震により、被害を受けられました皆様に心よりお見舞いを申し上げます。地震当日僕は東京におり、人生で初めての大きな揺れを体験しました。以来言葉が見つからない日々、生かせてもらった自分には何ができるのか、自問自答を繰り返しています。
 3月20日、多賀町多賀の慶照寺さんで予定していた「心ゆいゆいコンサート」を行いました。全国的にはイベントの自粛ムードが高まり、主催の方も色々とお悩みになりました。しかし心をゆいゆいし合う為に企画していたコンサートだということで、最後には開催をご決断くださいました。西側で心を繋ぎ合い、その力でもって東を支えたいという思いで僕は会場に向かいました。
 自身初となったお寺コンサート、会場には60名以上の方にお集まりいただきました。ご来場の皆さんもそれぞれに悩まれ、複雑なお気持ちだったことでしょう。自分だけ楽しんじゃいけないな、歌う気分になれないな、そんなご様子も察しました。選曲は直前まで悩みに悩み抜きました。そして僕は、いつも以上にしっかりと言葉をお届けすることをテーマにしてステージに向かいました。お堂の独特な反響によってこだまする大きな拍手に迎えられ、僕は一曲一曲、魂を込めて歌いました。声と、アコースティックギターのみ。この声が僕の喉から真っ直ぐに、お一人お一人に届くようにと歌いました。全12曲、燃え尽きました。歴史あるお寺のパワーにも支えられ、今、この時にしかできないステージをさせていただくことができました。
 「唄は力なり」、そう唱えながらこれまで音楽を続けてきました。しかし大きな悲しみと、想像を絶する被害を前に己の力の乏しさは明白。その中で学んだこと、それは「泣く」こと。連日の報道で毎晩のように涙しました。そして「悩む」こと。誰かのことを思い、大いに悩むことを教えられました。今は正解が見出せませんが、力のない僕はこの2つをしっかり握りしめて生きていこうと決めました。この悲しみを、全員で乗り越える為に。合掌。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。監修した多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」CD絶賛好評発売中。オフィシャルサイト「唄屋」 http://www.uta-ya.com/

080声と生ギターのみで12曲を熱唱.JPG声と生ギターのみで12曲を熱唱
080子供たちと合唱、被災地でも生きる勇気を与えてくれるのは子供たちの笑顔.JPG子供たちと合唱、被災地でも生きる勇気を与えてくれるのは子供たちの笑顔

第79回 ~心と心をゆいゆいするコンサート、開催します~

2011年3月13日vol.510掲載
 突然ですが3月20日(日)に、多賀町多賀のお寺でコンサートを行うことになりました。その名も「心ゆいゆいコンサート」。どこかで聞いたタイトルですよねぇ。そう、「心ゆいゆい」は多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんのイメージソングのタイトルです。実はこのコンサート、たがゆいちゃんがゆいゆいしてくれて生まれたコンサートなんです。主催は歌う会『サンガ』の皆さん。皆さんとは同曲の制作・発表を通じて出会い、10月と11月には大発表のステージにてお歌いいただきました。そしてこのたび、このご縁を更に広げていこうと手作りコンサートを計画してくださいました。
 今回の会場、なんとお寺なんです。お寺って、昔はもっと寄り合いとか、習い事の場所として利用されていましたよね。でも今は特別な行事がないと足を踏み入れる機会もなくなってしまいました。コンサートも特別な行事なんですが、近所の寄り合いのようにしてお越しいただけるといいなって思っているんです。遠くに遊びに行けなくなったおじいちゃんおばあちゃん、日頃は子育てに奮闘して出にくくなった奥様、地元のお寺に行く機会がなくなった若者たち、色んな世代が気楽に聴きに来てくださったらなぁと、あれこれイメージを膨らませております。
 観光協会主導でキャラクターが決まり、歌ができ、CDを発売した訳ですが、本当に大事なことはこうした町民の心と心の交流ですね。キャラクターや歌のきっかけを大いに利用し、うまく遊び、人と人の繋がりが生まれること、それが最も重要なことだと思います。こんなに早く実現できることを、とてもうれしく思います。
 当日はやはり参加者全員で、「心ゆいゆい」を大合唱したいですね。みんなを繋いでくれた歌で、さらに心と心をゆいゆいしたいと思います。そして共に育みましょう!日曜のお昼間です。是非ご参加くださいませ。

「心ゆいゆいコンサートvol.1」
日時:3/20(日)13:00開場、13:30開演 場所:慶照寺(滋賀県犬上郡多賀町多賀411)
料金:1,200円(お茶・お茶菓子付) 出演:喜多充、宮戸有子(サンガ)

■参加には事前のお申し込みが必要です。
前日3/19(土)までにEメール dew@uta-ya.com か、留守番電話 06-6375-2126 まで、
お名前・ご連絡先・参加人数をお伝えください。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
監修した多賀町マスコットキャラクター・
たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」
CD絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
079昨年秋、〈サンガ〉の皆さんと.JPG昨年秋、〈サンガ〉の皆さんと

第78回 ~縁を宝にし続ける為に~

2011年2月13日vol.508掲載
 今僕は怒っています。狐につままれた筈もなく、それはそれは厳しい現実。歳を重ねる毎に学習してきたつもりですが、今回ばかりは思い描いたようにことが進みません。人に裏切られ、久し振りに怒りを覚えました。これまでうまく来すぎていたのか、それとも、やはり人生にとって一大事なのか。
 出会いは最も大切な宝でありますが、それを宝にし続ける為には互いが努力をし、己の看板に責任と誇りを持って生きていくことが必要であると常々思ってきました。出会わせていただいた方に失礼のないよう、一生懸命取り組んできました。しかしどうでしょう。命懸けの仕事をするも、担当の方とは大変な温度差を感じています。無責任な発言が続き、体力的にも精神的にもかなりしんどくなっています。
 高校時代の親友が旧正月で台湾から一時帰国しました。彼は商社で電子部品を大手メーカーに販売するバリバリの営業マン、数年前から家族を伴って台湾で働いています。日夜日本語・英語・中国語を巧みに使い世界と戦っている、僕の自慢の親友です。その彼の日頃の様子を訊くと、「国語の違う、文化の違う人を相手に毎日謝っているよ」と言います。規模も大きいだろうし、日本人のように心を汲みとるということも少ないだろうし、想像を絶する駆け引きが行われていることでしょう。彼の境遇とは天と地ほど違うことはわかっていながら、彼にこうぶつけました。「これは僕のエゴなのかなぁ?」その彼は、「うーん」と一瞬考えた後、こう答えました。「みっちゃんは、みっちゃんらしくていいよ」
 縁(えにし)は、時として痛みを伴うことがあります。いい出会いばかりではないようです。一生懸命やっても解決しないことがあるようです。裏切られることだってあるようです。でも、自分は自分らしくて、いいのかな。親友は世界で謝っています。僕は・・・、ケンカしようかな。理由なく無責任になられるのはやっぱりおかしいと思うんです。だから自らの信念・信条に基づき、手を抜かず戦ってみたいと思います。親友との素敵な出会いを、宝にし続ける為に。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
監修した多賀町マスコットキャラクター・
たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」
CD絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
078.JPG筆者近影

第77回 ~CD「心ゆいゆい」緊急発売~

2011年1月9日vol.506掲載
 あけましておめでとうございます。突然ですが、たがゆいちゃん・イメージソング『心ゆいゆい』、大好評につきCDを緊急発売いたしました!!
 昨年秋の大発表に際して音源は完成させたものの、リリースに関しては全くまとまっておりませんでした。そんな折に多賀観光協会の方の一言。「せっかく作ったんやし、正月に間に合わそまいかー」。その時点で正月まで2ヶ月を切っておりましたし、十分な準備を考えるとあまりにも時間が無さ過ぎるので、その言葉を疑いました。「ちょっと、ちょっと、気軽に言わはりますけど・・・」。しかし考えてみますと多賀町に最も多くの方がおいでくださるのはお正月、やはりこの勢いで制作するのが一番だな、と奮起いたしました。
 それからというもの、音源のマスタリング・たがゆいちゃんのジャケット撮影・観光名所の写真手配・販売店さん向けの資料作り・全国販売へ向けての交渉などなど、猛スピードで準備いたしました。多賀町においては、昭和60年に町制30周年記念として発表された「多賀音頭」以来25年ぶりのご当地ソングということになります。事の重大さを痛感しながら、いい仕事をさせていただかないと、という気持ちで取り組ませていただきました。
 12月29日、プレス工場から真新しいCDが届きました。何とか2011年の幕開けに間に合わせることができ、胸を撫で下ろしております。この曲がますます皆さんのお耳にとまり、様々な世代が交流できるツールに育っていくこと、町を活気づける遊び道具になってくれることを願っています。こんな取り組みを通して本年も、皆様との縁を楽しんでまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。

多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」CD
2011年1月1日発売/500円(税抜476円)/DRTY-1108
収録曲1.オリジナル2.おけいこ用3.カラオケ 全3曲入り
■販売
多賀観光案内所・もんぜん亭・多賀町内土産物各店、アマゾン他全国のCD取扱店
■「心ゆいゆい」購入・販売に関するお問い合わせ
一般社団法人 多賀観光協会 多賀町多賀389-1 TEL・FAX:0749-48-1553

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
077心ゆいゆい.jpgCD「心ゆいゆい」

第76回 ~「心ゆいゆい」大発表、第2弾~

2010年12月12日vol.504掲載
 「かわいいっ!」おばちゃま方の大きな声が、多賀福祉会館に響きます。多賀町マスコットキャラクター「たがゆいちゃん」の登場で、11月7日に開催された多賀区文化祭は大きな盛り上がりを見せました。たがゆいちゃんの存在とかわいさは、徐々に浸透してきたように思います。
 10月の「多賀ふるさと楽市」に引き続き、たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」の2度目の大発表を行いました。披露は地元コーラスグループ「歌う会 サンガ」の皆さん。もちろんご来場の皆さんに歌詞カードをお渡しし、客席を巻き込んでの大合唱です。いずれは多賀町外の人に認知していただき、この町に足をお運びいただくことが「心ゆいゆい」最大のテーマですが、まずは地元の方々に知っていただかなくてはなりません。町内最大の大字における文化祭出演ということで、絶好の機会をいただきました。
 今回はたがゆいちゃん登場の前に、自分の曲も数曲歌わせていただきました。普段創作している楽曲を演奏することで、喜多充はどんなことを考えている奴か、少しでもご理解いただけるのではと考えました。家族や故郷のことを書いた「二十七」、いつか報われる日が来るんだという「つぼみ」、そして多賀の山や森を守りたいという気持ちで書いた「ハッピィフォレストツゥユー」。これらの唄を通して、どんな思いで本作「心ゆいゆい」に至ったのかという部分も、しっかり伝わったのではないかと感じています。
 今後もあらゆる角度からあらゆる方法で、多賀町の魅力、たがゆいちゃんのかわいさ、「心ゆいゆい」を歌う楽しさをお伝えしていきたいと思います。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第1期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/
076かわいさに磨きをかける「たがゆいちゃん」.JPGかわいさに磨きをかける「たがゆいちゃん」

第75回 ~「心ゆいゆい」レコーディングと大発表~

2010年11月14日vol.502掲載
 多賀町マスコットキャラクター「たがゆいちゃん」のイメージソング「心ゆいゆい」を歌ってくださるのは、オーディションで決定した町内出身の女子大生・成宮なつきさん(19)。ご本人と筆者、同曲編曲者の和田俊輔氏が京都に集まり、ボーカルレコーディングを行いました。和田氏は、筆者が昨年アマネ名義でリリースしたアルバム「ニッポン」のプロデューサー兼アレンジャー。以前にもお芝居の曲や、映画の主題歌の仕事を共にし、サウンドワークに関して大変信頼を寄せています。本格レコーディングは初めての経験だった成宮さん、最初は緊張の面持ちでしたね。一人きりの録音ブース、いざマイクの前で歌うというのは誰でも緊張するものです。和田氏の優しいアドバイスに助けられ、見事に歌いきってくれました。
 そして10月17日、ついに公の舞台で「心ゆいゆい」を大発表する日を迎えました。多賀大社前駅駅前に作られた「多賀ふるさと楽市」の特設野外ステージです。この日は学業を優先して成宮さんは登場できなかったのですが、地元を拠点にご活躍いただいている歌う会〈サンガ〉の皆さんを中心に、約40名の方にご登壇いただきました。たがゆいちゃんと同じ舞台に立ち、客席の皆さんと共に大きな声で歌いました。歌い終わった後、会場全体が温かい拍手に包まれました。
 自作自演の唄は自己責任なので、誰に何を言われても構わない。しかし今回のようにプロじゃない方と共に作り、共に有するというのは、非常に重圧の大きいものだと感じました。できあがった曲によっては、多数のご批判を受けるのではないかと不安もいっぱいでした。そんな日々を乗り越えての大発表、そして町民の皆さんからの大きな拍手、正直うれしかったです。心地いい秋空の下、曲の完成を町民の皆さんと楽しく祝うことができて、何にも代えがたい高揚を感じました。
 大変な取り組みは、やり遂げた時、やっただけのことがあります。産みの苦しみがあったものには、必ず大きな喜びがついてきますね。「心ゆいゆい」が完成してホッとしましたが、休む間もなく新たな仕事に着手します。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

075初めての本格レコーディングで見事に歌いきった成宮なつきさん.jpg初めての本格レコーディングで見事に歌いきった成宮なつきさん
075歌う会〈サンガ〉の皆さんと大合唱で披露.jpg歌う会〈サンガ〉の皆さんと大合唱で披露

第74回 ~「心ゆいゆい」女性歌手オーディション~

2010年10月10日vol.500掲載
 多賀町マスコットキャラクター「たがゆいちゃん」イメージソング「心ゆいゆい」制作プロジェクトも、詞・曲・アレンジが完成してようやく形になってまいりました。これまでキャラクター・名前が決まり、詞が決まりと、公募によってご意見を伺ってきたわけですが、これが全て町外の方の作品ばかり。このままでは少し寂しいなぁ、と感じておりました。
 そこで、やはり「発信は町内から!」と決心いたしまして、「心ゆいゆい・女性歌手募集、対象は多賀町在住・在勤・出身」という公募を打ちました。歌が好きでも録音したり、人前で歌うなんていうことはハードルの高いこと。正直言いますと、町内限定では応募が全く無いかもしれないと悩みました。でも、やってみたいと思ったんです。ダメだったらプロに頼めばいい、一度多賀町で挑戦してみようと考えました。
 9月19日、オーディション会場である多賀町中央公民館には、数名の参加者のお顔がありました。よかったよかった。僕の思いが届いたのか、参加者皆さんから「多賀から発信したいと思って」と言っていただき、安堵しました。それぞれに面談、歌唱テストをさせていただき、後日お一人の方を選ばせていただきました。多賀発、女性シンガーの誕生です。
この楽曲は多賀町民みんなのもの。町民全員が口ずさみ、この町に生きる喜びを確かめ、この町の素晴らしさを町外の方にお伝えしていけることを夢に描きながら、最後の仕事に取り組んでいます。10月17日「多賀ふるさと楽市」にて、初披露いたします。お楽しみに!

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。
8年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、
2010年4月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

074審査会ではお一人ずつ面談と歌唱披露を行ってもらった.jpg審査会ではお一人ずつ面談と歌唱披露を行ってもらった

出演情報
■10月17日(日)「多賀ふるさと楽市」多賀町・多賀大社前駅前から門前町絵馬通り(多賀大社参道)一帯・「心ゆいゆい」発表は午前10時50分頃・無料
■11月7日(日)「多賀区文化祭」多賀町・多賀福祉会館・「心ゆいゆい」発表は午前10時頃・無料

第73回 ~滋賀でリア充の喜多充~

2010年9月12日vol.498掲載
 突然ですが、「リア充」という言葉をご存知でしょうか?「リアル(現実)の生活が充実している人物」を指す言葉だそうで、インターネットを中心に広まりました。この言葉を初めて目にした時、自分の名前「喜多充」に似ているけど、何のことだろうなぁと思いました。
 最近の僕はとてもリア充、特に地元での出来事を通して実感します。ご近所さんや親戚からの反響が大きかったNHK大津放送局出演。やはりテレビの影響力は凄かったです。そして大阪や奈良の音楽仲間を引き連れて八日市で開催したイベント「風穴キッス ―八月八日八日市で興奮―」。公私共に敬愛する仲間たちと江州音頭の大セッションを行うことができ、翌日にはネーミングの基となった「河内風穴」を堪能し合うことができました。
 そして二年ぶりになる「ハッピィ・フォレスト・プロジェクト二〇一〇イン多賀」の開催。前回よりもたくさんの食・ものづくり・音楽が集まり、ステキな森の祭典になりました。このイベントの為に「ハッピィ・フォレスト・ツー・ユー」というテーマ曲も作曲させていただきました。今までたくさんの恵みを与えてくれた森に感謝して、今度は僕らがお返ししようという唄です。
 地元って優しいし、その上大きな力を与えてくれます。「滋賀」に生まれ育ったことで、相当助かってるなぁ、生かされてるなぁ、と感じます。この夏も滋賀でリア充の喜多充でございました。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。
八年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、二〇一〇年四月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

073八月八日、風穴キッス.JPG八月八日、風穴キッス

募集情報:
『喜多充プロデュース・女性歌手募集!』
多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃんイメージソング「心ゆいゆい」(筆者作曲)が完成いたしました。そこでこの曲を、CDレコーディングやライブで歌ってくださる女性を募集いたします!対象は多賀町在住・在勤・出身のいずれかで、十八歳から三十五歳までの多賀好き・歌好き女性。是非あなたの美声を響かせてください!応募締切・九月十八日(土)、審査・翌十九日(日)詳しくは多賀町観光協会観光案内所[〇七四九・四八・一五五三 http://www.taga-kankou.com/]まで

第72回 ~NHKにて、生涯初のスタジオライブ~

2010年8月8日vol.496掲載
 七月三十日、NHK大津放送局の人気番組「おうみ発610」の放送で歌わせていただきました。観客なしでカメラ相手というのは難しいものですねぇ。普段と勝手が違いましたが、大変いい勉強になりました。
 一曲目は、アマネ時代にマキシシングルのカップリング曲としてリリースした「つぼみ」、石田久美子が歌っておりましたが、今回はセルフカバーに挑戦してみました。女性目線の歌詞ですが、最近では男の自分が歌ってもぴったりだと感じています。続いてはスペシャルゲスト・たがゆいちゃんの登場!収録前日に、彼女のイメージソングのサンプルができあがってきましたので、その音源と共に登場してもらいました。秋頃完成を目指して、こちらもラストスパートで取り組みます。
 彼女に見守られながらの二曲目は、アルバム「ニッポン」に収録している「二十七」です。自分が生まれた時の父親の年齢、二十七歳に自分がなった時の思いを詰め込んだ唄です。テレビは歌詞が出るのですねぇ。歌番組やカラオケでは馴染みのことですが、自分の歌詞が実際にテレビで表記されるのは感動です。最近はじっくり歌詞を見ながら音楽を聴くという聴き方が少なくなっているような気がしておりましたので、大変ありがたく思いました。
 同番組のキャスターであり、窓口になっていただいた藤村周子さんには大変お世話になりました。放送後、視聴者の方からメールやメッセージをたくさんいただき、テレビの力に改めて驚きました。生涯初のスタジオライブは無事に電波に乗り、滋賀県の多くの方々に僕の唄を知っていただくことができました。関係者の皆様、本当にありがとうございました。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。
八年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、二〇一〇年四月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

072_左からNHK藤村周子キャスター、多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃん、筆者.JPG左からNHK藤村周子キャスター、多賀町マスコットキャラクター・たがゆいちゃん、筆者

出演情報:
八月八日(日)
「風穴キッス ―八月八日八日市で興奮―」東近江市・太子ホール・午後二時開場・二時半開演・前売一〇〇〇円・当日一五〇〇円・問)〇七四八―二五―二八〇五
/九月四日(土)五日(日)
「ハッピー・フォレスト・プロジェクト二〇一〇」多賀町・高取山ふれあい公園・問)〇八〇―四二四〇―二四一五 

第71回 ~八月八日八日市で興奮~

2010年7月11日vol.494掲載
 五月に取り組んだ「ストリートスタイルミュージック奈良」が終了し、達成感と寂しさに包まれた日々を過ごしておりました。大変でしたが、終わってみると素晴らしい仲間に恵まれた素敵なイベントでした。またあの仲間と何かやりたい!と感じましたので、早速企画いたしました。「よし、大切な仲間を滋賀に連れて帰ろう!」
 大事な友人は自慢の故郷に連れて帰る、これは昔から心掛けてきたことです。今回は全員がミュージシャンということで、やはりライブを行うことに。八月八日に東近江市の太子ホールで開催することになりました。同会場がある旧八日市は、かつて八の付く日に市が行われたことで名付けられたのですよね。昔はすごく元気だったんだろうなぁってことでこの日に決定。八月八日八日市、並べただけで興奮しますね。八って末広がりですし、とても幸せな気分になります。
 出演はわたくし「喜多充」、奈良より「ノレンニゥー・デ・オッシ」「岡本規」、大阪より「オクタヴィオ」「アチャコ・マイノリティ」、みんな愛情溢れる戦友です。タイトルは直接東近江に関係ないのですが、多賀町にある「河内風穴」よりのインスパイアで「風穴キッス」と仲間が決めてくれました。地理的には無茶苦茶ですが色々調べてくれたりして、滋賀を楽しみにしてくれていることがヒシヒシと伝わります。何と前売一〇〇〇円、気軽に足をお運びいただき、僕らの友情に触れていただけると幸いです。
 七月三十日にはNHK大津局に出演、八月には前述の「風穴キッス」、九月には多賀で野外イベントと、地元で熱く繰り広げる二〇一〇年夏のスケジュールです。どなた様もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。
職業、唄屋。
八年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、
二〇一〇年四月より
「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」
絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」
http://www.uta-ya.com/

出演情報:
七月三十日(金)
NHK総合テレビ「おうみ発610」
午後六時一〇分より
/八月八日(日)
「風穴キッス -八月八日八日市で興奮-」
東近江市・太子ホール
午後二時開場・二時半開演
前売一〇〇〇円・当日一五〇〇円
/九月五日(日)
「ハッピー・フォレスト・プロジェクト二〇一〇」
多賀町・高取山ふれあい公園

第70回 ~たがゆいちゃんの唄作りⅡ~

2010年6月13日vol.492掲載
 ソロ活動開始、そして「ストリートスタイルミュージック奈良」というイベントの出演や実行委員としての仕事で大忙しの四月・五月でしたが、もう一つの大プロジェクトも全力で取り組んでいます。多賀町のマスコットキャラクター「たがゆいちゃん」のイメージソング制作です。一般の方からご応募いただいた作品の中から、先日の審査会で「心ゆいゆい」という詞が優秀作品賞として採用され、その素晴らしい詞をどう活かそうか日々奮闘しております。
 キャラクターの彼女(!?)はと申しますと、四月二十日に多賀大社にてご祈祷を受け、二十二日には同社古例大祭でデビューを果たしました。五月に入ってからも各地で連日行われているイベントに出演中で、予想以上の反響をいただいているとのことです。うれしい情報を伺うと士気が高まりますね!一刻も早く完成させなければという焦りと、少しでもいいものを作りたいという思いで葛藤しているのも正直なところ。いいものを早く完成させたいです。
 考えてみますと、他人が書いた作品に曲をつけたり、監修するという経験はそれほど多くありません。古くは中学時代にクラスメートが書いた詞をまとめて学級歌を作ったことや、最近では中学生の女の子が書いた詞に曲をつけて歌ったりもしておりますが、普段はもっぱら詞も曲もオリジナルです。オリジナルですと全ての責任は自分にありますので、それだけに自由に作って歌えるという気軽さもあります。しかし今回はそういうわけにもいきません。詞の作者の方、スタッフの方、多賀町民の夢を乗せて、大きく羽ばたく音楽に仕上げるという使命を担っています。僕にとっても新たな挑戦、自分の思いやセンスを加えながら、たがゆいちゃんや応援してくださる方々に喜んでいただけるものをご披露したいと思います。
 たがゆいちゃんのかわいさ、子供からお年寄りまで口ずさめるシンプルさ、多賀の魅力を伝える温かさ、そんな要素をただいま一曲に注ぎ込んでおります。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。職業、唄屋。
八年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、
二〇一〇年四月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

