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13時、開場。 |
13時30分、生徒の入場が完了し開演。 |
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第一部セットリスト |
おそらく湖東中学校始まって以来の爆音☆あのような音圧を初めて体感した生徒も多かったのでは?アマネの音を耳で、肌で、心で感じて! |
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カホン教室では、「叩いてみたい人~?」と会場に問いかけたところ、1年生のりょうすけ君が手を上げてくれた。この楽器に興味を持ってくれてすごくうれしいし、みんなの前で積極的にチャレンジしてくれたその勇気に拍手!アマネと一緒に演奏しながら、会場を巻き込んだ「リョウスケ」コール&レスポンスが実現した。そして、初めてのはずなのに綺麗な音が・・・。りょうすけ君、薫が不調の時は助っ人でよろしく!? |
滋賀県の江州音頭、湖東中の校歌、どちらも大事な宝物。世界で自分たちしか継承できないもの。みんなで一緒に歌ったね。誇りを持って、愛着を持って、死ぬまで大切にしていってください。大きな声で歌うことは恥ずかしいことじゃないんだよ。卒業して大人になれば、どんどん恥ずかしいことが増えていく。気の許せる仲間と今しか歌えない唄、心を込めて、一生懸命歌ってください。「飛んでゆけ」で第一部終了。 |
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第二部セットリスト |
10分強の休憩を取って第二部開始。休憩中は控え室で中日新聞社さんのインタビューを受ける。二部ではスローな曲が続いたが、皆さんしっかり聴いてくれている様子。曲終わりの拍手がたまらない。湖東町時代を歌った「原点」では僕も泣きそうになっていた。昭和50年代が伝わったかどうかわからないが、それぞれの個と町の距離について考えるきっかけになってくれれば、と思った。「ヒント」では再び大合唱。ライブは終盤だが、「まだ終わりたくない!!」思い。予定の時間を超過して第二部終了。 |
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「ニッポン」を歌い終わり、一度舞台袖に下がるが、アンコールを受けて再び登場。メンバー紹介を行い、今回の立役者・林栄次教諭を呼び込む。林教諭との出会いは15年前。中学生と社会人という立場でアメリカでのホームステイを一緒に経験した。その時の年齢感覚はまさに今の僕と中学生。あの時先生が僕に接してくれたように中学生に語りかけようと思いながらこのステージに立った。みんなの愛情、溢れる思いが結集して、今回の公演が実現したのだ! |
アンコールで歌うは、応援歌「マンマンデイ」。時間がかかってもいい、やりたいことはあきらめないで!アマネが湖東中生に贈る最後のメッセージ。みんなの胸に響いたかな? |
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演奏終了後、校長先生と生徒会長に温かいメッセージをいただきました!このようなライブ授業はどこが崩れても実現できない。先生方の熱意、保護者の方のご理解あってこそ。もちろん、荒れているクラスがないというのが大きな条件。それぞれが努力をして、思いやりをもって一丸となった時、そこには大きな力が生まれる。湖東中学は大きなものを動かす力を持っていると思う。色々とご迷惑やご負担をお掛けした各方面があることは否めないが、歌い手も聴き手もその周囲や町においても『三方よし』のコンサートになったのではないかと振り返る。ありがとう、僕が始まった町!ありがとう、湖東中学校!! |
おまけ。コンサートの終了後、中学時代の恩師・木村清和先生と記念撮影。多賀中時代担任になっていただいたことはなかったのですが、僕が生徒会長、先生が生徒会顧問という関係で、多賀中の悲願だった校則改正に取り組みました。今多賀中が丸坊主ではなく長髪でいられること、自由な靴が履けることなどは、僕ら二人のお陰なのです☆(ちょっと言い過ぎましたが、当時の多賀中も最高の生徒・教師陣・保護者だったんですね!)木村先生、全くお変わりなくて良かったです。現在は玉園中にご勤務中。当日は休んでお越しくださいました。うわぁ、玉園の生徒さんにもご迷惑をお掛けしちゃいましたね。ごめんなさい・・・。 |
写真:林栄次/村川和男/前嶋英則[中日新聞社]
そうだ、原点に帰ろう。
十月三十一日、僕が始まった町・旧湖東町にある湖東中学校で全校ライブを行いました。今の中学生に僕たちアマネの音楽がどんなふうに響くか、当日までは大変不安な日々を過ごしました。今回のライブの発起人、林栄次先生とは十五年来のお付き合い。僕が中学三年生のとき、多賀町が支援してくださったアメリカでのホームステイの旅でご一緒させていただきました。町内在住の中学生四名と社会人六名が対象で、それまで家族以外と旅行に行ったことがない僕にとって、とても大きな冒険でした。林先生はじめ社会人チームの皆さんは中学生の僕を子ども扱いではなく、一人の人間として対等に扱ってくださいました。あのときの林先生とおよそ同じ年齢になった僕が歌う相手は、当時の僕と同じ中学生。本番直前、僕はふとあの時接してくださった林先生を思い浮かべました。「あのとき接してくださったように中学生に語りかけよう」、そう唱えながら僕はステージに上がりました。不安と期待の中で最初の曲を歌い終えたとき、体育館に大きな拍手が響き渡りました。「あぁ、よかった・・・」
それから二時間以上にわたり、生徒たちの大きな手拍子、大きな歌声、大きな拍手に支えられながら、湖東町を離れた二十一年前を振り返りました。多賀町の親元に引っ越すかどうか母が悩んで、「いいよ」と後押ししたのは小学二年の僕でした。大好きな町を離れるのは嫌でしたが、姉が中学に入るタイミングで一番いいと自分なりに考えたのでしょう。それでもこの二十一年間、「~たら」「~れば」という言葉は常に僕に付きまとってきました。最後の拍手と歓声に包まれたとき、その言葉はもう要らなくなりました。この町に残っていれば、このようなコンサートは実現できなかったのですもの。今は僕が始まった大好きな町に、微力ながら恩返しができたような気がしています。運命的な出会いが必然を生み、愛情溢れる皆さんの協力によってまた新たな出会いをいただいたコンサートになりました。湖東中の生徒の皆さんとはまだ始まったばかり、十五年とか二十一年なんて遠すぎるので、近い将来にステキな必然を一緒に生み出しましょう。
ありがとう湖東町。ありがとう湖東中学校。
[喜多充 唄屋の縁 第38回 ~原点に帰ろう Ⅱ~ 2007年11月11日発行 DADA Journal vol.430 より]

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