070たがゆいちゃん.jpgたがゆいちゃん

出演情報:
七月三十日(金)NHK総合「おうみ発610」
八月八日(日)東近江市・太子ホール
九月五日(日)「ハッピー・フォレスト・プロジェクト二〇一〇」多賀町・高取山ふれあい公園 

第69回 ~たがゆいちゃんの唄作り~

2010年5月9日vol.490掲載
 第一期アマネの活動終了を控え、今後の取り組みを模索していた時、地元・多賀町観光協会から一本の依頼をいただきました。「多賀町のマスコットキャラクターのテーマソングを、監修してくれないか」と。大変興味深いお話で、新たな一歩を踏み出すに相応しい依頼だと心を躍らせました。
 観光協会では、キャラクターデザインや名称を公募され、一般の方を巻き込んだ展開で「たがゆいちゃん」を決定されてきました。今や「ゆるキャラ王国」と呼び声高い滋賀県、その中で重鎮・ひこにゃんの足元に少しでも及べればと、多賀町も力がこもります。公式テーマソングもやはり一般の方々から公募し、みんなで生み出し、みんなで育て上げる方向に決定いたしました。キャラクターを描く、名前をつけるといった作業よりハードルが高いというのに、全国から力のこもった作品が寄せられました。書いていただく方も大変だったと思いますが、選ぶ方も本当に大変でした。
 四月十六日、多賀町立博物館にて応募いただいた作品の審査を行いました。どの作品も非常に感情豊かで、たがゆいちゃんのかわいさ、多賀町の魅力をふんだんに盛り込んでいただいていました。甲乙つけがたいとは正にこのことですね。キャラクターや名称の審査会は立ち会っておりませんが、おそらく直感で「いい!」と思えるものを選ばれてこられたと思います。がしかし、歌詞というとなかなかそうもいきません。「こっちのこの言葉がいいな」、「あっちのあの表現がいいな」など、審査委員の皆さんも非常に悩まれました。でも優秀作品は一点しか選べません。全ての歌詞とにらめっこ、「うーん、これだ!」一斉に挙げると、全員が同じ作品を選んでいました。あら、皆さんも同じことを思われていたのですね。
 こうして素敵な歌詞が一点決定いたしました。そして今僕は、この歌詞をもとに鋭意作曲中であります。新たな僕のスタートは、お世話になった地元への恩返しの機会となりそうです。「たがゆいちゃん」の唄作りを通して、今日も故郷に思いを馳せています。

069テーマソング審査会.jpgテーマソング審査会

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、
多賀町育ち。
職業、唄屋。
八年半に亘る第一期「アマネ」の活動を経て、
二〇一〇年四月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
最新アルバム「ニッポン/アマネ」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第68回 ~岐路とは、ここか~

2010年4月11日vol.488掲載
 三十三年の人生の中で、何度か岐路に立ったことがあります。卒業や進学といった、全国的同時多発的に道を問われるケースがほとんどでありましたが、自分自身で英断したものも僅かながら経験してきました。今回の選択は、自分で決めたようで、それでいて自然な流れでもあるようで、初めての体験といっても過言ではない不思議な空気に包まれているような感じがしています。
 二〇一〇年三月、第一期・アマネ活動終了。二〇〇一年十月より三人で始めたアマネは、八年半の演奏活動に終止符を打ちました。理由はメンバーの石田久美子が、出産・育児に向けた主婦業に専念するというものです。石田久美子とは米原高校時代の同級生、クラスは一緒になりませんでしたが音楽の授業を通して知り合い、以来活動を共にしてきました。人生の半分以上同じ目的を持って活動してきましたから、この形を終えることはにわかに信じ難い事実であります。ラストツアーとなった三月五日の東京、二十日の多賀、二十六日の京都、二十七日の大阪公演を終えた今も、もう一緒にステージに立たないということが想像できません。
 最終の大阪公演ステージ上、石田久美子は手紙を読んでくれました。突然の演出で、このようなものを用意していたのかと驚きました。涙ながらにこれまでの思い出と、感謝の思いを伝えてくれました。僕は泣くつもりはなかったのですが、客席から聞こえる泣き声に、なんだかつられてしまいました。会場にいる者すべてが、同じ気持ちになって聞いていたと思います。なくなる寂しさと、それぞれの次のステージへのエールと。
 岐路とは、ここか。ちょっと遅すぎますが、一つの青春が終わりました。これから僕は、ソロ活動を始めます。メンバーがいることで頼ってきた自分、安心してきた自分から成長して、今こそ独り立ちしなくてはなりません。メンバーやスタッフのみんな、ありがとう。毎回ステージに足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。二〇一〇年四月、新たな一歩を踏み出します。

068多賀町立博物館にて.JPG

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
二〇一〇年四月より「喜多充」名義でソロ活動開始。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第67回 ~人情の町に唄が響く~

2010年3月14日vol.486掲載
 「三月いっぱいで第一期アマネ、活動終了」と告知しましたところ、各地より「終わる前に歌いに来て!」とお声掛けいただきました。ひょんなことから繋がり、最後に熱烈オファーをいただくなんて、本当に僕たちアマネは幸せ者です。
 二月十四日、尼崎のファンの方の発案で「バレンタインデーにエジプト料理店でニッポンを歌う」というライブを行いました。国境や文化を飛び越えた奇天烈なタイトルがついておりますが、愛情たっぷりのイベントになりました。組み合わせこそありえないですが、アマネをきっかけにエジプト料理を初めて食べた人、エジプト料理をきっかけに初めてアマネを聴いた人、そんな人たちがバレンタインデーに一堂に会するわけです。満員御礼のエジプト料理店は興奮と独特のスパイスの香りに包まれました。
 二月二十八日には、奈良県五條市に伺ってきました。七年前にこちらの「新調天誅音頭」で起用していただいて以来のお付き合い。天誅音頭は討幕派の天誅組、こちらは徳川幕府派の彦根藩、水と油のような関係も、我々が百五十年来の架け橋になったと自負しております。(天誅と叫ぶ者が、村山たか女を京都三条大橋で晒し者にしたくだりは、CD「新調天誅音頭」のライナーノーツに記しております)病気や怪我でしばらくお会いできなかった方も来てくださり、皆で「エッサーエッサー」と大合唱。縁もゆかりもなかった五條に、微力ながらも小さな種を蒔けたような気がしました。
 いずれのイベントも、最後はやはり大宴会。自分たちが歌うことで普段合わさない顔と出会い、普段交わさない会話が弾みました。唄に特別大きな力があるわけじゃないですが、人の心を通わせる力があるのかもしれません。人情の町に僕らの唄が響きました。三月二十日は多賀町立博物館で歌います。こちらも人情の町、最後に地元で響かせますね。

067尼崎エジプト料理ピラミッドにて、後方は店主ラエドさん.JPG

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ出演情報
三月二十日(土)多賀町四手・あけぼのパーク多賀内 多賀町立博物館
「春のあけぼのSPRINGコンサート-アマネLIVE-」午後七時半開演 無料
お問い合わせ 〇七四九・四八・二〇七七

第66回 ~保育園の先生と歌う~

2010年2月14日vol.484掲載
 去る一月三十日、アマネの地元出身メンバーである僕と石田久美子で、彦根市保育協議会さんの新年総会にお邪魔いたしました。会場には彦根市にある保育園の先生方が二百人以上お集まりになりました。ほとんど女性の先生だろうなぁと想像しておりましたが、何と客席の九割以上が女性という初体験のコンサートになりました。男性保育士さんってまだまだ少ないようですね。
 思い返すと僕も保育園時代、先生方に大変お世話になりました。三十年近くも前のことなのに、先生のお顔やお声もはっきり覚えています。部屋の間取りや、置いてあったおもちゃ、使っていたお昼寝の布団の柄まで覚えています。保育園は生まれて初めての社会生活の場所。将来を担う大事な子供さんを預かるというすごく大変なお仕事をされているのだと、先生方に改めて尊敬の念を抱きました。
 僕らは家族や故郷に対しての思いをテーマに歌ってきましたが、そこはやはり先生方、すごく真剣に受け止めてくださいました。僕たちの先人たちが残してくれた大切な唄、「江州音頭」を演奏した際には、普段保育園に響き渡っているであろう美しい歌声でご唱和いただきました。お帰りの際にも握手を求めてくださったり、CDをご購入いただいたり、とても楽しい時間を過ごさせていただくことができました。石田は市内しあわせ保育園出身、恩師にお会いすることができ、大変喜んでおりました。
 彦根市の保育士の皆様、これからも明日を担う町の宝、子供たちのお世話をどうぞよろしくお願いいたします。
 突然ですが、アマネはこの三月をもって第一期の活動を終了いたします。八年半という長い時間、ご声援をどうもありがとうございました。滋賀県内では三月二十日、多賀町立博物館で最後のコンサートを開かせていただきます。皆さんへの感謝の思い、魂を込めて歌います。是非会いにいらしてください。

066彦根市保育協議会.JPG

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ出演情報
三月二十日(土)多賀町四手・あけぼのパーク多賀内 多賀町立博物館
「春のあけぼのSPRINGコンサート-アマネLIVE-」
お問い合わせ 〇七四九・四八・二〇七七

第65回 ~歌いっぱなしは嫌だから -唄屋の宴、開催-~

2010年1月10日vol.482掲載
 あけましておめでとうございます。昨年は初のフルアルバムリリースにライブツアー、児童との創作や凱旋コンサートなど盛りだくさんの一年で、大変有意義な年になりました。ここで十二月五日、六日に行いましたお泊りイベントのご報告を。
 普段演奏を行っているライブハウスというところは、演奏が終わると清掃が始まったり、終電時間が迫ったりでゆっくりお客さんとお話しできません。こんなことなら、みんなでお泊りしよう!と考えたのが「唄屋の宴」です。今回は近江八幡市で敢行いたしました。
 会場は築百年の木造建築、かつては蒲生郡勧業館として使われていた近江八幡ユースホステルです。そこに音響機材を持ち込み、約九十分の演奏をお楽しみいただきました。普段の演奏よりも倍以上時間がありましたので、トークをはさみながら一曲一曲丁寧に歌うことができました。空間というのは演奏にとって非常に大切な条件で、木造の佇まいや響きは感動的な演出につながりました。その後はお客さんのお力添えもいただき、お鍋の準備。共同作業は合宿や修学旅行のような感覚、これもまた宴の楽しみで、学生気分を味わっていただきました。地元名産のバームクーヘン豚をいただき、抽選会では地酒、赤こんにゃく、丁字麩をお配りし、滋賀の味を散りばめた宴会は大いに盛り上がってお開きとなりました。参加者約五十名のうち半数ほどがお泊りいただき、終電や就寝を気にせず、普段できない話を色々とさせていただきました。翌日は地元ボランティアガイドさんにご協力賜り、徒歩で三時間の近江八幡観光。歴史溢れる町を、参加者全員で体感することができました。
 人に歴史があり、歴史に人があります。唄、食、人、町に触れ、人間の営みを確認することって本当に大切だなと、改めて感じた宴となりました。歌手だからって歌いっぱなしは嫌だから、これからも皆さんと交流を深めていける企画を考えていきたいと思います。参加者の皆様、ご苦労様でした!

065唄屋の宴5.JPG

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ出演情報
三月二十日(土)多賀町四手・あけぼのパーク多賀内 多賀町立博物館
お問い合わせ 〇七四九・四八・二〇七七

第64回 ~子供も楽しい、大人も楽しい~

2009年12月13日vol.480掲載
 ある時、僕たちアマネのファンの方からこんなお願いをされました。
 「私が勤めている児童館で、子供たちに音楽を聴かせてもらえないでしょうか」
と。その方は神戸の児童館の先生で、何度か僕たちのステージをご覧いただいていたのですが、突然のこのご依頼には少々戸惑いました。子供向けの唄を歌っているわけじゃない、子育てもしたことがない、本当に僕らでいいのだろうかと。しかしながら新たな挑戦だと思い、手探りで子供たちとの唄作りワークショップ『きみも音楽家(ミュージシャン)』を始めました。それから三年間、定期的に児童館を訪れ、低学年の子供たちと共に遊び、その遊びやお題に基づいたオリジナルソングを作ってきました。これがなかなかの名曲揃い、子供たちのセンスは素晴らしい。正直、毎回驚きと感動を覚えました。
 去る十一月十五日、いつもなら子供たちだけの児童館に、保護者の方やご近所の方をお呼びし、アマネのコンサートを開きました。大人向けと謳っておりましたが、共作仲間の子供たちも集まってくれました。子供たちは普段のアマネの唄を知りません。また大人の方々も、子供たちと僕らがどんな唄を作ってきたのか知りません。そんな幅広い観客が集まった児童館で、アマネの唄と児童館オリジナルソングを織り交ぜた演奏を行いました。オリジナルソングでは子供たちの大きな声が響き渡り、大人がそれについてくる。そしてアマネの唄では子供も大人も真剣に聴き入る。
 こんなコンサートができるんだ!正直驚きました。開催の最大の目的は、児童館なら託児ができるので、子育てが大変なご夫婦に託児していただいて、のんびり音楽を聴いていただくということだったのですが、予想に反して託児者なし、子供から大人まで全員参加のコンサートとなったのでした。
 「子供も楽しい、大人も楽しい、そんな児童館であり続けたいと思います」
 最後の先生のご挨拶にはうるっときました。町の大切なコミュニティで僕らの唄がお役に立てて、すごくすごく幸せな時間となりました。その言葉、忘れないで歌っていきます。

064神戸市立太山寺児童館にて.JPG

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第63回 ~彦根凱旋ライブ、故郷ありがとう~

2009年11月8日vol.478掲載
 十月三十一日、ビバシティ彦根さんでライブを行うことができました。彦根で演奏を行うのは実に七年振り、久々にご披露できるということでわくわくしながら臨みました。公演前、まずは五年前にパーソナリティを務めさせていただいた、エフエムひこねさんのオンエアに登場。トークと、そして一曲を演奏させていただきました。
 十四時と十六時の二回公演、小さいお子さんからご年配の方まで本当にたくさんの方にお集まりいただきました。「彦根に帰ってきました!」僕の一声で、会場から思いもよらぬ大きな拍手が湧き上がりました。やはり地元は温かい!一曲一曲、田舎への思いを込めて、丁寧に丁寧に歌い上げました。ショッピングモールだというのにほとんど途中退席はなく、じっくり聴いて下さったように思います。一曲が終わるごとに吹き抜けの広場に大きな拍手が響き、天井から降り注ぐようなエールに包まれて、無事に彦根公演を終えることができました。
 演奏を終えると、幼馴染みや同級生、実家の近所の方や親戚を始め、初めて聴いて下さった方までがCD即売コーナーに詰めかけてくださいました。用意していた最新CD「ニッポン」は一部の演奏終了後に完売、二部の前に急遽ビバシティ内のCD店で商品を調達して対応しました。その後彦根工業高校放送部の生徒の皆さんから、一時間強に渡るインタビューを受けました。純粋な十代の皆さんの感想や質問をお聞きし、自分たちの軌跡は間違いなかったのだという自信を得ることができました。この模様は後日エフエムひこねさんで放送されるそうです。
 再会に新しい出会い、地元であっても知らないことはいっぱいで、もっともっと皆さんとお話しする時間がほしかったです。拍手はもちろんのこと、お花や差し入れ、そしてたくさんの勇気やエネルギーをいただきました。また歌いに帰ってきます。故郷、いつもいつもありがとう。

彦根凱旋ライブ、故郷ありがとう

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ出演情報
12月5日(土)~6日(日)
アマネのお泊りライブ「唄屋の宴」
近江八幡ユースホステル
(アマネホームページにて要予約)

第62回 ~手作りライブの温かさ~

2009年10月11日vol.476掲載
 九月二十二日、ニューアルバム「ニッポン」を引っ提げての滋賀初ライブということで、東近江市の延命公園野外ステージで歌いました。延命公園はおそらく二十五年振り、小学校の遠足以来かと思われます。リハーサルの時間まで少し時間がありましたので山の上まで登り、鈴鹿の山々や八日市の町を眺め、心地いい時間を過ごしました。
 さてこちらのライブイベント、主催の方々は近江八幡市のとあるバーに集まる常連さん達。お酒と音楽をこよなく愛されているオジサマたちが、この日はお店を離れ、お天道様の下で音楽を楽しみたいと、夜な夜な企ててこられた野外イベントなのです。飲みながらああでもない、こうでもないと考えてこられたのでしょうねぇ。出演順や進行はもちろんのこと、各種屋台まで登場するほど工夫が凝らされていました。
 そもそもこの皆様との関わりが面白い。常連さんのお一人がカホンという打楽器を始めたいと思われ、滋賀で誰かに習えないかなぁということで、カホンの演奏者をインターネットで検索していたそうです。「滋賀 カホン」というふうに。そこで引っかかったのが我々アマネのホームページだったそうです。以来メンバーの薫が週に一度、大阪より近江八幡までレッスンに伺いました。こんなひょんなご縁だったわけですが、せっかくだから音楽好きの仲間とアマネで、一緒に野外ライブを敢行しようと盛り上がったそうです。そうしてこの日を迎えることができました。
 とにかくみんな音楽が好き。会場にお集まりになった方々は、すごくいい顔をされて出演者の方々を応援されていました。プロ演奏家の素晴らしいステージを楽しむのも音楽。そしてアマチュアであっても、大好きな歌を仲間と口ずさむのもまた音楽。音楽にこうでなければいけないという縛りはなく、手作りで本当の温かい音楽がここにはあるなぁと感じました。唄が溢れる町、これは僕の理想です。こうした企画がきっかけになり、音楽が町を包み込み、笑顔いっぱいの町になればうれしいです。

手作りライブの温かさ

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
ニューアルバム「ニッポン」絶賛好評発売中。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ出演情報
10月18日(日)東近江市・太子ホール
10月31日(土)彦根市・ビバシティ彦根

第61回 ~アルバム「ニッポン」発売 Ⅲ~

2009年9月13日vol.474掲載
 九月六日、ついにニューアルバム「ニッポン」をリリースいたしました。あらゆる箇所にこだわりましたが、まず目に飛び込んでくる「でかジャケ」をご覧いただきましたでしょうか?
 通常のCDケースというのは縦十二・五センチ、横十四センチなのですが、本作は十七センチ角というでっかいジャケットになっております。CD店の店員さんに嫌がられそうですが、特に迫力を感じていただけます。かつてのLPはそれより大きい三十センチ角。読者の方の中にも「ジャケ買い」といって、音を聴かずにジャケットデザインで買っていかれたLPファンも多かったのではと察します。これが今では、十二センチの小さなブックレットに窮屈に収められているデザインばかり。果てはジャケットも歌詞カードも要らない、ダウンロードの音楽でもいいなんていう時代。だけどCDは音楽だけが入っているものではなく、アーティストが伝えたい様々なメッセージや意向が込められているものなのです。だから既製のサイズばかりでなく、もっと個性的で、かわいくて、一生大事にしたいと思っていただけるものを作りたかったのです。
 こんなでっかいジャケットで、なおかつ絵本にしようと思ったのは画家・アマカワユイさんの作品と出合ったからです。アートワークは公募で、色々な作家さんの作品を拝見して決めました。その中で旧知の仲であった彼女は、僕らの楽曲を体中に感じ取って、素晴らしい大作を描き上げてくれました。これはもう通常サイズでは伝えられない!と思い、でかジャケの総二十八ページという絵本で商品にすることを決めました。
 人との出会い、作品との出合いが新たな創造を生み出し、その作品がまた人との繋がりを生み出す。この繰り返しがたまらなく気持ちいいのです。アマカワユイ作品としても、是非このCDにお手を触れていただきたいと思います。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ・ニューアルバム「ニッポン」(2009)[DRCB-9966]
9月6日(日)全国のCD店で発売
全12曲2500円(税込)

写真:前作「涙」と本作「ニッポン」

前作「涙」と本作「ニッポン」

アマネ出演情報
9月22日(火・祝)東近江市・延命公園野外ステージ
10月18日(日)東近江市・太子ホール
10月31日(土)彦根市・ビバシティ彦根

第60回 ~アルバム「ニッポン」発売 Ⅱ~

2009年8月9日vol.472掲載
 この連載もお陰さまで、約五年になります。そして九月六日に発売するCDも前作より約五年ぶり、この執筆と共に培った音源が、今まさに世に出ようとしております。読者の皆さんに支えられて完成した、初のCDと言っても過言ではありません。この五年の人と人のつながりによって新たな言葉や旋律が生まれたことを、改めて感謝する日々です。
 先日、多賀と豊郷のお祭りで歌う機会をいただきました。「酒と祭りは、どこの国にもあるで!」というのは僕の口癖。酔いしれ、歌い踊る文化が、世界中で別々に発生したことはとても不思議なことですが、人の営みの中でこれは必須だと、どこの民族も感じた結果なのでしょう。祭りを通した出会いは大きな力になります。特に地元のお祭りですと、なんだか心がほっとします。
 歌う場所を求めて田舎を離れたのに、十数年経って田舎で田舎のことを歌う自分がいます。滋賀の人、風景、匂いに触れると、「帰ってきたなぁ」という感じがします。今回のアルバム「ニッポン」は、言い換えると「ふるさと」です。僕の「ふるさと」に対する思いを十二の楽曲に託しました。都会の人と話していますと、「帰る場所がない」とおっしゃいますが、物理的な「ふるさと」はなくても、心の「ふるさと」なら誰しもお持ちでしょう。それは場所なのかもしれないですし、人なのかもしれないですし、物なのかもしれない。どんな類のモノであっても、自分が始まったところは全て「ふるさと」なのだと思います。このCDをお聴きいただき、ご自身の「ふるさと」を振り返る機会にしていただけたら幸いです。
 いいことも悪いことも含めて「ふるさと」。好きなところも嫌いなところもあって「ニッポン」。でも、やっぱりみんな、ニッポン、好きですよね。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
皆さんのお近くまで歌いにまいります。ホームページからお問い合わせください。

アマネ・ニューアルバム「ニッポン」(2009)[DRCB-9966]
9月6日(日)全国のCD店で発売
全12曲2500円(税込)

第59回 ~アルバム「ニッポン」発売 Ⅰ~

2009年7月12日vol.470掲載
 ついに発売が決定いたしました!我々アマネの五年ぶり五枚目のCDが、九月六日に店頭に並びます。感無量です。アマネ八年の活動の中で、五年ぶりというのは非常にしんどいものでした。念願叶うとは正にこのこと、時間をかけて大事に大事に作った作品が世に出るというのは、大変うれしいものです。
 今回このCDのタイトルを「ニッポン」とさせていただきました。えらい大袈裟やなぁという感じですが、僕にとってこのタイトルは必然でした。まずこの世の中への不信。政治や経済、もっと言えば医療や教育など、何をもってして国なのかよくわからない昨今、今だからこそあえて「ニッポン」と叫ばねばならないと感じました。世間で起きていることは、何だか本来の人の営みや感覚とズレたところで行われている気がしてなりません。僕が生まれたニッポン、みんなと出会ったニッポン、これから過ごしていくニッポン。やっぱり大好きだし、もっともっと大事にしていきたい、そんな思いから「ニッポン」と名づけました。そして加えては、僕を産み育ててくれた故郷・滋賀を表現したかったのです。大阪に出て十三年、年を重ねるごとに故郷への思い、家族や親戚に対しての思いが膨らんできて、僕なりの「ニッポン」を伝えたいと思ったのです。政治や経済では割り切れないニッポンに対する愛情と責任を、このCDに詰め込みました。
 この美しいニッポンという国で二人が出会い、そして命が生まれ、その命がまた誰かと出会い新しい人生を産む、こんなことは当たり前のことなんですが、当たり前のことが実感できない世の中だとだめですよね。当たり前のことを懸命に吹き込みました。
 数回に渡ってニューアルバム「ニッポン」について書いていこうと思います。この作品への思い、この作品での出会い、その辺りに触れていければと思います。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ・ニューアルバム「ニッポン」(2009)[DRCB-9966]
9月6日(日)全国のCD店で発売
全12曲2500円(税込)

アマネ出演情報
7月25日(土)「大滝SKO夏祭り」
多賀町滝の宮スポーツ公園
8月1日(土)「夢街道とっとまつり」
豊郷町豊郷小学校グラウンド

第58回 ~君が僕を知ってる -さよなら清志郎さん-~

2009年6月14日vol.468掲載
 五月二日、忌野清志郎さんがお亡くなりになられました。熱狂的なファンでもなかったのに、テレビでお馴染みの顔でもなかったのに、ニュースを聞いた翌日も、その翌日も、腹の中にぽっかり穴が開いてしまったような、そんな空虚な日々を過ごしました。何故逝かれたんだろう。何故淋しくなるんだろう。
 人はいつか亡くなる、そんなことは当然わかっているつもりでした。これまで耳にしてきたテレビからの訃報には、「一つの時代が終わったんだな」という印象を抱くことが多かったのですが、彼の訃報に対しては、そういうことで括れない何か違うものがあるように感じました。もちろん清志郎さんは大きな一時代を築き上げてきた方ですし、奇抜な衣装も身にまとうロックスターであったことには違いないのですが、僕らにとってもっと身近な方だったような気がするんです。何か兄貴的な。だから昭和の偉大な誰かが亡くなられたのとは、全く別の印象を覚えました。彼が放つド派手なオーラ、彼が歌う過激なメッセージ、一見庶民性を感じさせないその言動の源は、実は僕らの中にも自ずと育まれている思いと同じものではないかという推測をします。ロックスターであり、少年であり、親父であり、僕ら男の本性そのものを代弁してくれていたのではないかと感じるんです。だからとても淋しい。
 彼は自身の唄の中で、こんなことを歌っています。「悪いことだけで有名になったとしても、君が僕を知ってる、君がわかっていてくれる」と。これまでの言動の中で、本質と違うことを取り上げられたり非難されたり、そんなご苦労があってこのような歌詞に繋がったのだと思うのですが、訃報を受けてから耳にすると、もう涙が止まらなくなりました。とてもとても真面目で、真っ直ぐな方です。認めたくないですが、大事な人にわかってもらえているから逝かれたのかな。
 必要とされて生まれ、わかってほしくて生きて。人は酷な旅路を与えられたものです。でもあなたに会えてよかった。僕も知っているし、僕がわかっているよ。ありがとう。さよなら、清志郎さん。合掌。

「君が僕を知ってる」RCサクセション
アルバム「EPLP」(1981)[UPCY-9149]収録

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第57回 ~はじまりのはじまりに感謝して~

2009年5月10日vol.466掲載
 去る四月十二日、僕は三十二歳になりました。今年の誕生日は、我々アマネのライブを大阪は塚本で行いました。バースデイライブなどと前面に謳ってはいなかったものの、たくさんの方にお集まりいただき、祝福していただきました。「お誕生日おめでとう!」、人がおめでとうと言われる数少ない事象の中で、必ず年に一度やってくるおめでとうの日、誕生日。改めてこの「おめでとう」の意味を考えます。何かを受賞したり、他人に評価されたことに対して「おめでとう」、これはよくわかります。子供が誕生したことに対して「おめでとう」、これも本当にめでたいことです。こんなに慣れ親しんでいる言葉であるにも関わらず、「おめでとう」と言っていただける機会は相当に少ないです。振り返ると、賞のようなものから疎遠になった昨今ですと、やはり誕生日くらいしか思い当たらないですね。
 誕生日の今日まで無事に生きて来れたということに対して「おめでとう」なのだとは思いますが、自分自身の感覚では「あぁ、もうあれから一年かぁ」といった具合で、およそめでたい日とは言い難く、最近では何となく月日の猛烈なスピードを体感する複雑な日、との位置付けになりがちです。そこで今年の誕生日は、自分のおめでとうではなく、みんなへのありがとうの日にしようと考えました。自分が今年も無事に誕生日を迎えられたのは、やはり周囲の皆さんのお陰ですからね。
 とりわけ、こうした毎日を過ごせるのも、皆さんの前で歌い続けられるのも、三十二年前に僕が始まる為の始まりがあったからこそです。今更ですが、お父さん、お母さん、ありがとうございました。ライブ中には、メンバーよりケーキを出してもらい、皆さんのご唱和と共にローソクの火を吹き消させていただいたわけですが、演奏終了後に来場してくれていた両親をステージに呼び寄せました。
「僕がこうして生きていられるのも、そもそも僕のはじまりのはじまりがあったからです。私事で申し訳ありませんが・・・、三十二年前に僕を産んでくれてありがとう!」
 普段何の親孝行もできない毎日を過ごしていて、こっぱずかしさも加わって感謝の意も伝えられない僕ですが、この日ばかりはと両親に花を贈りました。誕生日は一年に一度のおめでとうの日だけれど、やはり一年に一度のありがとうの日ですね。はじまりのはじまりに感謝して。本当にありがとう。

はじまりのはじまりに感謝してPhoto/omori aya
喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第56回 ~今年も開催、見放題09~

2009年4月12日vol.464掲載
 普段大切にされている音楽とは、いつ、どのようにして出合われましたか?テレビの主題歌だったり、ラジオで流れていたり、友達がカラオケで歌っていたり。それらを耳にして「あっ、いいな」と感じ、今日まで大事にされてきたことでしょう。そういった出合い方が通常だと思うのですが、今度大阪でこんなイベントが行われようとしています。七月四日開催、「見放題09」。
 これは大阪の東梅田界隈にある四つのライブハウスを同時進行させ、三十組以上のアーティストが交代で演奏を行うという試み。お客さんには全会場出入り自由のパスを身につけていただき、スケジュール表を片手に好きな音楽や初めての音楽に出合いに行っていただこうという企画なのです。テレビやインターネットの情報が強くて大きい昨今ですが、やはりいいものか悪いものか、好きか嫌いかは目の前で判断してもらいたい、そしてより自分に合った音楽を見つけ出してほしいというのが主催者の思いです。自分のペースで入ったり出たりできるので、町歩きも楽しみながら経験したことのない新しい音楽を発見していただけるのではないかと想像します。
 主催をされている方は、実はサラリーマン。プロのイベンターが企画されるものとは違い、純粋に自分たちが見たい、そして人に紹介したい、というリスナー目線でアーティストを招集されているところもこのイベントの魅力です。だからこそここには、東京から日々降り注がれる情報では見つからない良質な音楽があるのだと感じています。
 音楽が好き、町が好き、人が好き、そんな人たちが集まって手作りする「見放題09」、我々アマネもその趣旨に賛同、昨年に引き続き出演させていただきます。いつか彦根や長浜で、町の散策と融合させたライブサーキットができないものかと夢を描いています。今月から始まるプレイベントも含め、まずは大阪で成功させたいと思います。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

昨年の見放題08の模様昨年の見放題08の模様
「見放題09」
七月四日(土)十三時から
大阪東梅田界隈のライブハウスにて

公式プレイベント:
四月十二日(日)「アマネ×Lenny Finger」
五月九日(土)「アマネ×杉瀬陽子」
六月六日(土)「アマネ×???」
いずれも大阪塚本ハウリンバーにて。
見放題09公式サイト http://www.mihoudai.jp/

第55回 ~再会から生まれるプロジェクト~

2009年3月8日vol.462掲載
 昨年九月に多賀町のキャンプ場で行われた「ハッピィ=フォレスト=プロジェクト(HFP)2008イン多賀」。つい先日反省会と称し、会場だった高取山ふれあい公園にて関係者が再会しました。あれから五ヶ月も過ぎたのですが、関係各位はお忙しい方ばかりでこの時期までずれ込んでしまい・・・。しかしこういう形で再会しますと、直後に反省会を行うのとはまた違った話題が挙がって、大変面白いと感じました。広く派生した話も飛び出し、次のワクワクに繋がる瞬間を体感することができました。皆さんホント、地元をこよなく愛しておられますねぇ。
 HFPに出店なさった方の中に、「KIGE工房」の脇坂さんという、大津市でギター製作をされている方がおられます。隣の席になりましたので、ゆっくりお話しさせていただきました。日本国製のギターでも、使用されている木材はほぼ海外産という現状の中、氏は以前より滋賀県産の木にこだわって製作されています。海外産の木が多く使用される理由は様々あるようですが、氏は「日本の木でも十分に鳴る」とおっしゃいました。そんな折どこからともなく飛び出した、「桜でもできるんですか?」の声。多賀町内で先日、桜の大木が枯れ、どうしようもなく切り出されたものがあるそうです。「ギター、作れますよ」、そして続けておっしゃいました。「桜って日本的ですし、いいですねぇ」。
 まだ切りたてですし、乾燥も含めて時間はかかるそうですが、氏は多賀町の桜でギターを製作する約束をしてくださいました。聞くとこの桜、由緒あるお寺で長年愛されてきた桜なんですって。永遠に響き続ける楽器に生まれ変わるなんて素敵です。地元の木で、地元製作者の手掛けたギターが、世界に飛び出すなんて本当に誇らしいことです。
 再会から新たなプロジェクトが生まれました。一つのイベントが次のハッピィに繋がっていく、ここに開催の一つの意味があったように感じました。さてこのギター、果たして僕の手に入るのか!?これもまた大きなプロジェクトです・・・。

KIGE工房KIGE工房

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第54回 ~いま、僕等の時代だ~

2009年2月8日vol.460掲載
 先日、滋賀県内でご活躍中の方を含むデザイナーさんたちと、夕食をご一緒する機会がありました。建築士さん、グラフィックデザイナーさん、ウェブデザイナーさんといった顔ぶれで、自分が知らない世界の話を色々とお伺いすることができました。お会いするまでは、どんな話ができるだろうと多少躊躇もあったのですが、ひとたび話し出せばその面白いこと!熱いこと!終わらないこと!当初の心配もよそに、気が付けば翌朝四時まで話し込んでしまいました。
 集まったメンバーは皆三十歳前後。もみくちゃになりながら二十代を乗り越え、今まさに己のスタンスを確立中といった状況が重なり、それぞれの仕事に対する思いや情熱に、ジャンルを飛び越えて共感し合いました。同業者と話す機会は多いですし、ここから学ぶことも少なくないのですが、異業種の経験談は何より新鮮で刺激的でした。新しい「仲間」が生まれたような一夜となりました。
 二十代、右も左もわからぬまま大人の世界に飛び込み、とにかくがむしゃらに走ってきました。理不尽な使われ方をされたり、目先のことをやり遂げるだけで精一杯だったあの頃にはなかった心の余裕も生まれ、物事の流れや筋を理解できたり、将来のこともより具体的に計画できるようになってきました。年々徹夜ができなくなってきたり、勢いだけで乗り切れなくなったものの、そこそこに経験も積んできたし、動けるし、考えられるし、思いやれるし、今こそ僕等の時代じゃないか!そんなことを強く感じました。
 いつかこの仲間で、一つのものを作れるといいな。よく考えられていて、みんなが喜んでくれるもの。十年前にはできなかった、そして十年後にもできないものを、僕たちには作れるような気がするんです。時代はどこかで勝手に発生するものではなく、僕たちが作るものですよね。
 いま、僕等の時代だ。

「僕等の時代」オフコース
アルバム「We are」(1980)[TOCT-95042]収録

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第53回 ~どれほども、これほども~

2009年1月11日vol.458掲載
 あけましておめでとうございます。今年も皆さんとの「縁」を大切にしながら、この執筆を続けさせていただきたいと思います。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
 さて世界恐慌の煽りを受け、国内でも深刻なニュースが昨年より続いています。大企業であっても大量のリストラ、中小はもっと大きな打撃を受けられ、先行き不安どころか今の生活が成り立たないといった状況が日本各地で起こっています。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。何が正しくて、何が間違いで、どうしたら人が気持ちよくて、どうしたら人が傷つくのか、子供にでもわかるような言葉で大人が説明できる、本当の生き方や豊かさを目指していかないと、国として存続していけないのではないかという危機感を覚えます。政治も経済も人の仕業、思いやりの気持ちをどこに置いてきてしまったのでしょうか。
 唄は厳しい現実とは大きく乖離し、綺麗事だと言われてしまうかもしれないですが、やっぱり僕は歌います。こんな状況になるとは想像だにしなかった五年前に書いた曲ですが、こんな日の為に書いたのかもしれないと思えてなりません。年頭にあたってこの唄を贈ります。いつか報われる日が来る、そう信じてこの一年、共に頑張っていきましょう。どれほども、これほども。

「つぼみ」 アマネ  作詞・作曲 喜多充

どれほどの痛みを 背負えば 楽になるだろうか
どれほどの回り道 歩けば 辿り着くだろうか
悔やんで、悩んで、迷って、それでもあきらめないで
思わず、ためらわず、怖がらず、明日へ向かってゆけば
どれほども、これほども、きっと報われる日が来るね

どれほどの悲しみ 越えれば 強くなれるだろうか
どれほどの思いを あなたに 伝えられるだろうか
素直に、元気に、大事に、二人で花を咲かせたい
泣いても、くじけても、憂えても、明日は必ず来る
どれほども、これほども、いつか報われる日が来るね

Copyright(C)2004 Mitsuru Kita,Office Dew All Rights Reserved.

「つぼみ」アマネ
マキシシングル「涙」(2004)[DRA-5]収録

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第52回 ~こんな唄の役割~

2008年12月14日vol.456掲載
 十一月十六日、幼少期を過ごした東近江市湖東地区で行われた「青少年を育てる市民のつどい」という催しに伺ってきました。湖東中学吹奏楽部の演奏や、有識者の先生のご講演に引き続き、アマネのコンサートを行いました。会場の湖東中学校の体育館は昨年の芸術鑑賞授業に訪れて以来約一年振り、音響・映像・照明設備の整った、非常に素晴らしいホールです。そこに二百名くらいの方々にお集まりいただき、幼少時代を振り返った「原点」や「江州音頭」などを演奏させていただきました。
 昨年の芸術鑑賞授業の時も感じたのですが、やはり生まれ故郷で演奏するというのは感慨深いものがあります。この地を離れて二十年以上経ちますが、幼い頃の僕を知っておられる方や、近所にお住まいだったという方が演奏終了後にお声を掛けてくださいました。風景も人の営みも二十年経てば大きく変化しているわけですから、どれくらい僕らの唄が響くのか不安に思っておりましたが、何かを共感し合って、町の未来について一緒に考えられたことは大きな糧となりました。
 「唄」には大きな力があると信じて歌い続けてきたわけですが、決して「唄」が世の中を変える特効薬にはならないとも思っています。唄が直接制度を変えたり、唄で品物を買ったりすることはできないですから。しかしこういった機会をいただく中で、あらゆる世代のあらゆる立場の方と「唄」を共有することによって、会話が生まれたり、新しい一歩を踏み出すきっかけが生まれることを僕は知っています。僕自身も実際、歌っていなかったら出会えていなかった人がたくさんいますからね。
 最後に動かすのは自分、唄ではなく、やっぱり人なんです。皆さんの生活の中で色んな決定を下していかれる際、僕らの唄が何かの後押しになれば幸いです。小さいお子さんや中学生にもご来場いただいていましたが、このコンサートのことをご家族で話し合ってくれてるといいな。唄の大きな役割を一つ見つけました。僕らが歌うことで、あなたの町を語り合えるきっかけができればうれしいです。日本中の町で、こんなふうに僕らの唄を利用してもらえれば、と感じました。

052_ikusei.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第51回 ~岡林信康デビュー四十周年記念復刻シリーズ祭り~

2008年11月9日vol.454掲載
 この数ヶ月、あるCDシリーズがリリースラッシュで、大変わくわくしながらその発売を楽しんでいます。それは日本の音楽史を語る上で欠かすことのできないタイトルの数々、岡林信康デビュー四十周年記念復刻シリーズです。八月にリリースされたスタジオ録音三作の再発売を皮切りに、十月には幻のライブ盤が三作お目見え、今後も初CD化や数十年振りに市場に出るものなどが発売される予定で、僕の中では大変なお祭り騒ぎになっています。いずれも六十年代後半から七十年代前半に収録されたもので、七十年安保闘争前後の日本史においても貴重な史料であることがわかります。最新のデジタル技術で甦ったCDからは、希望と絶望が同居するような当時の複雑な空気を読み取ることができ、何とも言葉では表現できないような雰囲気を感じています。特にライブ盤では観衆である当時の若者の様子もリアルに伝わってくるわけですが、どうも現代の若者とは比較も難しく、日本でありながら日本でないような感覚に陥りました。しかし氏が歌うメッセージは、四十年の時代を越えても十分に腹の中に響き渡る言葉たちでした。伝説のバンド・はっぴいえんどらを従え、氏がギラギラとしたオーラを放ちながら歌うこのシリーズ、今再発売される意味を深く考えました。
 氏の歌と出会ったのは僕が中学の時、それは「エンヤトット」という音頭をベースにした音楽を確立されていた九十年代。フォークの神様だと言われていた時代は全く存じ上げずに好きになっていきました。今回のシリーズでは、近江八幡の牧師の息子である氏が八日市高校を卒業し、同志社大学神学部をドロップアウトして山谷で日雇い労働を行っていた二十歳過ぎの歌を聴くことができます。長らく氏が振り返りたくない思い出として封印されてきましたが、日本社会として、その大きな偉業を歴史から消し去ってはなりません。実はこの復刻を企画され、氏と掛け合って実現されたのは僕と同世代の方だそうです。復刻されたことの喜びと共に、大変うれしく感じたエピソードです。
 時代を語り継ぐこの時代の証人として、僕もこの祭りを楽しんでいこうと思います。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

岡林信康・アルバム「見る前に跳べ」(1970)[FJ-1002]


アマネ「青少年を育てる市民のつどい」
ゲスト出演決定
十一月十六日(日)
東近江市横溝町
東近江市立湖東中学校体育館
入場無料 十三時半開会
お問い合わせ 〇七四九-四五-〇九五〇
(東近江市青少年育成市民会議湖東支部事務局)

第50回 ~幸せに包まれる瞬間 -HFPイン多賀を終えて-~

2008年10月12日vol.452掲載
 九月二十七日、「ハッピィ=フォレスト=プロジェクト(HFP)2008イン多賀」を無事に開催することができました。連日ぐずついたお天気で急に冷え込む中、この日だけは晴天に恵まれました!(こういうイベントはやはりお天気次第ですなぁ。)お陰さまでたくさんの方にお越しいただきました。ライヴ会場の森のドームでは、僕らアマネを含む八組のミュージシャンが出演し、それぞれの思いを演奏に乗せて森に響かせていました。司会者の進行も大変楽しく、笑い声が絶えませんでした。一方では県内外からおいしい飲食物やハンドメイドの雑貨・家具などが集まり、来場者を賑わせていました。人気店には長蛇の列も。ヘアーカットやマッサージまでありましたな。自然の中を子供たちが走り回っていたり木の実を捕っていたり。都会では目にしないこの瞬間に、一筋の光を見ました。
 ふと、幼い頃の運動会や夏祭りに似た感覚を思い出しました。「こういうの、久しぶりやな・・・」。最近はイベントを仕事にしてしまっていて、システム化された運営や進行に慣れてしまっていたのですが、地元の様々な世代の人が集まって「あーでもない、こーでもない」と手作りし、その中からスタッフ間やお客さんとのコミュニケーションが生まれていく素晴らしさを体感しました。そこに自分がこの町出身であるという思い入れも加わり、「これは自分たちにしかできないことなんだ」という気持ちが込み上げてきました。このような形でこの森で歌う機会をいただいたことに、すごく感謝しています。ひと言では語れない幸せを感じました。
 HFPにはまだまだ世の中に放っていかなければならない使命があるように思います。人間が向き合わなくてはならない自然とのこと、エコのこと、食のこと、ヒトとのこと。これらのことを滋賀県から発していくことは、僕にとって非常に重要なことだと感じました。これからも唄を通じて、ヒトと関わりながら、幸せに包まれる瞬間について考えていこうと思いました。

050_hfp.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネ「青少年を育てる市民のつどい」ゲスト出演決定
十一月十六日(日)
東近江市横溝町・東近江市立湖東中学校体育館
入場無料 十三時半開会 十五時半頃出演予定
お問い合わせ 〇七四九-四五-〇九五〇
(東近江市青少年育成市民会議湖東支部事務局)

第49回 ~おらが村、幸せの森で歌う -HFPイン多賀開催-~

2008年9月14日vol.450掲載
 歌う場所に飢えていた僕は十二年前に多賀を離れ、宝塚の大学に進み、以来大阪を中心にステージを重ねてきました。滋賀は大阪や京都に比べ演奏する場所が圧倒的に少なく、地元で演奏できる機会は毎年一、二回。自分の思いとは裏腹に、非常に少ないのが残念な現状です。
 そんな状況の中で我々アマネは、今月地元・多賀で演奏させてもらう機会をいただきました。しかも会場は僕の実家がある多賀町富之尾の隣字、藤瀬という場所です。まさに「おらが村」での演奏ということになりますね。うれしい、とてもうれしいです。「育ててもらった町に恩返しをしたい」、年齢を重ねるにつれてこういった思いは次第に大きくなってきました。町に対して演奏でどれだけお礼が言えるかわかりませんが、感謝の気持ちを込めて歌いたいと思います。
 僕がこういった思いで臨むのは、「ハッピィ=フォレスト=プロジェクト(HFP)2008イン多賀」。来る九月二十七日に、多賀町藤瀬・高取山ふれあい公園というキャンプ場の「森のドーム」周辺で、大自然に囲まれて開催されます。総勢八組のミュージシャンが出演、おいしいフード&ドリンクや個人作家さんによる雑貨・工芸品なども販売が予定され、そこにいるだけでほんわかするような時空間になりそうです。また環境に配慮して、参加者の皆さんにはマイ箸・マイ皿をご持参いただき、ゴミの持ち帰りをお願いされています。森にとっていいことは僕らにとってもいいこと、演奏を楽しみながら森の命のことをみんなで考えていけるのは、これまたハッピィなことですね。
 やっと地元に歌いに帰れます。いい音、うまい味、素敵なハンドメイド、そしてあなたと、故郷の大自然に包まれます。おらが村、幸せの森で歌います。ぜひお越しください。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

「Happy Forest Project 2008 in TAGA」開催
九月二十七日(土)
多賀町藤瀬・高取山ふれあい公園(森のドーム周辺)
前売二〇〇〇円(公園入場料含む
当日二〇〇〇円(公園入場料含まない)
お問い合わせ:HFP実行委員会
(080‐5364‐2415・ヒライ)
http://www.h-f-p.net/

第48回 ~町は唄とともに、唄は町とともに~

2008年8月10日vol.448掲載
 公私に渡って長年お付き合いさせていただいている和魂洋才バンド「マホロバガクザ」が、七月三十日にニューアルバムをリリースしました。その名も「ならとろじ」。リーダーの喜多寧さんは正真正銘の奈良人で、僕が知る中で最も奈良に愛着を持って活動されているお一人であります。「ならとろじ」、何ていい響きなんだろう。地名を一つ取ってみてもそこには古の歴史があり、多くの人々が口にしては磨き上げてきた音(オン)と誇りがあります。地名という最も気軽に誰もが口にできる名詞をタイトルに引用するなんて、粋で、それでいてとても覚悟のいることだと感じました。町に対する思いを相当凝縮して詰め込んだに違いありません。
 以前から唄屋と自ら名乗り、唄を書き、歌い、そして唄に悩み続けてきたわけでありますが、この作品を聴いて一つの答え、いや、一つのヒントを見つけました。この「ならとろじ」には町がありました。町には歴史がありました。歴史には人がいました。人は歌ってきました。
 唄に悩む一つの要因として、東京を中心としたメディア中心の商業音楽システムが挙げられます。町で音楽が鳴っていても、それが町の音楽ではないことを大変危惧してきました。「唄屋」は自分自身を特定する呼称ではなく、八百屋や酒屋のような町に必要な営みとして名付けたものでした。町に一人は唄屋が必要なんじゃないか、それが僕の持論です。この「ならとろじ」を聴いて、町の在り方や唄の在り方を改めて考えさせられました。マホロバガクザが奈良という町を愛し、奈良で唄を書き、奈良に誇りを持って歌う、当たり前のことが当たり前にできなくなった時代に、やっぱり当たり前のことが一番大切なんだというヒントをいただいたような気がしました。
 悔しいな。滋賀に住んで、滋賀で唄を書いて、滋賀で歌っていきたいな。当たり前のことだと理解しながら、当たり前にできないこの葛藤。「町は唄とともに、唄は町とともに」、僕の永遠のテーマであり永遠の目標を、マホロバガクザは等身大でやってのけたのでした。

マホロバガクザ・アルバム「ならとろじ」(2008)
[XQDR-1005] http://www.mahogaku.com/


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第47回 ~深坂を上らなくなって十二年~

2008年7月13日vol.446掲載
 僕は最近まで、三年間の米原高校時代を最も不遇な時代だったと感じながら過ごしてきました。多賀中学校時代はそこそこ勉強もでき、部活の野球も通っていた空手も充実、音楽も楽しくできていたし、生徒会長まで務めさせていただき、アメリカへホームステイにも連れて行っていただけた、本当に申し分ない三年間だったのです。その直後の三年間のこと、学力もないのに無理をして選んだせいか、どうもしんどかった思い出しか出てこないのです。音楽をやってもあまり善くも思われず、テストは追試の嵐、いくつかの赤点も頂戴しながら悶々と過ごしておりました。わりと何でもうまくやってきた自分にとって、何をやってもうまくいかなかった時代だったのです。何とか卒業させてもらった、といった感じでしょうか。長年の間、僕だけがうまくいかなかった高校時代だと思っていました。
 今年に入り、高校時代の友人と何度か会う機会に恵まれました。そこで話をしていますと、他の数人も同じような気持ちを持っていたと証言してくれました。すごく驚きました。卒業して十年以上も僕だけが感じていた重荷、みんなも背負っていたの?と、一気に気持ちが楽になりました。憧れを抱いて入った米原高校、裏切られたかのように疑念を抱いた米原高校、しかしそれは決して学校の方針が自分に合わなかっただけではなく、自分自身の精神状態や時代の流れもあって、様々な要素が複雑に絡み合って不遇の時代だと感じさせたようです。今ではそんな時代を通ってきたことも、自分自身にとって大変重要な道だったのではないかと思えるようになってきました。
 深坂(*)を上らなくなって十二年が過ぎました。暦も一回りすると、その時代の印象も異なってきます。何よりそこには仲間がいました。古い仲間はずっと仲間、米原高校を卒業したこと、この仲間に出会えたことを今では本当に感謝しています。八月十六日、普通科全体では卒業して初めて同窓会を行います。もうすぐ、あの頃の仲間に会える。

*米原駅東口から米原高校への通学路に存在する坂道。雪の日には滑りやすく、滑った時には大学合格が危ぶまれるなどという伝説も多く、同校出身者にとって思い出の場所。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

九月二十七日(土)
多賀町藤瀬・高取山ふれあい公園
「Happy Forest Project 2008 in TAGA」出演決定
http://www.h-f-p.net/

第46回 ~正樹くん、おめでとう。 -Nearly Equalから十年-~

2008年6月22日vol.445掲載
 五月十八日、友人の結婚式の為に彦根に戻りました。友人の名は坂上正樹、年は僕より一つ下ですが、小学生の頃からよく遊んだ地元・多賀町富之尾の仲間です。彼がどんな方とお付き合いしているとか、そういったことはほとんど伺ってこなかったものの、彼が夢中になっていることに興味を覚えたり、僕が熱くなっていることをサポートしてくれたり、長年共に刺激し合う形で今日までやってきました。僕がギターを買ってもらって歌い出したのが小学五年、彼もお兄さんの影響で小学生の頃からギターやらドラムやらを演奏し出し、楽器を持ち寄っては互いのモノマネ演奏を発表し合っていました。僕はなんちゃってな感じでギターを弾いておりましたが、彼の演奏力は抜群で、同時に秀作も次々と生み出していました。
 大学に入りそれぞれ兵庫と岐阜に別れてしまったものの、僕は彼と一緒に音を出したいと願っていました。そこで長期休暇を利用してバンドを組み、彦根市民会館でライブを行いました。一九九七年八月、僕が二十歳、彼が十九歳の時のことです。さらに翌年には大阪でもライブを行い、CDを制作しました。「Nearly Equal」というバンドでリリースした「NAVIGATION」というアルバムです。彼はこのレコーディングでも類稀な才能でギターを奏で、大きな力を発揮してくれました。僕が作った唄を非常によく理解してくれて、力強く、それでいてバラエティーに富んだ作品群に仕立て上げてくれました。同郷だと、何事も話が早いんですよね。余計な説明無しにスタートできる居心地の良さ、キラリと光る多賀者センス。互いに多くを語らずして尊敬し合い、高め合える数少ない仲間の一人です。
正樹くん、おめでとう。今回の結婚、自分のことのようにうれしいです。あなたの演奏技術、メロディセンス、そして人間性、全てを敬愛しています。それらを理解し、体いっぱいに受け止めてくれる方に巡り合えたんですね。会場で流してくれた「Nearly Equal」時代の楽曲、久々に聴いて我ながら感動しました。あれから十年か。僕ら、十年も前にかなりいい音楽作ってたね!再確認いたしました。これからもその素晴らしい感性で、夫婦生活やお仕事、音楽活動に取り組んでいってください。
 多賀という田舎で共に培った二人の音楽性、それを地元で披露し恩返しすることも僕らの使命かもしれないですね。僕らを作ってくれた地元で、いつか「Nearly Equal」を復活させるか!?

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

Nearly Equal「NAVIGATION」(2002)
[DR-0002]
046_navigation.jpg

10年前、彦根市民会館にて(左:筆者、右:坂上正樹)10年前、彦根市民会館にて(左:筆者、右:坂上正樹)

第45回 ~日本人にしかできない融合 -√thumm-~

2008年5月11日vol.442掲載
 最近ライブハウスでの演奏を再開しております。僕らアマネは音響設備がないところでも歌えることから、ライブハウスへの出演に特にこだわっていませんでした。しかしながらライブハウスは、様々なミュージシャンたちとの出会いなどもあって、とても刺激的な場所であります。先日大阪のライブハウスで、「√thumm」さんというお三方とご一緒させていただきました。エレクトロニカというテクノやクラブミュージック、電子音楽をベースにした演奏をされているのですが、初めて耳にした僕に斬新で強烈な印象を与えてくれました。普段唄モノの音楽を演奏したり聴いたりしているので、インストゥルメンタルには苦手意識がありました。しかし√thummの音楽は、なぜか唄が聴こえてくる感じがして、僕が知っている他のインストゥルメンタルとはどこかが違いました。すごく洗練された音楽センス、クールなビート、その中で奏でられる生ピアノの旋律がとても懐かしくて温かくて耳にこびりつきます。日本のどこで育てばこんな音楽ができるんだ?これが三人のサウンドを耳にした時の感想です。
 元来日本人には、色んな文化を自由に解釈して取り入れる感覚があると感じていました。クリスマスもお正月も結婚式もお葬式も、信教に関係なく取り組むところなんて正にそうで、このミクスチャー感覚は日本人の良さだと考えています。おそらくテクノなんかはヨーロッパで培われたものでしょう。その中で日本らしい心地いい旋律が、完全に成立した形で歌い出すんです。√thummのサウンドはこの日本人にしかできない、日本人ならではの和洋折衷なんですね。日本人の感覚を更に進化させた、オンリーワンのミクスチャーだと感じました。
 ところで、こんな音楽を生み出す人は、どこで育ったんだ?という大きな疑問が後日解決いたしました。本人たちにお伺いしたところ、お一人は奈良、そしてお二人は滋賀県出身なんですって!能登川と近江今津だそうで、大変驚きました。滋賀県にあんな音楽を生み出す土壌があったのか!滋賀県も捨てたもんじゃないな。滋賀県も交通の要所で様々な人の行き来がある土地、おそらく融合のうまい県民でもあるのでしょう。これからも滋賀県民ならではの音楽を生み出していこうと、強く感じた出会いになりました。

「√thumm」 http://aran.parallel.jp/thumm.html
045_rootthumm.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第44回 ~こんな気持ち、伝えるために Ⅱ~

2008年4月27日vol.441掲載
 三月六日、卒業式の練習に励む東近江市立湖東中学校の三年生が集まる教室に伺いました。昨年の全校コンサート以来の僕の登場に一同は驚きを隠せない様子、大きな拍手で迎えていただきました。卒業までの学年集会に一度来ていただけたら・・・、と先生方にお誘いいただいていたのですが、ちょうど全ての入試を終えられたこのタイミングで寄せていただくことができました。これから巣立っていく彼らに何を伝えられるかわからなかったのですが、僕が旧湖東町で生まれ育った九年間をはじめ、どういう思いで今歌い続けているのかということを、来た道その時々にまつわる唄を交えながら二時間に渡って語らせていただきました。中学の時に作った学級歌や、英語の授業の時に歌った洋楽なんかも歌って。大きな岐路の一つである義務教育の終了を控え、どんなことを振り返り、どんな未来を想像しながら聞いてくれたのかな?
 そしてどうしても届けたかった唄、『気持ち』を歌いました。三年生の中の一人の女子生徒と、十時間をかけて制作した大切なメッセージです。演奏中、旅立つこの瞬間と歌詞がオーバーラップし、涙をこらえる生徒も見受けられました。よかった。湖東中生と出会い、この唄を一緒に作り、みんなの前で歌うことができて、本当によかった。
 学校を後にして大阪に戻った僕は、この唄をアマネのメンバーに聴かせました。すると二人は感動し、卒業生全員にこの唄のCDをプレゼントすることになりました。みんな、この唄のように友達を大切にな!後悔のない人生を送ってくれよ!こんな気持ち、伝えるために、CD一枚一枚、思いを込めて梱包しました。何とか卒業式までに届けることができたよ。みんな、卒業おめでとう!

「気持ち」作詞 田中涼(平成十九年度湖東中学卒業生) 補作詞・作曲 喜多充

「おはよう」って言えなかった 「さよなら」って言えなかった
言いたかった 言えなかった 「おはよう」「さよなら」
「ありがとう」ってつぶやいた 「ごめんね」ってつぶやいた
届けたい 届かない 「ありがとう」「ごめんね」
近くても離れてしまった この距離を縮めたい
こんな気持ち 伝えるために
言いたくて 言えなかったこと 手紙に書くよ
気持ち・・・、みんなに出会えて 本当によかった

「おはよう」ってもう言えるよ 「さよなら」ってもう言えるよ
たくさんの思い出に 「おはよう」「さよなら」
「ありがとう」って大切ね 「ごめんね」って大切ね
大切な友達に 「ありがとう」「ごめんね」
遠くてもそばにいるような 強い気持ちを持ちたい
こんな気持ち 伝えるために
言いたくて 言えなかったこと 手紙に書くよ
気持ち・・・、みんなに出会えて 本当によかった

Copyright(C)2008 Ryo Tanaka,Mitsuru Kita All Rights Reserved.

044kimochi2.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第43回 ~こんな気持ち、伝えるために Ⅰ~

2008年4月13日vol.440掲載
 雪の降る三月のある日、昨年十月に全校コンサートを行った東近江市立湖東中学校を訪れました。卒業式を控えるこの時期に訪ねたのは、中学三年生のある女子生徒に会うためです。この生徒は僕に、コンサートがとても楽しかったと手紙を寄せてくれていました。年が変わり一月六日、探検の殿堂でコンサートを開催した時にも聴いてくれて、「今日のライブは短い時間だったけど、すごく満足できる時間になりました。」という感想と、一編の自作の詩を添えた手紙をくれました。コンサート以来、三年生が卒業するまでにこの学年と共通の思い出が作れないかと思案していた僕は、中学校の林栄次教諭に「彼女の詩を唄にしたい」と申し出ました。学校側も快諾してくださり、特別に楽曲制作を行う教室と時間を提供してくださったのでした。
 僕が来校したことが知れ渡ると、気になって授業に集中できなくなるということで、お昼ご飯中にそーっと校舎に入り、学校側にご用意いただいた教室で午後一時に彼女と会いました。彼女の詩を唄にしたいと申し出ましたらとても喜んでくれて、二人での共同制作が始まりました。おそらく彼女はワクワクしてくれているのですが、緊張のあまり言葉にならないといった状況でしょうか。言いにくいこともあると思いましたので、あれこれ世間話をしていきながら詩に託した思いや心の動きを聞き出していきました。原型のまま曲をつけるというのは難しい部分も感じていましたので、もともとお送りいただいていた純粋な言葉を崩すことなく、音楽の詞としての再構築をしていく作業を繰り返しました。
 午後七時、詞は何とか完成したのですが、曲が三割くらい残っていた段階で彼女を帰しました。フルコーラスを聴きたかったと思うのですが、これ以上遅い時間になってしまうわけにはいかず、「今夜中に必ず完成させるね」と約束をして別れました。ほとんどノンストップで六時間、一つ一つの言葉の背景や思いを確認する作業は、十五歳の少女には大変な重労働だったと想像します。「いい唄にするからね」、心の中で唱えながら一人で作業を再開しました。教室に残った僕は、彼女の体験や思いを違うニュアンスに変えてしまうことのないように、丁寧に慎重に組み立てながら生命を注ぎ込みました。持ち込んだパソコンに録音し、ついに完成。学校を後にしたのは午後十一時、実に十時間をかけて湖東中学三年生との初のコラボレーション、『気持ち』という楽曲が完成したのでした。

043kimochi1.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第42回 ~僕の人生を支えたキャストが大集結~

2008年3月9日vol.438掲載
 二月九日、あるお披露目の為に京都でパーティーを開催しました。当日はあいにくの雪となりましたが、全国各地から一五〇名以上の方にお集まりいただきました。このような規模でパーティーを開かせていただくのは、僕の人生の中で初めてのこと。事前よりどなたがお見えか存じ上げていたものの、これだけの方に一堂に会していただいた光景はとにかく圧巻でした。僕の人生のあの場面でお付き合いいただいた方、この場面でお支えいただいた方、別々に知り合った方々が同じ時間に同じ空間でお顔を合わせていただくわけですから、とても不思議で感動的な場となりました。小さい頃から遊んだ友達、一生懸命ご指導くださった小学校や中学校時代の恩師、一緒に勉強や部活に励んだ高校時代の友人、将来の悩みなどを相談し合いながら芸術に情熱を注ぎ合った大学時代の友人、音楽関係者や映像関係者、身内までもが勢揃いし、大スペクタクルパーティーとなったのでした。
 人生三十年の節目の年に、こうしてお世話になった方々にお集まりいただけたことは、僕にとってとても重要な一ページになりました。台湾から駆けつけてくれた友人と後日電話で話した折、彼はこう言いました。「この顔ぶれが次に揃うのは、葬式の時とちゃうかぁ?」と。「いやいや、僕の葬式でもこの顔触れは無理やでぇ」、続けてこう答えました。正に今しかありえない再会、僕という舞台の今しかありえないオールキャストの集結で、貴重な瞬間でしたね。葬式と言わず、またやりたいなぁ。あちらこちらのグループで、「次は高校の同窓会やろうや!」とか、「また一緒にイベントをやろう!」なんて声が挙がり、少し遠ざかっていた方々とも改めて距離を縮められたことは今回の大きな収穫でした。今までの関係が、年賀状だけでしか繋がっていないのは寂しいことだと思い続けていましたから。一堂に会することは難しいでしょうが、これからもどんどん会っていきましょう!
 僕は皆さんに育てていただいたことを痛感すると共に、この仲間とまた新たな一歩を踏み出したいという希望を抱きました。ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。でもやっぱり全員で会えたら楽しいし、何にも関係ないけど一年後に同じメンバーで会を催そうかな?怒られるかな?
今日も僕は、皆さんのお陰で生かしてもらっています。

042kyoto_party.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第41回 ~湖東から探検家を生み出そう!~

2008年2月10日vol.436掲載
 一月六日、僕が始まった場所・旧湖東町に再び訪れました。昨年十月に湖東中学校で全校コンサートを行って以来、様々な方面で反響があったようで、今回は「西堀榮三郎記念探検の殿堂」でアマネのミニライブを行わせていただくことになりました。こちらには現在、昨年の湖東中文化祭において生徒によって製作された巨大貼り絵が展示されていて、ミニライブはこの展示を記念するためのものでもありました。その絵は、広い壁一面を覆ってしまうほどの大きさで、よく見るとそれを構成しているのはなんと新聞チラシ!印刷された人の顔や商品もそれぞれの役割を担い、ド迫力の荒波に向かう探検船を描いています。大変な作業でしたなぁ。横八メートル、縦五メートル半に及ぶこの作品、その名も「有言実行-荒波を越えて-」。文化祭では我々アマネが「僕らの毎日、大波小波」と歌う「マンマンデイ」という曲をバックにお披露目されたそうで、その絵の前での演奏には自然と力がこもります。急な催しにもかかわらず、たくさんの中学生や地元の方にお集まりいただき、たった四曲の演奏でしたが今年のスタートを盛り上げていただきました。
 演奏後、学芸員の方とお話をさせていただくことができました。この施設に対する僕のイメージというのは、「南極のマイナス二十五度が体験できる観光スポット」というものでした。しかしお話をさせていただくにつれて、その観光スポットとしての位置付けは、一つの側面に過ぎないということがわかってきました。こちらでは普段「キッズ探検倶楽部」をはじめとして、子供たちに向けた実験学習、製作活動、あるいは現場に赴いてのフィールドワークなどを実施されているそうです。冒険心や好奇心をくすぐるテーマのもと、未来の「探検家」を育成するべく地域に根ざした取り組みをされています。「アマネさんの演奏を体験することも探検の一つなんですよ」ともおっしゃっていただきました。未知の世界を体験し、自らが切り開き、そして到達することはどんなジャンルであっても探検なんですね!探検と聞けば「水曜スペシャル・川口浩探検シリーズ」を思い浮かべるのは僕の世代がギリギリかと思いますが、あの雰囲気しかイメージできないとは何と浅はかなことか。
 湖東地域から本当に探検家が生まれるといいですね。子供のときから「探検」が身近にあるのとないのとでは大違いですから、可能性は他の地域よりも高いんじゃないですか?こちらの体験学習を通じて、様々なジャンルの探検家が湖東から登場してくれることを心よりお祈りしております。

西堀榮三郎記念探検の殿堂
http://tanken-n.com/

041koto_tanken.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第40回 ~ライヴハウスも、いいもんだな~

2008年1月13日vol.434掲載
 あけましておめでとうございます。なんと平成も二十年目を迎えてしまいました。この時代も一くくりできなくなってしまいましたね。本当に早いもので。
 さて昨年末、僕は「麗蘭」のライヴを観るために、京都の磔磔というライヴハウスに行ってまいりました。「麗蘭」というのは元・古井戸でRCサクセションの「仲井戸 Chabo 麗市」と、元・ストリートスライダーズの「土屋 蘭丸 公平」という二人のギターユニットです。二人はいつもブルーズを基調にしながら、驚愕のツインギターと熱いメッセージを届けてくれます。特に今回はバンドを従えないアコースティックセットで、声もギターもまるで肌触りまで感じ取れるようなシンプルサウンドでした。ごまかしがきかない環境下で、お二人の温かさや思いの熱さを味わいながら楽しませていただきました。オーディエンスは着席形式でしたが、パーカッシブな二人のギターに会場は高揚。外は寒い冬だというのに自身は汗だく。Chaboは会場を煽り、蘭丸もクールな顔をしてギターで観客を震えたたせます。年末の磔磔公演はもう恒例となっており、例年足を運んでおられる方は「これを観なきゃ年を越せない」くらいの感覚でいらしていて、四夜連続で行われる公演に「全部行ってるんちゃうかぁ?」という方もお見受けしました。季節と街と音楽が切り離せなくなっている瞬間を体験しました。わたくし事ですが、最近ライヴハウスが嫌いで、演奏するも聴くも、そういった会場から遠のいている自分がいました。それは昔のライヴハウスではなくなってしまったから。その場所で担う役割を見失っていたり、やりっぱなしの公演を繰り返していたり、スタッフのサービス精神が向上できていなかったり。そんなこともあって僕にとって居心地のいい場所ではなくなってしまっていたんですね、最近のライヴハウスは。しかし「麗蘭」のライヴは、まさにライヴハウスでしか味わえない味でした。これぞライヴハウスの醍醐味、って感じ。目と鼻の先、お二人の汗や唾も確認しながらこってり二時間の本編を堪能しました。ここで終わりと思いきや、そこから一時間のアンコール。熱い。熱すぎる。御年五十七歳と四十七歳。凄いなぁ。終盤、Chaboさんが僕の膝の上に座って演奏するというハプニングもあって、大大満足のライヴとなりました。
 ライヴハウスも、いいもんだな。今年は見直して、ライヴハウスの演奏も頑張ってみようかな。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

麗蘭・ミニアルバム「1+1(ONE PLUS ONE)」(2007)
[XQBU-1004]


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第39回 ~原点に帰ろう Ⅲ~

2007年12月9日vol.432掲載
 僕は、原点に帰ったんだ。
それは十月三十一日の湖東中学校でのコンサートを終え、しばらくしてから、湖東中の生徒から届いた感想文を読んで実感したのでした。九歳まで居た湖東町に、僕が本当に居たという事実は、家族の記憶と住民票の記録しかない中、それを改めて確実なものにしてくれたのは、紛れもなく中学生たちの言葉でした。「アマネのコンサートを聞いてぼくは、みつるさんは湖東になにかしようと思っていたとゆうのを聞いてすごくかんどうした。ぼくも湖東におんがえしをしたいです。」(一年二組・男子)、「私も第三出身です!」[注:第三=湖東第三小学校](一年一組・女子)、「アマネのボーカルの人は私と同じ長で生まれたのでびっくりしました。」[注:長=旧湖東町大字長](一年一組・女子)、そうだよ、僕もみんなと同じ湖東町で生まれ育ったんだよ。大阪で僕は大きく呟きました。故郷ってものは、時として大きすぎて重荷になったり、逃げたくなる存在になることもあるのですが、生徒たちのこの言葉は、僕に勇気と更なる階段を与えてくれました。当然のことながら、僕が彼らと一緒に湖東町で過ごした時間はありません。二十一年前にこの町を後にした僕は、彼らが生まれ育ったことを知らずに今日までやって来ました。なのに湖東中生たちは、二十年以上も前に同じ湖東町に生まれ育った僕の唄や話に共感を覚えてくれました。何らかの驚きと興味を覚えてくれたことに、とても報われている僕がいます。原点と言いながらその記憶は年々薄れ、故郷が思い込みのような存在に化していくことに歯止めをかけてくれました。帰ってきたんだ、そして帰れる場所があったんだ。あの時の友達がいなくても、あの時の風景がなくなっても、僕にとっての故郷がそこにあることを湖東中生たちは教えてくれたのでした。
 帰れるんだね。帰る場所があるんだね。踏み出すことに、もうためらいはありません。長年積み上げたことを失ったところで、僕には帰る場所がある。そのときは一から始めればいいんだ。始まった場所にぶらり降り立てば、コンパスが次の方向を指し示してくれることを気付かせてくれた、そんな湖東中学校コンサートになりました。
 迷ったなら、原点に帰ろう。

039koto_jhs.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第38回 ~原点に帰ろう Ⅱ~

2007年11月11日vol.430掲載
 そうだ、原点に帰ろう。
 十月三十一日、僕が始まった町・旧湖東町にある湖東中学校で全校ライブを行いました。今の中学生に僕たちアマネの音楽がどんなふうに響くか、当日までは大変不安な日々を過ごしました。今回のライブの発起人、林栄次先生とは十五年来のお付き合い。僕が中学三年生のとき、多賀町が支援してくださったアメリカでのホームステイの旅でご一緒させていただきました。町内在住の中学生四名と社会人六名が対象で、それまで家族以外と旅行に行ったことがない僕にとって、とても大きな冒険でした。林先生はじめ社会人チームの皆さんは中学生の僕を子ども扱いではなく、一人の人間として対等に扱ってくださいました。あのときの林先生とおよそ同じ年齢になった僕が歌う相手は、当時の僕と同じ中学生。本番直前、僕はふとあの時接してくださった林先生を思い浮かべました。「あのとき接してくださったように中学生に語りかけよう」、そう唱えながら僕はステージに上がりました。不安と期待の中で最初の曲を歌い終えたとき、体育館に大きな拍手が響き渡りました。「あぁ、よかった・・・」
 それから二時間以上にわたり、生徒たちの大きな手拍子、大きな歌声、大きな拍手に支えられながら、湖東町を離れた二十一年前を振り返りました。多賀町の親元に引っ越すかどうか母が悩んで、「いいよ」と後押ししたのは小学二年の僕でした。大好きな町を離れるのは嫌でしたが、姉が中学に入るタイミングで一番いいと自分なりに考えたのでしょう。それでもこの二十一年間、「~たら」「~れば」という言葉は常に僕に付きまとってきました。最後の拍手と歓声に包まれたとき、その言葉はもう要らなくなりました。この町に残っていれば、このようなコンサートは実現できなかったのですもの。今は僕が始まった大好きな町に、微力ながら恩返しができたような気がしています。運命的な出会いが必然を生み、愛情溢れる皆さんの協力によってまた新たな出会いをいただいたコンサートになりました。湖東中の生徒の皆さんとはまだ始まったばかり、十五年とか二十一年なんて遠すぎるので、近い将来にステキな必然を一緒に生み出しましょう。
 ありがとう湖東町。ありがとう湖東中学校。

038koto_jhs.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第37回 ~原点に帰ろう Ⅰ~

2007年10月14日vol.428掲載
 僕は昭和五十二年、旧湖東町長で生まれました。そして小学三年生で多賀町に引越しするまでの九年間をこの地で過ごしました。生まれてから九年間の経験や記憶というのはやはり人間にとって重要なもので、僕にとってもこの間の出来事が自分を形成する大きなベースになっていると感じています。僕が育った家は木造長屋の町営住宅、今はその形さえ存在しません。草むらと化したその場所に、息を潜めるようにひっそりと小さなお宮だけが生き続け、かつてそこに人の営みがあったことを物語っています。湖東町に残りたかった気もしますが、湖東町に残らなかったから今の僕がいる訳で、過去のことを「~だったら、」「~していれば、」なんて言ってみてもしょうがなく、その結果だけがここにあります。当時は貧乏な生活でしたし、今お付き合いをするほどの友人も作ってきませんでしたが、毎日が本当に楽しい湖東町時代でした。とにかくいい場所で育ててもらったなぁと思っています。二年間しか通学しなかった湖東第三小学校でしたが、時折「絶えぬ流れは、愛知の川♪」なんて校歌を鼻歌してしまいますし、悩んだりしんどくなった時には「やろう、くじけず、最後まで」と学校のスローガンを唱えながら乗り切ることもしばしばです。たかだかですが、されどであり、やはりの湖東町九年間だったことを痛感いたします。
 湖東町で生まれてから三十年を迎えた今年、何ともうれしい依頼が舞い込んできました。「アマネの音楽を、湖東中学校の生徒に聴かせてやってくれないか」と。いつの日か生まれ故郷に恩返しをしたいと思っていた僕に、またこんな節目の年に、最高の機会を頂戴しました。来る十月三十一日、五時間目と六時間目の授業時間をお借りして全校生徒の前で歌わせていただきます。湖東中に通えなかった僕が、旧湖東町を背負う若者に全身全霊を込めて歌う異例の出来事になります。僕にとって「~たら」「~れば」が全く必要のない言葉になる日が、もうそこに待っています。
 そうだ、原点に帰ろう。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

湖東中学校芸術鑑賞授業「アマネ」公演
十月三十一日(水)十三時三十分より
東近江市立湖東中学校体育館にて
原則として生徒向けの公演になりますが、
公開授業として一般の方も無料でご入場いただけます。
授業であることを十分にご理解の上、ご参加ください。
お問い合わせは湖東中学校・林栄次教諭
(〇七四九‐四五‐〇〇二〇)まで。

第36回 ~アマネ、初の長浜ライブ~

2007年9月9日vol.426掲載
 長浜という町は、以前からとても魅力的な町だと感じてきました。いくつの時だったでしょう、母親に連れられて初めて電車に乗って向かった先は長浜でした。できたばかりの長浜城に、ドキドキしたのは幼稚園の遠足の時です。古くは秀吉が、十年ほどしかいなかったにも関わらず、信長の長の字を取って今浜を長浜と名付け、様々な文化や商業を生み出したり、明治時代には鉄道、学校、銀行といった文明開化を先取りしたり、その歴史や風土の奥深さはあの観光客の数を見れば歴然、今もなお長浜は魅力的なオーラを全国の人々に放ち続けています。僕は湖東町に生まれ、多賀町で育ち、米原高校まで通っていたのにその以北というのは意外と伺う機会に恵まれず、何だか悶々とした日々を過ごしてきたわけですが、いつの日か必ず自分たちの唄を、憧れの長浜に響かせたいと願ってまいりました。十数年人前で歌っているのに、長浜で一度も歌ったことがないなんて・・・。
 そんな折、一つの演奏依頼を受けました。何と二十四時間テレビの長浜募金会場で、我々アマネに歌ってほしい、とおっしゃっていただいたのです!未開拓の町、魅惑の町、今まで手の届かぬ存在だった長浜でやっと歌うことができる、本当にうれしく思いました。迎えた八月十八日、当日はうだるような暑さ、全国でもたくさんの方が熱中症で倒れておられるという日でしたが、スタッフの方々は止まらぬ汗を拭いながら、会場の準備を進めてくださいました。僕らも汗だくになりながら、炎天下のステージで演奏を始めました。曳山博物館の前、どうかこの長浜の町に、どうかこの長い歴史の中に、どうかこの深い文化の奥底に響き渡れ、と声を張り上げました。
 およそ一時間、暑い中お付き合いいただいた観客の皆様、スタッフの皆様、どうもありがとうございました。長い間思い描いてきた長浜での初ライブを、皆さんと共に過ごせて本当によかったです。やっと、やっと実現できました。歌い終えて、流しきった汗を拭いながら、とてつもない爽快感を覚えました。まだこの関係は始まったばかり、僕らはまた長浜に帰ってきます。必ず帰ってきますね。やっぱよかった、長浜。

035nagahama.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第35回 ~初の試み、特別先行試聴会~

2007年8月12日vol.424掲載
 去る七月一日、大阪市内某所にて、我々アマネはニューアルバム特別先行試聴会を行いました。今までリリース前の音源というのは、スタッフや関係者にしかお聴かせしてこなかったのですが、今回の音源には特別な思いもあり、一般の皆さんに様々なご意見を伺いたいと、開催を企てました。
 昨年の春より選曲や構想を重ね、一年に渡って制作してきた音源を、どんな形でご披露すれば皆さんの本音を聞き出せるか、僕たちは思案してきました。一時間のフルアルバムを集中して聴いていただくには、一体どんな状況が最適か?スピーカーよりヘッドフォンがいいか。携帯プレーヤーも流行っているし、なるべくご自身のヘッドフォンで聴いていただこうか。お腹が減ったり眠くなったりしてはいけない、午前中に開催しようか。などなど。ライブでもないし、こんな地味なイベントに本当に参加していただけるのか?という根本的な不安もあったのですが、結果定員オーバーの約三十名の方々にお集まりいただきました。こんなマニアックな会にお越しいただけるのは、およそファンの方のみだろうと考えていたのですが、蓋を開けてびっくり、三割以上の方はアマネのCDもライブも聴いたことがないという方々でした(ファンじゃない方の声を伺えるのはありがたい!)。素敵な出会いと、多彩なご感想に大変感謝いたしました。やはりこんな催しは初めてでした。朝の十時から三十名がヘッドフォンをかぶり、アンケート用紙に向かって、完全に沈黙した状態で会が進むのです。学生時代の試験さながらの光景でした。早朝からお集まりいただき、僕らの新しい音楽を真剣に聴いていただき、試聴後には僕らの音楽を熱っぽく語ってくださいました。アルバムのタイトルは皆さんのご意見から決定する予定です。ご参加いただいた皆さん、本当にご協力ありがとうございました!
 開催の最大の目的は皆さんの第一印象を伺い、今後どういった形で販売活動を行っていけばいいか模索することだったのですが、皆さんの生の感想は、すごく大きな力と勇気を与えてくださいました。これで自信を持ってこの作品を世に送り出すことができそうです。一人でも多くの方に今作をお届けできるように、一生懸命取り組んでいこうと改めて決意いたしました。

034senkou1.jpg

034senkou2.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第34回 ~僕がハムだった時代~

2007年7月8日vol.422掲載
 先日、DADAの読者の方から、ホームページに書き込みをいただきました。その方はハム(アマチュア無線家)だった方で、僕がハム一家の息子であることを二十年前の年賀状で確認され、書き込んで下さったそうです。すっかり忘れていました、僕もハムだったことを。
 父が始めたことで、その後母が免許を取得し、姉と僕も取得し、携帯電話もない時代に、一家は家族間通話無料という偉業(?)を成し遂げました。今から考えると父の趣味を助長する為に利用されただけだった感も否めない訳ですが、アマチュア無線のあった生活が幼少期の僕に与えた影響はとても大きかったと振り返ります。僕は小学三年で免許を取得しましたが、それを皮切りに同級生や先生が取得しました。機械が好きなこと、おしゃべりが好きなこと、見ず知らずの方と交信してみたいという思いは、唄を歌っている今も同じです。
 父のハム仲間の家族と旅行に行った時は、皆が携帯無線を持って行動するものですから、旅館の従業員らは物騒な客だと思っていたでしょう。刑事モノのドラマも流行っていましたし、男の子は探偵やスパイが好きですから、その怪しい世界に憧れた部分もありました。無線を通して怖い体験もしました。滋賀県警は当時アナログ無線を使用していた為、ちょっと改造したアマチュア無線機で警察無線を傍受することができたんですね。時効だと思いますが、ハムの人たちは結構聞いていたように思います。そんな折、滋賀県を含む関西圏でグリコ・森永事件がおこりました。僕が七歳の時です。犯人も同様のアマチュア無線機で警察の動きを傍受しており、劇場のような犯罪を見せつけました。連日の報道、ハム仲間で飛び交う憶測、警察も情報提供を求めて父のもとに何度か訪れることがあり、近くに犯人がいるのではないか、と非常に怖い思いをしました。二〇〇〇年に時効を迎え、犯人が捕まらなかった悔しさと、自分のそばに常にアマチュア無線があったという一つの時代が終わったことを強く感じました。
 現役ハムの方には申し訳ないですが、伝染病のようなもので、不思議な時代でした。自転車にアンテナをつけて走り回っておりましたが、それはもう過去のこと。ただ、そこで得た経験や人の繋がりが、違った形で人生を支えてくれていることに大変感謝しています。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第33回 ~雨を乞うた日本人~

2007年6月10日vol.420掲載
 年々異常気象を招いているこの日本の気候、今後どうなっていくのか大変心配です。とりわけ日本には四季というものがあって、折々の季節の中で注がれるべき日の光と雨の水がなければなるものもならない訳で、どこかで水不足と聞こえてきますと、ますます心配になります。逆も然り、雨ばかりが続くのも厄介なものです。中学や高校の頃、長時間かけて自転車通学をしておりましたので、梅雨時の登校は本当に嫌でたまりませんでした。しかしながら家では百姓もしておりましたので、祖父の前では雨の日でも嫌な顔ひとつせぬよう努めていたことを思い返します。その頃は豊作を祈る気持ちよりも、我が身が濡れることへの懸念ばかりだったのですが。やはり照るべき時に照る、降るべき時に降る、何とか日本の環境が戻ってくれることを願うばかりであります。
 現在のように環境が悪化する以前にも、やはり異常気象はあったようですね。日本の各地には雨乞いの歌や儀式がたくさん残っています。昔は自給自足ですから農作物が実らないことは正に死活問題です。慈雨がもたらされなければ、踊り、歌い、雨を乞うたのでしょう。本来、音楽やダンスというパフォーマンスは、こういう出来事に直面した人間の喜怒哀楽を表現したものだと想像します。今はそのほとんどが中央から発信され、ビジネスに基づいたものが氾濫していますが、もっと身近で、生活に直面したことを踊り、歌うことが今の時代にも必要だなぁ、と考えています。
 小学生の頃、同じ大滝小学校の大君ヶ畑分校の児童が踊る「かんこ踊り」を見ました。当時はちょっと滑稽やなぁ、なんて思っていたのですが、大人になりますと踊り始めた先人たちの思いに心打たれます。旧山東町朝日地区をはじめ、滋賀県にも数々の雨乞いパフォーマンスが残っています。科学の進歩はそういう日本人の営みを過去の伝統文化に追いやってしまいがちなのですが、どうも無意味なことだと思えないのです。念ずれば花も開くと。てるてる坊主を吊るしてみたり、八代亜紀を歌ってみたり。どんな形でもいい、それぞれが乞うことで秋に実りを授かれそうな気がするんです。みんなで祈りましょう。日本の梅雨が、今年もしっかり梅雨でありますように。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第32回 ~8㎝CDだった「あの頃」の音楽~

2007年5月13日vol.418掲載
 連休も明け、我々アマネのアルバム制作もほぼ大詰め、あと数曲のミックスダウンを残すところまでやってきました。今回のプロデューサー・和田俊輔氏は僕と同い年。アマネは三人とも同い年なので、四人で会議をするとついつい昔の音楽の話になってしまいます。「あの頃のCDは何で売れたんやろう?」、「あの頃は毎月のようにCDを買っていたなぁ」、CDを作る側としては音はもちろんのこと、どんなジャケットにするか、どんなパッケージにするかなど毎日のように思案しているわけですが、その議論の多くは「あの頃」の名曲たちとの思い出を軸に進んでいきます。僕らの「あの頃」とは、一九九〇年から九五年頃にあたるでしょうか。先日和田P邸に伺いますと、大量の8㎝CDが置いてありました。まさに「あの頃」の遺産です。二曲で千円という割高感は否めませんが、それでも手元に置いておきたかったんですよね。
 「リンドバーグ」、中学生の時にハマりました。彦根市民会館にもツアーで廻ってきましたので観に行きました。ヴォーカルのマキちゃんのアイドル性、日本人にウケやすいわかりやすい歌詞とメロディー、バンドが持っているスピード感は今でも通用するものを感じます。和田氏との会話の中でも度々出てきましたので改めて聴きなおしてみると、めちゃくちゃいいんです。懐かしさも手伝って、一日中頭の中でリピート再生されます。最近の音楽が悪質だということは決してないですし、ダウンロードを批判するつもりもありません。が、非圧縮の良質音源と、アーティストのこだわりが垣間見えるブックレットなど、CDというメディアパッケージをしっかり届けていた「あの頃」のように自分たちの音源も世に送り出したいと思うと、自然と葛藤が生じます。今のリスナーはじっくり歌詞を読んだり、コンセプトを汲み取ったり、どんなスタッフが関わっているかを知ったり、そういうことには興味がないのかなぁ。自分の考えは古臭いのかと悩んでしまいますが、歌詞のフォントやブックレットのデザインにわたり、思いやこだわりを込めていきたいんですよね。音がデータとしてやり取りされるだけでなく、作り手と聴き手の人間性でキャッチボールし合えるものが売り買いされる時代が、再び訪れてくれることを願います。「あの頃」のように。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

リンドバーグ・アルバム「LINDBERG Ⅳ」(1991)
[TKCA-30278]

032LINDBERG4.jpg

第31回 ~走れ!多賀町ナンバー~

2007年4月8日vol.416掲載
 高校卒業と同時に僕の愛車となった原付、スズキ・セピア号は今年で十五歳。僕が十一年間乗るその前には姉が四年間乗っておりました。現在も現役バリバリ、多賀町ナンバーは今日も大阪市内を爆走中(法定速度は守っています♪)です。原付の十五歳は、見た目的にも体力的にもかなり限界にきています。故障やパンクの度に乗り換えたいなぁ、車欲しいなぁ、とも考えましたが、修理代も毎回数千円で済んできましたし、大阪で車を維持できるほどの経済力もありませんので、大きな傷みに至らないことを感謝しながら乗り続けてまいりました。
 いつものように愛車にまたがっておりますと、友人からこんなことを言われました。
「喜多君が来るの、二つ向こうの信号からわかるわぁ」
えっ?このバイク、そんなにうるさいの??自分ではもう慣れてしまっていましたが、確かにこれはうるさい・・・。夜中の帰宅など近所迷惑になっているかもしれない、と恥ずかしくなり、早速バイク屋さんに預けに行きました。するとマフラーが錆びていてバリバリに割れているとのこと。マフラー交換で二万円ですって。二万円かぁ。十五年間で一番高い修理代です。ちょっと渋っておりますと、バイク屋の主人は言いました。
「このエンジンは凄く良くできているから、壊れるまで乗る方がいいよ。」
「・・・、じゃあ・・・、お願いします・・・。」
 落ち着いて考えたら今新車なんて買えないのですが、判断に躊躇してしまいました。ここに来てセピア号、また大きな山を越えやがったなぁ。どうもこのセピア号とは簡単に縁は切れないようです。長年連れ添ってきたもんなぁ。色んな所へ連れて行ってくれたもんなぁ。
 自分の愛車になって最も静かな音になって帰ってきたセピア号は、今日も大阪の風を切って走っております。もう少し一緒に色んな景色を見ような。雨の日も風の日も、走れ!多賀町ナンバー。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第30回 ~大人になったことを告げてくれた芝居流通センター~

2007年3月11日vol.414掲載
 祝連載三十回、そして僕は来月三十歳になります。どっちの三十も想像していなかったのですが、無事に数を重ねられることは幸せなことですねぇ。いつのまにか大人になったものです。中身は子供のままですが、これまでに何度か「大人になったかも?」なんて思う瞬間がありました。恋をした時、酒の味を覚えた時、お金を稼いだ時、初めてタバコを吸った時、昔は食べもしなかった田舎料理がおいしいと思った時もそうでした。そして「デス電所」と出会った時も。
 「デス電所」は大阪を拠点に活動する小劇団。自らを「芝居流通センター」と呼び、芝居はもちろんのこと、ダンス、音楽、映像と、オリジナルのエンタテインメントを一気に展開する集団として人気を得ています。その芝居の中には人間の中の邪悪な部分、卑猥な部分が随所に散りばめられ、子供の時に見た「劇」とは程遠いものを感じました。初めて観たそれは、所謂アンダーグラウンドなもので、世の中にこんな表現があるのかと驚きました。それまでに知っていた「劇」は夢とか希望を説いたもの、明るい未来に導いてくれるものこそがステージだと思っていました。しかし彼らは違った。あらゆる伏線の中で、様々な人間の企みが、訳のわからぬうちに繋がってゆく。徹底的に人を傷つけ、心を裂き、やがて来る完全な暗黒を圧倒的な笑いで吹っ飛ばしていきました。それを自分と同い年の人間が作り、演じているんです。正直うれしかったし、正直悔しかった。夢とか希望とかを直接語りかけないで夢や希望を謳っている「デス電所」と、同じ価値観を持っている自分に気付いた時、自分が大人になったことを感じたのです。自分の腹黒さにも気付いて。
 先日「デス電所」は、井原西鶴の「好色一代男」を披露しました。古典をしっかりと自分たちのリズムに取り込み、洗練された現代感覚に置き換え大成功をおさめました。また一昨年・昨年と公演された「音速漂流歌劇団」は、先日発表された第十三回OMS戯曲大賞を受賞、アンダーグランドから一気にメジャーへと成長を遂げました。あの時僕が嗅いだ大人の香りに、色んな人が反応してきました。同い年ですが、脚本・演出の竹内佑氏を始め、役者のみんなを凄く尊敬しています。これからも大人の中の子供性、子供の中の大人性を類稀な表現力で放っていってくれることと信じています。
 今僕たち「アマネ」は、「デス電所」の音楽家・和田俊輔氏と一緒にアルバム制作を行っています。僕らの音楽を聴いて下さってる方々に、少しでも彼らの空気や才能に触れてもらいたいという思いでいます。完成をお楽しみに。OMS戯曲大賞受賞、本当におめでとう!

デス電所DVD「音速漂流歌劇団」(DDRDVD-03~04)
[撮影・編集は喜多によるもの]より

030onsoku.jpg

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第29回 ~命の襷を受け取って~

2007年2月11日vol.412掲載
 正月が明けて数日後、僕のもとに一通のファックスが送られてきました。「娘が病気で他界した」と。その娘というのは、僕らのファンのお一人で、アマネを結成する以前から僕らの音楽を気に入って応援してくれていた方なんです。初めてお会いしたのは今から七年前、彼女は京都の大学生でした。当時僕らは、毎月のように京都でライブをしては、朝まで友人やお客さんと飲んでいました。彼女はその中にいつもいてくれました。お金はなかったですが、打ち上げをするのが当たり前だと思っていて、色んな話をみんなとしていました。彼女は僕らの活動当初からのお客さんでしたし、時にはプライベートなことも話していましたので、大学を卒業されて千葉のご実家に帰られてからも、僕はずっと葉書を送っていました。当時のように電話もメールもしなくなりましたが、すごく大切に思っていた方でした。その彼女が亡くなったとお母さんの文字。放心状態で、何時間も時間が止まりました。なぜもっと話しておかなかったんやろう。なぜもっと会っておかなかったんやろう。お互いに若いし、頻繁に連絡しなくてもそのうち会える、って思っていました。死ぬなんて思ってもみないし。
 お母さんに電話をしました。初めて話しました。一緒に泣きました。彼女を産んだお母さんだけに、真っ直ぐで、誠実で、一生懸命の方でした。彼女はそんなお母さんの価値観を、しっかり受け継いだ人だったと感じました。そんなお母さんより先に逝ったらあかんよ。いっぱい話したいこともあったし、今録音している新しいCDも聴いてほしかったのに。電話を切ったあと、七年前の彼女のアンケートを読み返してまた涙しました。
 彼女はスキルス胃癌だったそうです。健康診断でも発見できず、抗がん剤も追いつかず、急速に転移し、最後は肺まで広がっていったそうです。そんな時、僕らは何ができる?自分の無力さがとても腹立たしい。出会ったらいつか別れがくるのはわかっているけど、何でこんなことになるんかなぁ?なんぼ歌っても歌っても、聴いてくれる人がいなくちゃ、聴きたいと思ってくれる人がいなくちゃ成立しないよ。若いからとか、大丈夫やからとか、いいかげんに過ごしたらあかんよね。
 何もできなくてごめんな。あなたの死を決して無駄にしない。あなたに聴かせたかった唄、これからも一生懸命歌っていきます。安らかに眠ってください。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第28回 ~二〇〇七年正月、実家のよびしにて~

2007年1月14日vol.410掲載
 みなさん、あけましておめでとうございます。今年もこうして健康に正月を迎えられたことに感謝します。実質一日だけでしたが、故郷の多賀町富之尾に帰りました。喜多家では昔から正月三日、大瀧祭りの五月五日、地蔵盆の八月二十四日の年三回、「よびし」を行います。つまりは親戚呼び。なぜ「よびし」と言うのかいまだに謎ですが、とにかく喜多家のよびしは親戚付き合いが希薄になったこのご時世においても、三世代に渡る親戚が一堂に会する催しとして続いております。こんなことは当たり前のことと思って育ってきたのですが、どうやら世間では少ないようですね。大きくなってから知りました。僕が年配の人に対して苦手意識がないのも、こういう環境のお陰かもしれません。今回のよびしでも、七十オーバーのおばあちゃまたちと延々話をしていました。
 祖父はもう亡くなったのですが、弟一名、妹三名が健在です。この祖父の妹三名がおもろいんですなぁ。僕はこの三ババを、未亡人トリオと名付けております(愛を込めて♪)。よびしの時に、このおばあちゃんたちに昔の話を聞くのが大好きなんです。尋常小学校のこと、戦時中のこと、京都に女中に行ってた時のこと、結婚した時のこと、何でもかんでもが新鮮で興味深いんです。今回の発見は、それぞれが小学校の時、長姉はゴム靴だったのに下二人はわらじだったということ。こんなこと、どこを調べても載ってないですよねぇ。時代が古いほど貧しいイメージやったのに、戦争に入るまでは豊かやったんですね。そんな発見をしながら、時には同じ話を何度も聞きながら、半世紀近い歳の差を飛び越えてまいります。嫁に出た三人が様々な苦労を乗り越え、夫を亡くし、また生家に戻って子供の時のように、いや、子供の時以上に団欒している姿は、正月を迎えられる幸せを倍増させてくれます。
 僕が大学生の時に、祖父は亡くなりました。もう少し僕が年齢を重ねていたら、このおばあちゃんたちとのようにいっぱい話ができたのに。瓦葺き職人で、芸達者で、頑固で、大酒呑みで、人間思いのおじいちゃん、結局面と向かって腹割って話せなかったなぁ。そんな後悔があるから、みんなと話せる時に話したいんですよね。次に顔を合わすのが法事やお葬式なんて嫌じゃないですか。みんな長生きして、いっぱい話しましょね。
 おじいちゃん、今年の正月も無事によびしが終わりました。みんな元気やったよ。未亡人トリオはまだ死にません。また子供の言い合いしてたもん。おじいちゃんと話せなかった分、次のよびしもいっぱい話しとくわ。今年も喜多家を見守ってね。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第27回 ~人生のバイブル「まんが道」との出会い~

2006年12月10日vol.408掲載
 NHKで放映されていた「まんが道」がDVDとして帰ってきました。「まんが道」とは二人で一つの漫画家、藤子不二雄先生の自叙伝的物語で、原作も数々の雑誌に連載され、昭和六十一年に前述のテレビドラマとして製作されました。昭和二十年代後半、プロの漫画家を目指して富山県の高岡市から上京した安孫子少年と藤本少年は手塚治虫先生が住んでいたトキワ荘の部屋を譲り受け、数々の名作を生み出しました。「まんが道」はその頃の漫画家仲間と共に成長していく青春群像が描かれています。小学三年生だった僕はこのドラマに、原作に夢中になりました。なぜ九歳の男の子がこの物語に興味を持ったのだろう、そしてなぜ二十年もの間愛してやまないのだろう。そんな疑問の答えを確かめるべく、二十年振りにドラマを観賞しました。
 現実は小説より奇なり、フィクションのようでノンフィクションであるところにこの「まんが道」の魅力がありました。二人で一つという特異なスタイル、神様のように憧れている手塚治虫先生に実際に接触していく展開、のちにそれぞれが大御所漫画家となるトキワ荘の仲間たちとの出会い、夢のような現実の話だから子供ながらに引き込まれていったんでしょうね。今日日本の巨大産業の一つに数えられる漫画文化の発展を、作家である満賀道雄少年(安孫子素雄先生がモデル)の目線で描かれているところから、自然と等身大の自分と重ねてみたのかもしれません。この作品を観て僕自身が「まんが道」を歩こうとは思わなかったですが、こんなふうに大きくなりたい、こんなふうに夢を掴みたい、と思ったことは確かです。「まんが道」のような自分らしい、自分にしかできない道を僕も見つけたい、と思ってきました。ドラマを観直しながら、時代を越えて、年齢を越えて、二十年前の清々しい気持ちを思い出しました。この気持ちは僕の中で二十年間変わることがなかったことも発見したのでした。
 今、主人公である満賀道雄や才野茂の年齢を越してしまった自分がいます。年齢は越してしまったけれど、あの時の夢はずっと同じです。時代背景も生活環境も「まんが道」の世界とは全く違うけれど、「まんが道」こそ僕の人生のバイブルだと感じました。どんな困難があっても、この作品に帰ればいつでも自分のスタートに戻れる気さえします。いくつになっても夢はあきらめられません。生涯離せない物語との出会いに感謝です。この作品が皆さんにとっても、自分の道探しのヒントになればいいな、と思いました。

DVD「まんが道Vol.1」/DVD「まんが道Vol.2 青春編」


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第26回 ~きみもミュージシャン! 子供たちとの唄作り~

2006年11月12日vol.406掲載
 先日、ご縁あって神戸市立太山寺児童館というところに伺いました。児童館の先生から「アマネのライブを子供たちに見せたい」というご依頼をいただいたのです。長年児童と触れ合ったことがないし、また自分たちの唄が子供たちに理解できるほど簡単なものではないと思うので、「大丈夫かなぁ」と正直心配していました。先生に「言葉が伝わらなくても、一生懸命さを伝えてあげてほしい」と仰っていただき、それなら何か伝えられそうだとお引き受けしました。児童とのコミュニケーションが成立するかどうかは不安でしたが、せっかくの機会なのでライブのみならず、子供たちと一緒に唄作りをすることにしました。題して「きみもミュージシャン」!
 三十名近く集まってくれた小学一、二、三年生、確かに自分がその年齢だった頃以来の交わりでした。大人しく聴く訳ないわな。しかしライブを進めていくに連れてだんだん興味津々の瞳になっていくのがわかるんです。こちらは普段のライブ同様、汗をかきかき大声張り上げて歌うんです。すると子供たちも興奮した様子で僕らを凝視しました。当初の不安は飛んでゆきましたね。そして唄作り。児童館にあった大きな犬のぬいぐるみを題材にして、その犬の名前や特徴を尋ねていきました。子供たちの発想は豊かですね。僕らが想像しないような言葉が飛び交います。子供たちの言葉をまとめ上げ、メロディを付けて完成!こんな夢のある唄ができあがりました。(ちなみに犬の名前は「ポッチャマ」に決定!)

「ポッチャマのうた」
つぶらなひとみのポッチャマは いつものんきにわらってる
ふんだりけったりしちゃうけど きょうもいっしょにあそんでね
ワンワンワン ワワンワワン
みんなをのせてそらをとぶ きょうもポッチャマはそらをとぶ
ワンワンワン ワワンワワン

 僕たちアマネは、全員で最後に合唱した「ポッチャマのうた」をCDにし、参加してくれたみんなに贈りました。この日の記憶がいつまで残るのかわかりませんが、子供たちの創造のきっかけの一つになってくれればいいな、なんて思いました。みんなとの出会いで、お兄ちゃんたちはいっぱい力をもらったよ。ありがとう!

026jidoukan.jpg
最後に全員で合唱し、
CD化した「ポッチャマのうた」はこちら

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第25回 ~アマネ、デビュー五周年を迎える~

2006年10月8日vol.404掲載
 僕が活動しているアコースティックユニット「アマネ」が、十月八日でデビュー五周年を迎えました。ファーストCD「理 -コトワリ-」をリリースし、京都東山の法然院でお披露目ライブを行ったあの日から五年、この節目の時期に素晴らしい機会を二つ頂戴しました。
 まずは九月三十日、湖北町上山田にて開催された「収穫祭コンサート」に出演させていただきました。松明の門に誘われた百名近い方々と満天の星空のもとで歌い、自然の恵みと人の愛情を大いに満喫させていただきました。歌い終わると鈴虫の音をBGMに田舎談義や音楽談義に花を咲かせました。岩魚の塩焼きに手作りピザ、新鮮な枝豆を頬張りながら地酒を一杯、二杯と・・・。丸五年にして初めて、「これや!」というものに出会えた気がしました。人と美味と自然と唄と。本当に素敵でした。アマネが目指していた時空間がここにありました。
 翌日の十月一日、僕たちアマネは「タルタルーガ」というバーの開店をお祝いするべく、豊郷町吉田に向かいました。こちらのバー、古い蔵を『快蔵』(豊郷流・蔵の改造!)し、県立大生が経営していくという面白い空間なのです。僕たちのオープニング記念ライブには地元の方や、滋賀を第二の故郷にされている学生の方がたくさん集まってくれました。人が手入れをしなければ傷んでいくばかりの蔵、この蔵ができて何年経ったのかは知りませんが、この蔵の歴史の中で一番大きく、たくさんの声が響き渡った夜になったのではないでしょうか。若い力が古い歴史に命を吹き込み、新しく大きな息吹が始まった瞬間に立ち合わせていただくことができました。
 五年の活動の節目の瞬間、一つの達成感を覚え、また一つの始まりを決意しました。これまでとこれからの縁に乾杯!原点を忘れることなく、やっぱりこれからも人間臭いことを歌っていこうと滋賀の空に誓いました。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

025odofurasya.jpg
9/30、アマネ湖北町上山田
「大戸洞舎・ほっこりおせんどさん」にて

025tartaruga.jpg
10/1、アマネ滋賀県豊郷町
「タルタルーガ」にて

第24回 ~二十代最後の夏が、終わった~

2006年9月10日vol.402掲載
 残暑が続いておりますが、今年の夏も終わってしまいました。忙しかったのであまり気にもしていなかったのですが、考えてみると二十代最後の夏が終わってしまったようです。海にもプールにも行かないで終わりましたねぇ。と言っても、もう何年もそういったところには出かけていないのですが・・・。「二十代最後」という響きがやけに応えます。ハンカチ王子の夏がキラキラしていて羨ましい!そんなに好きでもない夏、でも夏が終わると何となく寂しい。夏休みも、キャンプも、虫捕りだってなくなったのに。これ、何でなんでしょう?
 吉田拓郎の曲に、『夏休み』という唄があります。この唄、灼熱の中で楽しいばっかりの夏休みを歌ってないんですね。終わってしまった夏休みを、「それでも待ってる」って歌ってるんですよ。「二十代最後の夏」を終えてしまった僕は、もしかすると一生夏休みを待つのかもしれませんなぁ。哀愁漂う名曲です。
 今年は幸い、奈良県の五條市で行われた「吉野川祭り」にて歌う機会をいただき、ゆったりと夏祭りを楽しませていただきました。踊りがあり、花火があり、夏の醍醐味を堪能することができました。『夏休み』が収録されている『元気です。』というアルバムには、他にも秀作が数多く収録されているのですが、その中の『祭りのあと』って曲を、花火のフィナーレを見終わった後に思い出しました。楽しかった時間に戻りたい、だけど戻れない。何かで紛らわせたい自分が一人居る・・・。この曲もこの季節にグッときますね。秋の楽しみもたくさんあると思うのですが、幼少時代の夏に戻れない寂しさは、何故か歳を重ねる毎に増すばかりです。そんなことを言っても、年齢の問題だけはあとの祭りですが・・・。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
9/30(土) 湖北町・大戸洞舎「収穫祭コンサート」アマネ出演

よしだたくろう「夏休み」「祭りのあと」
アルバム「元気です。」(1972)より

第23回 ~お盆にリンネを考える~

2006年8月13日vol.400掲載
 先日、毎年恒例の故郷・多賀町のステージに立ちました。毎年地元の人たちの声援をいただいて夏のスタートを切れるのは、とてもありがたいことです。感謝。
 大阪に戻りますと、映画「転生 -TENSEI-」のDVDが東京から送られてきました。春に僕たちアマネが一生懸命取り組んだ作品です。六月に上映され、早速商品化されました。アマネにとって映像作品への楽曲提供は今回で四回目になりますが、今回は主題歌に加え、本編の挿入歌や効果音に至るまで書き下ろしさせていただいたので、大きな思い入れのある作品となりました。この「転生 -TENSEI-」、主人公は三人の女性なんですね。違う時代に生きたこの女性たちは血縁もないのに記憶を引き継ぎ、同じように若くして逝きます。まさに生まれ変わりという。ちょっと考えさせられますねぇ。怖い映像も出てきますが、夏なんで、ヒヤリとしながらご覧いただけると幸いです。
 作業が東京と大阪ということで多少不都合はあったのですが、元木隆史監督とは熱い意見交換をしながら、物語のテーマを掘り下げていきました。毎回、電話が溶けそうなくらい白熱しました。彼とは二度目のお仕事になりますが、ご一緒させていただく度に大きなテーマを与えられてる気がするんですね。それも結構大きくて、人生を考えさせられるような。そんな中で今回は「リンネ」という主題歌を書かせていただきました。偶然のように過ごす毎日が実は必然であったり、必要とされて誰かと出会ったり、バラバラの断片が見事に繋がったり。映画に出てくる女性を見ながら、実は自分は誰かの生まれ変わりなのかなぁ、と考えさせられてしまいました。前世とか別段興味がないし、曽祖父の死と入れ替わりで生まれてきたけど、記憶や性格を引き継いでるわけではないし。でも何かこの映画を通して、自分の「生」を様々な角度から見てみることを教わりました。
 お盆にはご先祖様が帰って来られるというので、DVDを観ながらアマネの「リンネ」を聴いてもらえるとありがたいです。仏さんと一緒に。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/
9/30(土) 湖北町・大戸洞舎「収穫祭コンサート」アマネ出演

アマネ「リンネ」映画「転生 -TENSEI-」(2006)より

第22回 ~雨の日に思い出す、山賊の歌~

2006年6月25日vol.397掲載
 この時期になりますと、「♪雨が降れば・・・」で歌いだされる、『山賊の歌』を思いだします。この曲を知ったのは小学一年の頃です。当時僕は湖東町(現・東近江市)の長(おさ)というところに住んでおり、湖東第三小学校に通っていました。小学二年生までこの地で生活をしたのですが、この頃の出来事を今でも結構覚えてるんですよね。幼かったし、時間も経過しているのですが、その後多賀町の学校に転校するという大きな出来事もありましたので、事細かく思い出されます。
 湖東第三小学校では毎年文化祭が行われ、各学年で一つの出し物を作り上げていました。『山賊の歌』はその文化祭で、五年生の出し物の劇中で歌われました。七歳ながらに、「小学校で山賊とか取り上げていいのか?」なんてことを思ったりしたもんでした。小学一年生にはかなり衝撃的な曲でしたね。サビの節である「♪ヤッホー、ヤホホホー」というのがとても不思議でしたし、内容がとても悪い人たちの詞とは思えなかったんです。観劇してこの曲の虜になり、以来二十年以上僕の頭をぐるぐる廻る一曲となっています。幼い頃の記憶というのは怖いもので、この曲の印象のおかげで、山賊を怖い人達だと思ったことがないんですね。歌詞からのイメージで、「山賊って、寂しい人達なのかなぁ」と思っていました。
 改めてこの曲を検証しますと、非常に哀愁のある日本的旋律で、社会の王道から外れてしまった人達の孤独な心情が読み取れ、楽曲的にもとても秀作であることがわかります。よく七歳でこの曲を気に入ったな、と感心します。「いい」と思う感覚はその時その時で異なるのでしょうが、この曲を「いい」と思った自身の七歳の感性を称えたいと思います。雨の日になれば思い出す、二十年来の付き合いの一曲でした。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

アマネが主題歌を担当した映画「転生 -TENSEI-」
7/21(金)DVDリリース

7/29(土) 多賀町・藝やカフェ横野外特設ステージ
「多賀大社萬燈祭 迎夜祭」アマネ出演

第21回 ~僕らを突き動かす、手造りの魂~

2006年5月28日vol.395掲載
 滋賀県のお隣、岐阜県は可児市に、僕がお世話になっているギター工場があります。職人三十名、日産二十本の純国産工場「ヤイリギター」です。僕が高校生の時、憧れのポール・マッカートニーが世界ツアーでヤイリギターを使っていまして、大学受験で東京に行った際にたまらずポールモデルを買ってしまったのがヤイリとの始まりです。余談になりますが、東京受験は全滅、宿泊グッズは宅急便、受験資金を投入して買ったそのギターだけを大事に抱えて多賀に帰った僕の行動を、長年両親は「ヤイリギターを買いに行っただけの東京旅行」と嘆いておりました。購入直後、卒業記念に彦根市民会館で開いたライブでそのギターを早速使用、使い易さと音の良さに魅せられ、ヤイリの魅力にどんどん引き込まれていった訳です。
 数年後、僕はヤイリ製のWネックギターを購入しました。使用方法を相談しようと、大阪に来られていたチーフクラフツマン・小池健司さんを訪ねました。小池さんは世界のトップアーティストの製作を担われ、最近ではビギンが考案した「一五一会」という四弦のギターを実現されました。世界を相手にされている方ですので少々ビビっておりましたが、大変気さくな方で、それからことあるごとに小池さんのお世話になっています。
 先日も春のライブが終了し、気になっていた部分を診てもらいました。大変お忙しい方なので、「一ヶ月先まで時間がありますので、ご都合のいい時にお願いします」とだけお伝えしておりました。「そりゃ助かる・・・」なんて言っていただいていたにもかかわらず、三日後にはお伝えしていた箇所のみならず、完全なオーバーホールをして送り返してくださいました。うれしくて泣きそうになりました。
 僕はありがたいことに、自分の仕事道具を作ってくださった方々を知っています。そして、その方々の技術やこだわり、愛情や優しさを知っています。ヤイリの手造りの魂は、日々僕らの唄となり、みんなの生きる力に繋がっているのです。今年二月に定年を迎えられた小池さん、本当に長年ご苦労様でした。これからも様々な形でメイドインジャパンの技術と心を伝えていってくださいね。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

021yairi_koike.jpg
筆者、ヤイリギター小池氏と

アマネが主題歌を担当した映画「転生 -TENSEI-」
6/3(土)~公開、7/21(金)DVDリリース

7/29(土) 多賀町・藝やカフェ横野外特設ステージ
「多賀大社萬燈祭 迎夜祭」アマネ出演決定

第20回 ~サーンヨーレ、サンヨレヨー~

2006年5月14日vol.394掲載
 僕の地元・多賀町大滝地区では、毎年五月五日の子供の日に、大瀧神社古例大祭が行われます。十五弱の字が毎年交代で神輿を担ぐのですが、昨年僕にも神輿担ぎのチャンスがまわってまいりました。子供神輿以来、十六年振りの神輿でした。日本全国にいくつくらいのお宮さんと、いくつくらいのお祭りがあるのか知りませんが、それだけの数の祭囃子や、掛け声が存在しているんでしょうね。その中でも大瀧神社の掛け声は、独特な掛け声の一つだと感じています。
 「サーンヨーレ、サンヨレヨー」、これが大瀧神社の掛け声です。ね、ちょっと変わってるでしょ?この掛け声を使っているお宮さんは、他にもあるのでしょうか?子供神輿の当時は訳もわからず、言われるがままに吠えて(?)おりました。が、大人になって「さぁ寄れ、さぁ寄れよー」であったり、「幸寄れ、幸寄れよー」という語源からの掛け声であることを知りました。なんと。素晴らしい意味があったんですね。意味を知りますと、その言葉を発する際の気持ちが全く違います。僕の中での神輿担ぎはやはり「サンヨーレ、サンヨレヨー」でありまして、一生「ワッショイ」ではない訳です。地域ならではの独特の文化、ずっとずっと守っていきたいですね。
 ちなみに日本で最も一般的な掛け声、先述の「ワッショイ」。これにも色んな説があるようですが、一説によりますと「和、背負い」や、「輪、背負い」が語源と言われております。なんと。これまた素晴らしい。意味のよくわからない日本語は年齢を重ねても多々ございますが、僕たちの先人達はよく考えてるなぁ、と感心しきりです。(この説が間違いであっても、この説を唱えた人でさえ素晴らしいと思います。)
 皆さんのお近くのお宮さんからは、どんな掛け声が聞こえてきますか?意味のわからないその節に、呪文のようなその節に、意外な言葉が隠されているかもしれませんよ。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

020otakijinja_koreitaisai.jpg
筆者、昨年の大瀧神社古例大祭にて

アマネが主題歌を担当した映画「転生 -TENSEI-」
6/3(土)~公開、7/21(金)DVDリリース

7/29(土) 多賀町・藝やカフェ横野外特設ステージ
「多賀大社萬燈祭 迎夜祭」アマネ出演決定

第19回 ~日本語ロックのはじめ~

2006年4月9日vol.392掲載
 今、当たり前のように街に溢れているロックミュージック、僕にとっては必要不可欠な存在ですが、このように当たり前の文化になったのも、そんなに古い話ではないんですね。何せ「日本語のロック」はありえなかった訳ですから。
 今から四十年前、アメリカ人やイギリス人が歌うロックやフォークが日本に入ってきて、やはりそのサウンドを日本語で歌うことには懸念があったようですね。ロックとは英語あってのもの。日本語で歌うのは歌謡曲だと。今では考えられない論争があったようです。日本のロック草創期において、日本語のロックを確立した彼らもまた、当時は論争の槍玉に挙げられた一組だったようです。
 「はっぴいえんど」、平仮名で示されたバンド名や、叙情的で独特の言い回しをする詩からロックをイメージすることは難しいですが、そのサウンドは三十五年を経た今聴いても強烈に響き渡ります。彼らのサウンドをリアルタイムで聴けなかったこと、凄く悔しく思います。洋楽を聴く時、あまり歌詞まで気にしていませんが、たまに読んでみると結構意味不明な詞が多いんです。それに引き換え日本のロックは、詞が詩としても成立している(事が多い)ところが素晴らしいと思います。日本人は言葉に敏感なんですね。いい詞じゃないといくら音が気持ち良くても売れないんです。そういった意味でも「はっぴいえんど」がサウンド面でも言葉の面でも、日本のロックの基盤を作ったと言っても過言ではないでしょう。洋楽さながらの音をうねらせた後に、「風をあつめて」なんて言うんです。友人だったらそのセンスに相当嫉妬してるでしょうね。当たり前の文化になる前には、誰もやっていないことをやった人が、必ずいるということなんですね。今こうして僕が歌えていることも、彼らの功績のお陰です。

はっぴいえんど「風をあつめて」
アルバム「風街ろまん」(1971)より


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第18回 ~過去と未来を自由に行き交うディーバ~

2006年3月12日vol.390掲載
 僕が活動しているアマネでは、和の雰囲気や、アジアの空気を大切にして楽曲作りに励んでいます。民族音楽や日本の民謡などにも大変興味を持っています。ある時、ライブをご覧になったお客さんから「普段はどんな音楽を聴いてるんですか?」という質問を受けました。その方にとってアマネの音楽は新鮮だったようで、ダサいような古いような僕らのメロディが『カッコよく伝わったな』という一種の充実感を得たものです。そうなんです。目標としていることはコレ、『ダサいものでもカッコよく』なんです。演歌だとか民謡だとか若い人が好まない音楽も、伝え方によっては凄くカッコいいものになると思ってるんです。その方にお勧めしたいCDはいくつかあったのですが、その中でも「UA」だとお伝えしました。
 UAは大変幅広い素材をまな板に載せ、自分なりの世界観で料理されている数少ない歌姫であると以前から尊敬しています。演歌も料理すれば、子供向けの童謡まで。ソウルシンガーかと思えばレゲエまで。この興味の広さが僕の目指していることの一つなのかもしれません。ひとたび彼女が口ずさむと一気に彼女の世界が広がる、なんて不思議な人なんでしょう。そしてどれもカッコいいんですよねぇ。歌い手の役目って色々あると思うんです。昨今のカバーブームを例に挙げると、いい唄を後世に伝えるということも大事な役目だと思っています。その中でも彼女のカバーはピカイチなんです。過去と未来を自由に行き交うディーバなんですもの。聴いてください、UAの「リンゴ追分」を。

UA「リンゴ追分」
アルバム「turbo」(1999)より


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第17回 ~親元を離れて丸十年を迎える正月に~

2006年1月22日vol.387掲載
 皆様、あけましておめでとうございます。湖北・湖東地方は例年以上の大雪ですね。ご無事でしょうか?「雪やこんこん♪」などと歌っていられないですね。もうしばしお気をつけ下さいませ。
 さて今年の一月は、いつになく度々帰郷しております。まず、年始から中学校の同窓会に出席し、久々に旧友や恩師と再会いたしました。同じ目的を目指した同志的な仲間の良さも知っておりますが、何と言いますか、同じ田舎の環境で育った仲間の気楽さは格別なものがありますね。普段自分の唄を歌っておりますと、決して足を運ぶ場所ではないのですが、二次会は旧友に連れられてカラオケに行きました。そんな場所に行くなんて何年振りのことでしょう。遠慮するつもりでしたが、ついつい歌ってしまいました。普段の自分ならカラオケに行ったとしても、頑なに歌うことを拒むのでしょうが、こんなふうに気持ちが緩んでしまうのも地元の仲間だからですね。素敵な再会でした。
 続いては連休に、祖父の法事に帰郷しました。これまた久しぶりに親戚と会い、共にお経をあげました。和尚が経典に載っていないお経もあげてくださったのですが、それ以外は一緒に唱えました。詳しい意味は全くわからないのですが。「祖父に届け!」とばかり唱えました。生前世話になった者が世代を超えて集まり、同じ時空間で読経することに改めて感動を覚えました。
 このコラムが出る時には終了しますが、多賀に歌いに帰ります。一ヶ月に三度も帰ることは本当に稀です。やはり人間、思いを声に託すことか・・・、などと親元を離れて丸十年を迎える正月に、親元で強く感じさせられました。僕は歌う為に生まれてきたと思うし、これからも歌い続けていくんだ、そう年始に誓っておる次第であります。
 皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第16回 ~ジャズを教えてくれたおばはん~

2005年12月11日vol.384掲載
 大学時代のある夜、テレビを見ていたらコテコテの大阪弁を操るおばはんが出ていたんです。もうそれだけで相当心を奪われていたのですが、「このおばはん、何者や?」と見続けていたら、ものすごい唄を歌う方だったんです。それがジャズシンガー・綾戸智絵さんでした。
 大阪弁でたたみかけ、そしてソウルフルなジャズナンバーをバシッとピアノで弾き語り。身の毛もよだつとは正にこのことだなぁ、と思いました。その衝撃を受けて早速チケットを取ったんです。今では大阪だとフェスティバルホールを満員にしてしまう綾戸さんですが、当時はまだライブハウスでやっておられました。帝国ホテルにあるライブハウス、間近で迫力あるトーク&ライブを観ることができました。ますますハマってしまいましたね。ジャズなんか聴いたことなかったのに。
 「まいどー!楽しんでいきやー!」なんて近所のおばはんみたいな親しみ易さを醸し出しながら、直後にニューヨークやロスにひとっ飛びさせてくれる技は巧み。おばはん、一体何人やねん?僕の心を掴んでは離しませんでした。ジャズなんて知らなかった僕の生活に、突如ジャズを登場させてくれたのです。まさか、やかましい大阪のおばはんに教えてもらうとは思わなかったです。以来、おばはんにはいっぱいパワーをいただいております。ジャズって高尚な感じもしますが、本場では気軽な音楽なんですよね。そんなことを教えてくれたのも、ジャズのみならず、ゴスペルやブルーズ、スマップまでも自分のものにして歌い上げる、他ならぬ智絵おばはんでした。日本において、ジャズを相当庶民レベルまで引き下ろしてくれたように感じます。
 このまま死ぬまで歌い続けてや、おばはん。

綾戸智絵「夜空ノムコウ」
アルバム「Life」(1999)より


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第15回 ~新時代の幕開け、筝少女現る~

2005年11月27日vol.383掲載
 憧れや尊敬というのは、およそ目上の人に対して抱くものだと思い込んでいた僕の考えを根底から覆された出来事がありました。三年前、尊敬する北野武さんのテレビ番組に一人の少女が出演していました。一見普通の女子高生なのですが、一たび奏でるとその瞬間、彼女は茶の間まで凍りつかせるほどの凄まじいオーラを放ちました。僕は放心状態、完全に彼女に魅了されてしまい、初めて年下の相手を敬うことを覚えました。「こいつはすごいや・・・」。彼女の名は森川浩恵。そして彼女が演奏した楽器は筝でした。
 それまでの筝のイメージはというと、正月のBGMには必ず使われたり、和食店のBGMでJポップまでもその音色にされたりと、強引に和を前面に押し出したい時に使われるアイテムだなぁという感じでした。筝と言えば一般的には「さくらさくら」のイメージですよね。それにひきかえ彼女の演奏は力強く、たくましく、新時代の幕開けを感じさせるようなものでした。琴線に触れるとは正にこのこと。僕のそのどうしようもない思いを自分自身のホームページに日記として書いておりましたら、突然本人からの書き込みが。まさか自分の思いが本人に届くなんて。
 宮西希、滋賀出身の真依子など、今純邦楽界の中でも若い筝演奏家の活躍には目を見張るものがあります。その中でも森川浩恵はテレビCMに採用されたり、高校時代に吹き込んだファーストCDが純邦楽界では異例の一万枚を越えるロングセラーとなるなど、大注目を浴びています。今までの筝のイメージを一蹴する迫力ある演奏を、是非皆さんにも聴いていただけたら、と思います。
 十二月十六日(金)、多賀町の藝やカフェさんで彼女の生演奏が聴けるようです。

森川浩恵「甦る五つの歌」
アルバム「筝-koto-」(2002)より


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第14回 ~実りの秋に飽きない秋唄~

2005年10月9日vol.380掲載
 食欲の秋、味覚の秋、秋はついついワンパクになってしまいます。早速実家でとれた新米をいただいておりますが、実りの秋はワクワク気分です。秋限定のビールもおいしいですし。
 しかしながら唄の世界で秋と申しますと、何だか寂しいイメージが強いですね。情緒深い童謡やフォークソングが印象的です。昔から「秋」と「飽き」がかけられ、冬に向かう温度感も手伝い、男と女の別れの句が詠まれました。四季の国ならでは、僕たちの先祖のハイセンスには頭が上がりませんね。ただ、収穫の季節なのにハッピーな秋唄を思い出せないのは残念です。こんなにおいしいのに、ごはん。
 さだまさしの「秋桜」は嫁ぐ私と母との別れ、アリスの「秋止符」は、夏の出来事のせいで秋にピリオドを打たなくてはならなくなった男女の別れ、オフコースの「秋の気配」は、だんだん女性への思いが薄れていく初めての衝動を歌っています。どれも一九七〇年代の唄ですが、時代を超越する名曲たちですね。多くの方に受け入れられている、共感を呼んでいるということは、やはり日本の秋は別れの秋なんでしょうか。
 僕らをキュンとさせる秋唄の中で、一番印象深いのが大江千里のずばり「秋唄」。大学三年の秋にNHKのみんなのうたで放送されていて、テレビの前で思わず涙してしまいました。日本人の細胞を必ずや揺さぶるであろうメロディに、学生の心情が描かれた歌詞、少女の映像がクロスオーバーして、何気ない現実の日々にも優しくなれそうな気分にさせられました。切なく、寂しく、人恋しくなることも、一つの実りには必要だということ、大人になる為に通らなければならない秋がそこにあるんだと、飽きない秋唄が今日も教えてくれています。

大江千里「秋唄」
アルバム「2000JOE」(1999)より


喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第13回 ~映像と音楽と~

2005年9月11日vol.378掲載
 大好きな音楽では飯が食えないのではないかと感じた僕は、宝塚造形芸術大学映像造形学科に進みました。映像なら音楽とそう遠くないと。お陰で今、音楽にも映像にも関わった仕事をさせてもらっているのですが、結局自分でパフォーマンスすることを諦められなかった理由の一つには、大学のある先輩との出会いがあります。
 僕が一回生の時に院生だった伊丹谷良介さん。彼が率いる「FRIED EGG JAM」というバンドは、ホーン隊を含む大所帯ファンクバンドでした。いきさつが詳しく思い出せないのですが、ライブに映像や美術を取り入れ、派手なパフォーマンスで人気のあったこのバンドの制作に関わることになりました。あまり聴いてこなかったジャンルだった上に、彼の創造がその辺のインディペンデント系の人たちには到底不可能な規模だったこともあって、みっちり裏側から協力してきました。1997年には監督として参加し、インディーズ初の大阪厚生年金会館芸術ホールでのライブイベントを成功させました。映像と音楽のコラボレーション、また和太鼓チームとのセッションなど、今なら簡単に想像しうるイベントを当時手掛けられたということは、今でも大きな自信になっております。その後バンドは解散し、彼は中国に渡ってトップアーティストとして成功を収めておられますが、彼のもとで働きながら、映像と音楽を絡ませた空間デザインの必要性と可能性を想像したものでした。裏方として彼を見ながら、一度は趣味でしか不可能だと思った音楽をやり続けようと胸に誓ったのでした。

FRIED EGG JAM「FRIED EGG JAM」(1997)

hmv_FRIEDEGGJAM.gif

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第12回 ~自分の役割 -2005びわ湖放送高校野球ハイライトソング集を聴いて-~

2005年8月28日vol.377掲載
 夏の風物詩・高校野球にブラスバンドの応援はつきものですが、僕が通った米原高校には吹奏楽部がありませんでした。よって米高野球部にそんな応援はなく、しかも3年の夏なんてみんな受験勉強だとか言って、彦根球場にさえも足を運ばない生徒が大半でした。それではまずいと思った僕は、地区大会を前に即席で「米原トランペッターズ」なるものを結成いたしました。自分のハンドボールの試合よりも野球部を音楽で支えることを優先、何か生きがいというか、自分にしかできないものを感じたものでした。
 滋賀を離れてちょうど10回目の夏が終わろうとしておりますが、この夏、滋賀から一枚のCDが僕のもとに送られてきました。『2005びわ湖放送高校野球ハイライトソング集』―、あの夏を思い出しました。甲子園を目指す滋賀の高校球児を、滋賀でメジャーデビューを目指すミュージシャンたちの音楽で応援しようというこの企画は、上田永吉さんという若者がプロデュースされたそうです。テレビで流され、またCDでも聴いていただこうというプロジェクトは、民間による発信の乏しい滋賀において、とても新鮮で温かい出来事として感じました。得意な人が得意なことで人を喜ばせる、勇気付ける、生活を潤す、税金を納める、地域に貢献する方法は多々ありますが、上田さんは今回、地元のみんなの笑顔を生み出すプロデュースをされたなぁと感じました。僕自身も、自分の役割とは何ぞや、と考えずにはおれないCDとの出会いになりました。

V.A.「2005びわ湖放送高校野球ハイライトソング集」(2005)

012bbc_song.gif

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

第11回 ~唄屋の夏唄・後編~

2005年8月14日vol.376掲載
 もう一つ、切っても切り離せない夏唄がございます。それは、西国三十三ヶ所の「御詠歌」です。我が家では、お盆になると祖母の主導で御詠歌が歌われます。札所三十三ヶ所と番外、そして地元のお寺の御詠歌を合わせると四十ヶ所くらいになりますが、うちの祖母の歌はスピーディーなので全部で一時間もかかりません。普通ならのらりくらりと歌われて倍くらいかかるそうですが、うちの御詠歌はテンポが速めなのでちょっと歌謡調かもしれません。この御詠歌が僕の音楽のルーツかな、と思うことがあるんですね。あの独特の節回しを聴くと、DNAが騒ぎ出す感じがするのです。小学三年生の時、東近江市上岸本町の親戚宅で、おそらく初七日の際に唱えたのが御詠歌の最初の記憶です。それ以来、意味もわからず御詠歌の虜になってしまいました。読経もワクワクしますが、読経とは違う魅力を感じます。仏教でも、キリスト教でも、その他世界中にある様々な宗教もそうですが、やはり祈ることや偲ぶことが起因になっている宗教音楽は、宗派を問わず背中がゾクゾクしますね。罰当たりな話ですが、お葬式、法事、お盆、たくさん人が集まり読経や御詠歌を上げる宗教行事は凄く好きでした。変わった子供ですね。いまでこそ音楽やアートは商業的なものが主でしょうが、もともとはやはり宗教的なところから生まれてきたでしょうし、生活にもっと身近なところにあったものだと思うんですね。そんな起源に触れさせてくれるお盆や地蔵盆は、日本の夏には欠かせないですし、絶対になくしちゃいけないなぁと思います。
 唄屋の夏唄は、サザンやチューブの出てこない夏唄でございました。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。

8/20(土)
「唄屋の祝~アマネ重大発表二〇〇五・夏~」
大阪難波ロケッツ・15時より
アマネの夏の大イベント開催
共演:まほろば楽座、アカシロックス、
ザ・ホットクルーズ

第10回 ~唄屋の夏唄・前編~

2005年7月24日vol.375掲載
 四季のある日本に生まれて本当に良かったなぁと思う今日この頃、♪夏が来れば思い出す―、なんて大好きな唄もございますが、今回は夏になれば思い出さずにはいられない僕の夏唄をご紹介しようと思います。
 第五回の岡林信康さんの時にも少し触れましたが、江州者にとって切っても切り離せない夏唄はやはり「江州音頭」でしょう。今パソコンで原稿を打っておりますが、「ごうしゅう」と打って通常の変換ですぐに出てこないのが悲しいですね。こんなに盆踊りの定番曲であるにもかかわらず、一般には「近江」ほど知られていない呼び名なんですね。それにしても僕の小さい頃は、まだまだ多くの場所で盆踊りが行われておりました。企業さんの夏祭りも盛んでしたし。秋になって運動会でも、締めは必ずと言っていいほど江州音頭でした。今では踊れないお子さんもおられるのでしょうか。昨年豊郷町の「ゆめ街道とっとまつり」に出演させていただいた時、園児達がアレンジの施されたかわいい江州音頭を披露されていました。さすがは発祥の地、それぞれの世代の方がそれぞれに江州音頭を身近に感じておられるようでした。子供達には必ずいい思い出になると思います。それにしても青春真っ只中の学生諸君の参加は少なく感じました。若いお兄ちゃんお姉ちゃんが江州音頭をカッコよく踊ると、滋賀県も元気になるんじゃないかなぁと思います。余談になりますが、大阪にある某空調メーカーの工場では毎年大きな夏祭りを催されます。そこでは若い社員が中心になって、社員も地元の方も一体になられて威勢よく江州音頭を踊られます。目の当たりにした滋賀県民の僕は、滋賀県の現状を少し情けなく感じました。滋賀県民も是非見習ってほしいなぁと思いました。多賀町の僕の実家のすぐ前が、ちょうど盆踊りの櫓が組まれるところなんです。毎年地蔵盆の八月二十四日には、表に出なくても「♪ヨイトヨイヤマッカドッコイサノセ」という節が聴こえてまいります。そうすると「夏やなぁ」という気分になる訳です。やっぱり滋賀の夏は江州音頭でしょ。今年の夏も、僕達アマネは江州音頭を演奏しますよ。

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

8/2(火)
「藝やのうたゝ音プレゼンツ多賀大社萬燈祭前夜祭」
多賀町多賀藝やカフェ横特設ステージ・18時半より
今年も地元の川の上のステージに出演致します。
http://www.tagatown.com/

8/20(土)
「唄屋の祝~アマネ重大発表二〇〇五・夏~」
大阪難波ロケッツ・十五時より
アマネの夏の大イベント開催
共演:まほろば楽座、アカシロックス、
ザ・ホットクルーズ

第9回 ~発見した新たな刺激~

2005年7月10日vol.374掲載
 いわゆるポップ・ロック王道を聴いておったのでした。それまでは。ビートルズ、エルトン・ジョン、エリック・クラプトン等、洋楽を聴くと言っても古いものが中心でございました。まだまだ僕のまわりに洋楽を聴く者は少なかったですし、田舎の高校生にアメリカやイギリスで流行している、リアルタイムのロック事情を知る術がありませんでした。
 そんな折、初めて若いミュージシャンの、今のロックをジャケット買いいたしました。それがウィーザーでした。輸入盤CDを買ったのもこれが初めてでした。「何かありそうやなぁ、この中には」、新たな音を求めていた僕は、そんなインスピレーションを感じたこの作品を何故か手にしておりました。何の情報もない未知の体験・ジャケ買い、若い四人がブルーバックに何の演出もなくただ立ち尽くすだけのファーストアルバム「ウィーザー」は、僕の中で大当たりのCDでした。
 今やウィーザーは世界のロックシーンの重要な存在、まさかその当時はそんな未来も想像していなかったですし、ライナーノーツも入っていない輸入盤だったので、どんなプロフィールを持つ彼らなのかも知らずにハマっていきました。衝撃のサウンドでしたね。不器用で、つまらなさそうで、ぶっきらぼうで、しかしそれでいて自由で、等身大で。かっこ良くなくちゃいけないのがロックだと思っていたイメージを見事に崩してくれたのが、情けない男の心情を吐露してくれたヴォーカルのリヴァース・クオモでした。後々検証してみますと、一九九〇年代前半はオルタナティブ・ロック全盛だった訳ですが、それらのバンドは皆ヴィジュアル的にもかっこ良かったのですが、ウィーザーは何故かもっさい感じがしますね。しかし、パンク的要素、グランジ的要素をうまくミクスチャーし、旋律やハーモニーにもこだわってる感じが新たな時代を予感させました。それまで王道しか聴いてこなかったものですから、かなり驚きましたね。
 その二年後にセカンドアルバム「ピンカートン」が発表されるのですが、これは僕が大学に入学してからになります。そのジャケットは日本の浮世絵そのもで、一枚目とのデザインのギャップに「こいつらは何を考えてるんや?」と思いました。でも一枚目に出会ってなかったとしても、きっと二枚目をジャケ買いしたやろうなぁと、彼らの音楽とのご縁を強く感じたものでした。二枚目が出てからようやく彼らの情報が入ってくるようになりましたが、デビュー当時アメリカでは、オタク系ロックと称されていたようですね。日本語訳の歌詞を見ましても、実に卑猥で、女性を追っかけまわしては恋愛がうまくいかないとか、ダメダメ男を吐き散らかしてまして、日本語の音楽では絶対にありえないなぁと感じました。決してうまいわけではない彼らの演奏に、ミュージシャンに憧れていた僕は大変勇気もいただきました。
 ジャケット買いなる新しい購買手段で出会った新たな刺激に、自分の音楽運の高さを感じながら、ダメダメ男に勇気づけられた青春の一幕でございました。

WEEZER
Album「Weezer」(1994
Album「Pinkerton」(1996)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

8/20(土)
「唄屋の祝~アマネ重大発表二〇〇五・夏~」
大阪難波ロケッツ・十五時より
アマネの夏の大イベント開催
共演:まほろば楽座、アカシロックス、
ザ・ホットクルーズ

第8回 ~アンプラグドを感じて~

2005年5月22日vol.371掲載
 僕がアコースティックギターを始めた頃はまだまだバンドブーム真っ只中で、生ギターをジャカジャカするスタイルは何か格好悪い時代であったことは以前にも触れました。しかしながら、しばらくすると生ギター派に心地いい風が吹いてきたような感じがしてまいりました。それが「アンプラグド」ブームでございます。
 「アンプラグド」とは文字通りプラグを挿さないという意味で、ロックミュージシャンが生楽器でスタジオライブを行うという番組が、アメリカMTVチャンネルで始まりました。当然ながら番組を見ることはできませんでしたが、それでも高校一年の頃には、エリック・クラプトンの「アンプラグド」CDが大ヒットいたしました。その後立て続けにロッド・スチュワート、ニール・ヤングなど大物ミュージシャンが同番組における生楽器演奏を楽しみ、CDやビデオをリリースいたしました。バリバリにキメていたロッカーたちが「これからは生ギターだぜぃ」と言わんばかりの演奏を繰り広げてくれたお陰で、アコースティックギターが再注目されるようになってきましたね。僕もよくクラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」などをコピー演奏しておりました。
 MTV「アンプラグド」の魅力の一つに、往年のロックナンバーをアコースティックアレンジで聴けるということがあります。クラプトンの「いとしのレイラ」などは正にその筆頭で、デレク&ザ・ドミノス時代の爽快ナンバーが実にブルージーにスローにアレンジされ、聴くほどに味わい深く、アコースティックの素晴らしさを再認識いたしました。「信じてきてよかった」って感じでしたね。「アンプラグド」のヒットによって、日本におけるアコースティックのイメージが本当にがらっと変わった印象があります。それまでフォークギターで歌うことは、どこか貧乏臭くてダサいイメージがあったかもしれませんが、より人間の肌に近く、優しく、心の奥底に響き渡るサウンドとして浸透していったように思います。このブームで得た感覚が、今の僕の生サウンドにこだわる思いを支えてくれています。その後もMTV「アンプラグド」には、アコースティックのイメージがないロッカーたちがたくさん出演しました。ニルヴァーナ、キッス、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、レニー・クラヴィッツ、R.E.M.など、普段エレキギターが鳴り響くアーティストによるアコースティックサウンドは、生楽器の可能性を非常に膨らませました。
 手軽な楽器ほど奥が深いとは思いますが、今正に楽器を始めたいと思われてる方、是非生楽器を始めてください。シンプルな音色が実は自分の声に近く、心臓に近く、体の一部として響き渡ってくれるに違いないと思います。「アンプラグド」を一緒に体感しましょう。

Eric Clapton
Album「Unplugged」(1992)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第7回 ~ビートルズを歌おう~

2005年4月24日vol.369掲載
 今回はポップ・ロック音楽の王道とも言うべき、ビートルズの話をいたしましょうか。ビートルズは特に中学・高校時代にハマりました。中学時代は友達からダビングしてもらったテープを聴いておりましたが、高校に入って、バイト代をはたいて全CDを買い揃えました。先月取り上げたエルトン・ジョンもそうですが、今思うと英国人のロックがたいそう気に入っていたようです。気品があるというか、ロックの荒々しさの中に美しさが存在している、そんなビートルズの音楽は全くリアルタイムではないというのに、僕に大きな衝撃と感動を与えました。もうとにかくミュージシャンに限らず、全世界のほとんどの人々がそんな状態でしょう。四十年も前の楽曲が全く古さを感じさせず、今でも常に購入されております。ポップ・ロック界の巨人、いや、化け物でございます。
 僕がビートルズにのめり込んでいく経緯に、特筆すべきことは何もございません。ポールの甘いメロディラインに誘われ、大人になるにつれてジョンの激しさを好むようになり、ジョージがいいなぁと思うようになれば「あなたも結構嗜む方ね」、よく聴くとリンゴのドラムって味があっていいなぁなんて感じると「あなた本物ね」なんて。所謂王道のハマり方をしていった訳でございます。先日僕の友人が神戸で「BEATLE SON」なるイベントを催しました。これに出演してきたのですが、客入れから転換、客出しまでとにかくビートルズが流れ、各出演者もオリジナル曲以外にビートルズナンバーを演奏するというビートルズファンにはたまらない催しでした。ライブが終わってからも居心地が良すぎて、酒を呑みながらスピーカーから流れる大音量と共に、大声を張り上げて歌いましたね。もちろんオヤジ懐古主義的な浸りのみならず、ステージではキッチリ「ANY TIME AT ALL」というロックナンバーをキメてきましたけどね。最高に気持ち良かったです。ミュージシャン仲間と共に、「こんな曲を四十年も前に書かれたらたまらんぁ」と、いつまでもいつまでも賞賛しておりました。
 音楽の様々な楽しみ方の中で、僕達はありがたいことに「歌う」という楽しみ方をさせていただいております。聴いたり口ずさんだりすることは誰でもできるでしょうが、ビートルズを本気で歌うことは普段なかなかな機会に恵まれないことでしょう。カラオケでも結構ですので、皆さんも是非挑戦してみてください。正直難しいです。あんなに印象深いメロディライン、誰もが口ずさめるというポップ・ロック王道であるというのに、本気で歌うのは難しい、これがまたビートルズの面白さでもありますね。彼らはハーモニーを重視したロックバンドでもあります。カッコいいことをやることは簡単なことではないですが、ビートルズをカッコよく歌えたときの達成感はただならぬものがあると思いますので、一曲くらい本気で歌える曲があるといいですね。
 僕がビートルズに初挑戦をしたのは米原高校時代の文化祭。ハンドボール部に属しながら、なぜか音楽部にも所属するという文武両道派(?)で、音楽部の発表として全校生徒の前でビートルズコピーバンドをお披露目いたしました。その時も相当苦労しましたね。その時演奏した曲の中で一番印象深いのは「HEY JUDE」、鍵盤で弾き語りをしました。簡単なスローナンバーと思いきやこれが大間違い。歌詞もさることながら、ポールのヴォーカルのリズム感には脱帽するしかなかったですね。今でも大好きなナンバーです。
 一回ど真剣練習しておくと、体が忘れません。文化祭で発表した曲はもう十年も経つというのに自然と歌えたり、演奏できたりします。年齢を重ねるごとに曲の景色が変わったり、その都度色んな角度で見えたり見えなかったり。歌うことによって得られる作り手との一体感、是非ビートルズで皆さんにも感じてもらいたいものでございます。

BEATLES
Album「THE BEATLES 1」(2000)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第6回 ~ピアノ弾きに憧れて~

2005年3月27日vol.367掲載
 今J-POP界では、「男性ソロシンガー冬の時代」と言われております。トップチャートを見回してもソロシンガーは女性ばかりが強い、男声もバンドかユニットか、複数名で構成されたグループしか上位を占めておりません。理由は何とも推測しがたいですが、少なくとも僕の中学時代は男性シンガーが強かったように思い返します。特に今ではあまり見かけない、男性のピアノ弾き語りスタイル、憧れましたねぇ。大江千里、KAN、槇原敬之らが軽快にピアノで弾き語る姿は、どこかスマートで、リッチで、死語になりましたがトレンディな雰囲気を感じさせるものでした。ギターこそ始めておりましたが、ピアノなどは幼少からの習い事でなければ習得できないものと決め付けておりましたので、憧れた時は既に遅し、何で習っておかなかったんだろうと後悔いたしました。それでも僕の好奇心とピアノに対する思いははおさまらず、またもや親にねだってデジタルピアノを買わせてしまいました。もしも自分の子供が生まれたら、本人の意思に関わらず、ピアノは必須科目として幼児期から習わせたいものです。
 習い事と言えば、小学一年から十一年間空手道場に通っておりました。姉が先に始めておりまして、それに触発されてか、小学校に入ったら自分も習うと言っていたようです。中学生くらいになりますと、組手形式で相手と戦う練習も頻繁に行うようになりました。寸止めと言えど、怪我は多くなりましたね。そんなこともあって、しょっちゅう骨折しては地元の整骨院に通院しておりました。全国大会の前に骨折をして苦い思いをしたこともあります。そういや、その骨折がなければ出会えてなかったものがありますね。院長先生、そして大量のロック名盤でございます。
 この院長先生、大のロック好き、青春時代に相当な数のLPを購入されていたんです。僕が音楽好きということで話が盛り上がり、院内滞在時間もどんどん長くなり、その素晴らしいコレクションの数々をお借りすることになりました。その数何と百枚近く。一から買ったらいくらになるねん?というLPたちを、来る日も来る日もテープにダビングする日々が始まりました。その中には日本の限定盤ということで、CDで再発されていない貴重なものもたくさん含まれておりました。とにかくその時にかなりの音楽を吸収させてもらいましたね。音楽CDを買うって、自分が気に入ったものしか買わないですよね。お借りしたLPは好き嫌いに関わらず聴けましたから。タダで百枚近く自分の手元で聴けるんですから、何とも素晴らしい環境だったと思います。その頃ダビングしたテープは、今でも大切に保存しております。
 その時に院長先生が貸してくれた大量のレコードの中で、僕が最もハマったのはエルトン・ジョンでした。この方もやはりピアノ弾きなんですね。ピアノ弾きって何となく美しいバラードのイメージが強いのですが、初期のエルトン・ジョンってロックしてるんですね。繊細で、優しくて、儚くて、それでいてロックしてる、という印象でした。ピアノに対する思いは、この人との出会いで頂点に達した訳でございます。ダビングしたテープも持っておりましたが、エルトン・ジョンは後に全部CDで買い直しましたね。CDで聴き直し、またその音の深さやスケールの大きさに何度も驚かされました。オリジナルアルバムには未収録である、邦題「イエス・イッツミー」(IT’S ME THAT YOU NEED)は必聴です。いつか僕も、こんな壊れそうでいて、なのに力強い、そんな名曲を作れたらなぁと思っております。ピアノ、習い事、空手、骨折、整骨院、院長先生、LP、エルトン・ジョン、こんなバラバラなキーワードが道をつけるんですね。丸坊主の格闘少年は、骨折を繰り返しながらピアノ弾きを愛していたのでした。

Elton John
Album「GREATEST HITS 1970-2002」(2003)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第5回 ~エンヤトットってナンヤ?~

2005年3月13日vol.366掲載
 邦楽、洋楽問わず、アコースティックギターで弾き語りができる唄なら何でも楽しかった中学時代には、その後の僕の人生を大きく決定付ける出会いがございました。とは言っても、その折に「これだ!」という意識もほとんどなかった訳で、最近になって「あの出会いがなかったら今頃どうなっていただろう・・・」とふと考えますと、出会えたことへの感謝の思いでいっぱいになることがございます。まぁ僕はかなり前向き人間で、自分にとって大切なことは出会うべくして出会ったと考えますので、あの時出会っていなくても、自分にとって必要なものなら、時間が違っていても必ず出会う、と思うようにしております。それにしても、若い中学時代にこの作品に出会えたことは今となっては大きいですね。
 この作品とは、岡林信康の「BARE KNUCKLE MUSIC」というアルバムです。この出会いは、今のアマネを語る上では非常に重要ですね。岡林信康の存在はそれまで全く知らなかったのですが、この作品を音楽情報誌の新譜レビューでたまたま発見し、その中の曲目「江州音頭物語」が気になって母に訊きました。「江州音頭って書いてあるけど、岡林信康ってだれー?」と。すると岡林信康なる人が、母より少し年上の近江八幡出身・キリスト教会の生まれ・フォークの神様と呼ばれていた、等のキーワードを持つ方であることがわかりました。早速この作品を購入し聴いてみますと、普段は全く耳にしない太鼓等が入った民謡調の唄でした。古いフォークも新鮮に感じていた好奇心旺盛の中学生でしたから、この民謡調の音に対しても古臭いだの、演歌っぽいだのという懸念は全く覚えず、むしろ新しさを感じました。「なんだ、この新しい音楽は・・・?」。雑誌の解説で気になっていた「江州音頭物語」は、彼自身がキリスト教会育ちで、幼い頃夏祭りの際、友達がみんな踊っていた江州音頭の輪の中にどうしても入っていくことができなかった思い出を振り返り、それでも聴こえてきた江州音頭が今の自分の原点である、といった内容が歌われており、事情の奥深さまでは理解できずとも、郷土を歌った力強い唄だと特に感動いたしました。
 彼は音頭調のリズムで歌うこのスタイルを、「エンヤトット」と呼んで活動されています。江州音頭独特の「ヨイトヨイヤマカ ドッコイサノセ」、河内音頭で耳にする「エンヤコリャセ ドッコイセ」等、日本人ならではの腰を使ったリズムを現代に甦らせ、日本人にしかできないロックが「エンヤトット」であると仰り、その思いに僕も凄く共感しております。後に僕達が「新調 天誅音頭-エッサー大和-」のCDをリリースしたり、各地で江州音頭を披露しているのも、彼の音楽や考え方にかなり影響されてのことでございます。
 「BARE KNUCKLE MUSIC」がリリースされ、僕がエンヤトットと出会ったのは一九九〇年。七〇年安保前後に「フォークの神様」として一世を風靡された頃の様子は、今となっては音源や書籍によって伺うしか由がございません。同世代を生きられた年代の方は「フォークの神様」の印象が強いかもしれませんが、僕にとっては「エンヤトット」という新しい音楽を生み出された、数少ない郷土出身の歌い手という印象を強く感じております。育った時代や環境は違えど、僕も江州音頭の近江で育った唄屋。いいモノは継承し、更に発展させたいと考えております。いいことも嫌なことも全部詰まった故郷、そこから逃げ出してしまったところもあるのですが、一生切り離せないのがこれもまた故郷なんですね。「エンヤトット」は、ただ賑やかな祭り囃子の現代版というものではなく、日本人のDNAを呼び起こす、無意識の中の故郷のような音楽でございます。

岡林信康
Album「BARE KNUCKLE MUSIC」(1990)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第4回 ~近づく春、美しい日本との出会い~

2005年1月23日vol.363掲載
 あけましておめでとうございます。もう1月も終わろうとしている訳でありますが、今年もどうぞご贔屓願います。2005年初の「唄屋の縁」ですので、今回は自分達の楽曲のエピソードをご紹介しようと思います。
 僕達「アマネ」のCDデビューは2001年10月、「理 –コトワリ-」というミニアルバムになります。初リリース作品ということで、様々な思いを込めて作った記憶がございます。6曲入りのこの作品には、1曲だけちょっと意外な唄が入っております。なぜ意外かと申しますと、僕達は自作自演にこだわって歌っておりますので、他人が書いた詞や曲をステージでもやったことがないのですが、この唄だけは全く別の人が作詞しているのです。作詞というか、無理矢理唄にしたと言った方が正しいでしょうか。この唄の作詞者は高橋政栄さん、京都で数十年おばんざい料理店を営まれている女将さんで、ご縁あってアマネ結成以前より「ママ、ママ」と慕っておりました。おいしいおばんざい料理を食べさせてもらっては、芸術の話から時事問題まで、ありとあらゆる幅広い話をさせていただいておりました。
 色んな面において尊敬できるこの京都のママから、ある日一枚の紙切れを渡されました。それは綺麗な字で手書きされた、「近づく春」という詞でした。酒を飲みながら何気にこの詞を読み出したのですが、僕は瞬く間に感激し、硬直してしまいました。ママは旬のお料理をお出しになられるので、四季に対して非常に敏感な感性をお持ちだと感じておりましたが、何度も読み返しながら、正直「かなわないなぁ」と思ったことをはっきり覚えております。この詞は厳しい冬を経て暖かい春を心待ちにした人間や生き物の思いが、美しい擬態語によって表現されていて、日本に生まれて本当に良かったなぁと感じさせてくれました。
 その数ヵ月後、「理 –コトワリ-」のレコーディングが始まりました。録音直前、この詞に曲をつけて、どうしてもCDに入れたいと思いました。もちろんママには内緒で。そして遂に、ママに黙ったままリリースを致しました。ママを驚かせたい、喜ばせたいという思いでしたが、本当に内緒でやってもええんやろうかぁ、という複雑な思いもございました。しかしながらCDをお渡しした時、ママは大変喜んでくださいました。やっぱりいいモノは、世に出なくちゃいけませんもの。ママはそんなつもりでお渡しになられた訳ではなかったのですがね。この素晴らしい詞を、勝手ながらアマネの唄にしてしまえたのはかなりラッキーなことだと思っております。この唄を収録したことによって、世間の方にアマネは和風であるという印象に加え、美しい日本と美しい日本語のわかるバンドであることを認識していただけたのではないでしょうか。
 冷たい冬を乗り越えて、近江の春もしっかりと近づいておりますぞ。ママ、今年も新しい命が生まれてきますね。

近づく春(作詞 高橋政栄作曲 喜多充)

せせらぎの 水面に映ゆる 春の色
きらりきらきら 眩しく揺れる 頬打つ風も 和らかく
くるりくるくる 手をつなぎ 恥じらいながら 恥じらいながら
近づく春よ

山辺の 草木芽生える 春の陽に
ふわりふわふわ 心も軽く 夢は七彩 膨らんで
くるりくるくる 足並み揃え 微笑みながら 微笑みながら
近づく春よ

名残の雪に ちらり顔出す ふきのとう
ぽとりぽとぽと 香はしく 緑も唄うよ 楽しげに
くるりくるくる 肩組みながら 希望と共に 希望と共に
近づく春よ

Copyright(C)2001 Masae Takahashi,Office Dew All Rights Reserved.

アマネ Mini Album「理 –コトワリ-」(2001)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第3回 ~中学時代の恩師に感謝~

2004年12月26日vol.361掲載
 中学校は僕の最大の発表場所でありました。複式学級の小さな分校を卒業し中学に入ると、ギターを手にする仲間もたくさんできました。一緒に歌ってくれる人も、聴いてくれる人も一気に増える訳ですから、最高の環境でしたね。また校風と言いますか、多賀中学校はのんびりしていたのか、勉強のことにやいやい言われず、僕のやろうとしていることを凄く評価してくれたり、伸ばそうとしてくれたものでした。本当に中学時代の先生方にはお世話になりました。教室にギターを一本置きっぱなしにしてましたからね。授業が終わると歌う、昼食を食べ終えたら歌う、部活の前に歌う、何だかそんな毎日を過ごしておりました。僕に影響を受けて再びギターを弾きだしたという先生もおられました。文化祭も体育館のステージでライブらしいことをやりましたしね。一度に全校生徒の前ですから、僕のライブの中で一番オーディエンスが多かったかもしれません(!?)修学旅行にもギターを持って行きました。新幹線もほぼ車両貸切状態ですから、行きも帰りも歌いまくってましたね。今考えると、本当に理解のあった学校であり、教師陣でありました。
 その中で一番ありがたかったのは、英語の授業だったでしょうか。英語は得意な方ではなかったのですが、授業に僕をはじめ、数人の生徒のギター演奏を取り入れてくれました。ビートルズ、カーペンターズ、ジョン・デンバーなどなど、英語の歌の伴奏はテープではなく、僕らの生演奏なのであります。クラス大合唱で英語の授業が始まります。それからでしょうか、特に洋楽を聴いたり歌ったりするようになったのは。後に高校なんかで他校出身者と、中学の英語の授業はどうだった?なんて話をした時に、「毎時間ギター伴奏で英語の唄を歌ってスタートするなんてどんな授業やねん!?」と驚かれたものでした。多賀中学校がというより、僕のクラスだけだったのかもしれませんが、とても素敵な環境でしたね。英語の時間に歌ったり弾かせてもらった曲はたくさんありますが、その中でも一番ハマったのはやはりサイモンとガーファンクルだったでしょうか。時代を超越する名曲「サウンド・オブ・サイレンス」、「明日に架ける橋」など、何度も何度も練習して歌ったものであります。アコースティックギター愛好者には、この二人のサウンドは凄く魅力的で、なかなか真似のできないものでした。ポール・サイモンのギターサウンドもさることながら、アート・ガーファンクルとのコーラスワークは唸るしかなかったですね。コーラスというものを非常に意識するようになったのも、サイモンとガーファンクルと出会ってからのように思います。この冬の寒空の下で思い出すのは「冬の散歩道」。イントロのギターソロ、かなり練習しましたね。またこの曲が入っているアルバム「BOOKENDS」がとにかくいい。「アメリカ」、「旧友」、「ミセス・ロビンソン」、本当に今から三十六年も前の曲たちなんでしょうか?名盤です。そんな名曲が英語教師によって時代を超えて伝えられ、歌われ、またその十数年後に改めて聴きなおしている僕がいる、音楽って本当に素晴らしいものであります。こういうことがあるからやめられないなぁ、唄屋業。こんな出会いをさせてくれた中学時代の恩師に感謝、感謝でございます。先生、今度再会した時、サイモンとガーファンクルを一緒に歌ってくださいね。

Simon & Garfunkel
Album「BOOKENDS」(1968)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

2005年1月15日(土)多賀町多賀・藝やcafé
「藝やのうたゝ音」アマネ・生唄ワンマンライブ
要予約限定20名
[問]藝やcafé電話/090-7759-2222(藝やカフェ)

第2回 ~フォークにどっぷり~

2004年11月28日vol.359掲載
 小学5年生でフォークギターの弾き語りに夢中になった僕は、簡単なコードで歌えそうなものは、片っ端から歌ったものでありました。当時はまだアイドル雑誌の中に歌本なるものが入っておりましたので、テレビで流れるヒット曲から、学校でもらった「みんなのうた」に載っている童謡まで、随分幅広く歌ったように記憶しております。当時のヒットチャートはまだまだアイドル全盛、演歌も力を持っておりました。今から考えればおよそ弾き語りにハマる時代ではなかったですし、フォークギターで歌うなんて格好悪い、といった時代だったかもしれません。がしかし田舎の複式学級、流行も格好もありません。とにかく来る日も来る日も、何時間も何時間も、知っている曲があればギター片手にいつまでも一人で歌っていたのでした。
 そんなある日、叔父の家で数十枚のLPを見つけました。それらは叔父が高校、大学時代に聴いていた音楽でした。いわゆるフォークというやつです。日本のフォークソングは1960年代後半から70年安保を境に盛んになったわけですが、LPだろうが古い音楽だろうが、僕にしてみたら初めて聴く音の数々、とても新鮮に感じました。「これなら自分でも歌える!」、いつも歌っている曲にも飽きだしておりましたので、それからというもの、10年も20年も時代を遡り、フォークソングの世界にどっぷりとのめりこんでいったわけでございます。
 吉田拓郎、泉谷しげる、かぐや姫、さだまさし等々、探していけばあるわあるわ、叔父邸のみならず、様々な親戚邸知り合い邸にゴロゴロ眠っていたフォーク名盤の数々。毎日のようにLPを借りてきてはテープに録音していきました。小学校の終わりから中学にかけてのことだったでしょうか。友達に言っても、自分達の生まれる前の曲や名前は話が通じません。今でこそ日本の古い楽曲がカバーされたり、再評価を受けていますが、当時の僕はオタク少年そのものだったかもしれませんね。先日、豊郷町の岡村本家さんで開催させていただいた「唄屋の宴vol.4」においても、当時弾きまくっていたギターを持ち込み、そのギターで歌いながらあの頃を思い出しておりました。
 その数ある名盤の中でも特にご縁のあったとびきり上等のアルバムは、井上陽水の「氷の世界」でした。フォークソングのいいところは、単純コードと明解な言葉だと勝手に解釈しておりましたが、このアルバムはなんとも複雑で、深くて、すごく大人の匂いがしました。「あかずの踏切り」に始まり、「チエちゃん」、「氷の世界」、「心もよう」、「桜三月散歩道」、「小春おばさん」など、理解に苦しむ曲も多かったですが、とにかく捨て曲がありませんでした。「これがフォークなのか?」、もう既に20年もの時を経ていたというのに、他の音楽には感じられなかった斬新さや、スリルを感じました。中でもピカイチだったのが忌野清志郎との共作「帰れない二人」。当時、「なんて美しい曲なんだろう」と非常に感動したものです。帰れない二人を残した意味もわからず、どっぷりとフォークにのめりこんだ、少し早い思春期のスタートでございました。

井上陽水 Album「氷の世界」(1973)

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

第1回 ~唄屋の音楽開眼~

2004年10月24日vol.357掲載
 僕は今、唄を歌っています。小さい頃はプロ野球選手になりたいと思っていました。大物選手の年俸が1億円に到達した頃です。1億円プレーヤーになって、母を毎日温泉に連れて行くと豪語しておりました。最近では温泉もややこしい話題が絶えませんので、1億円プレーヤーにならなくて(!?)良かったなぁ、なんて思っている今日この頃でございます。さて、人には人との出会いがあり、モノとの出会いがあり、僕に関して申しますと、素敵な音楽たちとの縁が今の自分を形成しております。出会いたくなかった人、手にして後悔したもの、まぁ人生には様々な出来事がある訳なのですが、僕自身の「こんな音楽と出会ってきたんだ」なーんてことを、この貴重な誌面で振り返らせていただこうかと思います。皆さんと共通する思い出があるかどうかはわかりませんが、僕にご縁があった音楽を、一緒になって味わっていただけると幸いでございます。
 小学5年生の時、おばあちゃんが一輪車を買ってくれました。学校では三角馬と共にブームでした。ブームといっても所詮複式クラスの16名、一大ブームではございません。しかしながら、僕はそのブームにも特に乗ることなく、4年生の時に買ってもらった長渕剛の「LICENSE」というアルバムに必死でした。特に音楽環境が整った家系でもなく、楽器を弾ける者がそばにいる訳でもなく、ただ近所のお兄ちゃんがそのテープを聴かせてくれたのが始まりです。長渕剛に目覚めるというと早かったかもしれませんが、詞の訳もわからないまま、何度も何度も繰り返し聴いていました。突然です。ギターが欲しくなったのです。「長渕剛になってみてぇー!!」。16名の複式学級は、外で遊ぶことやファミコンに夢中の年頃です。そんな中、父に思い切って「ギターを買って欲しい」とせがみました。なかなか諦めない僕に、ならば、と父が与えた課題は「おばあちゃんの買ってくれた一輪車に乗れるようになりなさい」でした。それからというもの、来る日も来る日も一輪車の特訓の日々です。目標は通っていた分校までの道のり。練習の甲斐あってやがて僕は、15,000円のフォークギターを手にすることができました。「剛っ!僕も取ったでぇ!一輪車のライセンス!!」当時はこんな思いでした。この時「LICENSE」を聴いてなければ、一輪車に乗れてなければ、今の僕はなかったですね。「たら・れば」付けたところで過去はやり直しできませんが、これが僕の音楽人生における大きな縁の一つでありました。

長渕剛「LICENSE」
アルバム「LICENSE」(1987)より

喜多充:湖東町(現・東近江市)生まれ、多賀町育ち。
アコースティックユニット「アマネ」を中心に
唄屋業を営む。
オフィシャルサイト「唄屋」http://www.uta-ya.com/

Copyright(C)2004,2005,2006,2007,2008,2009,2010,2011,2012,2013,2014
Mitsuru Kita,Office Dew,編集工房 北風寫眞舘INC. All Rights Reserved.